第688話 歓喜の再会
次に砂嵐が晴れたとき、目を覚ましたガーネットが隣にいてくれることを祈りながら、俺は自分の内側のアルファズルに呼びかけた。
「(満足のいく話は聞けたか? 俺としては、ちょっとそれどころじゃないんだけどな……)」
アルファズルからの答えはない。
あくまで俺の感覚としてではあるが、アルファズルの意識が――これも厳密には本物でないのだろうが――消滅してしまったわけではなく、ただ思考に没頭して返事を忘れているだけに違いない。
「(シギュンとやらのことも初耳だったんだろ。そうじゃなきゃ、あんな風に黙りこくったりせずにあれこれ語ってただろうしな)」
『……返す言葉もないな。私とて全知全能には程遠い。特に人と人の間柄についてはな……』
そのせいでエイルや炫日女がこじらせたんじゃないのか――なんてことを思いはしたが、言葉にはせず沈黙を貫いておく。
『彼女の存在自体は知っていた。ロキが少女と交際を始めたと聞いたときには驚いたものだ。それがまさか、あのような経緯で出会ったものだったとは思いもしなかった』
「(同じチームの仲間なのに知らなかったのか?)」
『私生活にまで干渉するばかりが仲間ではあるまい。それに……私もロキも、他の仲間達も、一介の賞金稼ぎではなくそれぞれの道で頭角を現し始めた時期だったからな』
「(……ありがちだな。そうやってパーティーメンバーと顔を合わせる数が減っていくんだろ)」
これに関しては、不覚にもアルファズルに共感してしまう。
俺自身は十五年ずっと冒険者一筋だったが、その間に関わってきた連中まで全員そうだったわけではない。
途中で冒険以外に価値を見出し、そちらの方に少しずつ活動の軸足を移していって、最終的には冒険者として活動しなくなるケースも珍しくはなかった。
恐らく、ロキがシギュンと深い仲になり始めた時期は、ワイルドハントの面々が他の活動にも時間を割きつつあった時期と被っていたのだろう。
『……いや、待て。確か奴は直に顔を合わせたことがあると言っていたな』
灰色の砂嵐が薄れ、視界がクリアになっていく。
意識が次の場面に放り出される寸前、アルファズルが聞き逃がせない名前を口にした。
「もしもイーヴァルディと出会うことがあれば気をつけろ。この世界が再現に過ぎない以上、無意味な忠告かもしれんが――」
――視界に飛び込んできたのは、またもやロキの自宅のリビングと思しき光景だった。
しかし何か違和感がある。
間違い探しの絵解きをしているときのような、何とも言えない感覚が――
「(ひょっとして……物が増えてるのか?)」
これまでは必要最小限の物品しか置かれていなかった殺風景な部屋に、ちょっとした小物やささやかなインテリアが配置されている。
時を刻む壁掛け時計一つを例にとっても、以前はシンプルさを突き詰めたものに過ぎなかったが、今は装飾性も重視された洒落たものになっていた。
リビングのテーブルに目をやれば、信じられないことに花を挿した小さなガラスの花瓶が飾られている。
以前の場面を思い出す限り、ロキに自宅を飾る趣味があるとは思えないし、ヘルも主人の嗜好を無視した飾り付けをするとは考えにくい。
「(……シギュン。ああ、きっとそうだ。シギュンに何か言われたか、もしくは勝手に飾り付けられたのを戻せずにいるんだろうな……)」
一人で暮らしていた場所にもう一人が加わると、そいつの『色』とでも呼ぶべきものが滲み出してきて、家全体の色合いまでもが変わっていく。
俺の家も移住直後と比べたら、すっかり雰囲気が様変わりしているはずだ。
とりあえずソファーから立ち上がろうとしたところ、脚に妙な重みが掛かっていることに気が付いて、反射的に動作を止める。
視線を落とすと、そこには白い寝間着に身を包んだガーネットが、俺の太腿を枕代わりに寝息を立てていた。
「……んっ……」
脚を動かしたせいで目が覚めてしまったのか、ガーネットは昼寝を終えた猫のように身を捩り、欠伸をしながらソファーに身を起こした。
「あれ……? オレ、いつの間に居眠りなんて……あれ? どこだここ……」
ガーネットは寝ぼけ眼をこすりながら、自分がどこにいるのかを確かめるように、ゆっくりと視線を動かしている。
言い知れない感情の波が、胸の奥底から突き上げてくる。
これはもう衝動と呼んでもいい。
変わり果てた姿で再会したばかりのガーネットが、普段と変わらない表情で喋っている。
ただそれだけで感情を抑えきれなくなり、俺は思わずガーネットに抱きついてしまった。
「ガーネット!」
「うおわぁっ!?」
次の瞬間、腹の下から振り上げられたガーネットの脚が俺の体を宙に浮かせ、肩を掴んだ両手が思いっきり後ろへ振り抜かれ――気付けば俺は、天井すれすれの高さで弧を描いていた。
主観的にゆっくりと時間が流れていく視界の隅で、ガーネットが驚きに大口を開けて目を見開いて、俺を投げ飛ばした格好のまま背中からソファーに倒れ込んでいく。
ぼすん、とガーネットがソファーに倒れた直後、俺は大きな音を立てて床に激突した。
「お前っ! 一体どこのどいつ……いやでも、ルークっぽい声がした気がしないでも……!」
ソファーから跳ね起きて妙な構えを取るガーネットに対し、俺は思わず笑みを溢しながら、想定以上に痛む体を立ち上がらせた。
うっかりしていた。俺は今、普段と全く違う背格好をしているのだ。驚かれても当然である。
「悪い悪い。俺だ、ルークだよ」
「はぁっ!?」
ガーネットは投げ飛ばしで生じた間合いを維持したまま、今の俺の目線の高さと、本来の俺の目線の高さで視線を上下させた。
それから今度は俺の顔をじっと見据え、半分程度の年齢にまで幼くなった顔の部位をひとつひとつ観察するように睨みつけてくる。
「話すと長くなるんだが、要するにまた『叡智の右眼』の内側に引きずり込まれたんだ。しかも俺だけこの有様。ノワール達はそのまんまだったんだけどな……」
「……ルーク、なのか? 若返っちまったとか、そういう……?」
「そういうことだな。心配なら、証明代わりに次の発注書の内容でも暗唱してみようか?」
今は【修復】スキルも『叡智の右眼』も使えなくされているので、もしも証明としてそれらを見せろと言われたら手詰まりだったが、幸いにもガーネットは俺の主張を信用する気になってくれたようだ。
「はぁー……びっくりさせるなよ。知らねぇ野郎が抱きついてきたかと思ったじゃねぇか。手元に剣があったらぶった斬ってたぞ」
「悪かったって。お前が無事でいてくれたから、思わず我慢できなくなったんだ。本当に色々あったからさ……」
「……しょうがねぇな、ったく……」
ガーネットはわしわしと金色の髪を掻き、さも俺の行動に呆れていると言わんばかりの態度を取っていたが、その口元には隠しきれない笑みが浮かんでいた。
そして、どうやら本人は気が付いていないようだが――シギュンの好みなのか意外と少女趣味な寝間着の腰に手をやって、まっすぐに俺を見据えた。
「一体どんな状況になっちまってるのか、根掘り葉掘り聞かせてもらうぜ。どうせオレが寝てる間に、とんでもねぇことになっちまってたんだろ?」




