第687話 「シギュン」
ガーネットが置かれていた状況を知るや否や、俺はヘルの胸倉を掴んで激しく揺さぶった。
「貴様! 何のつもりだ!」
「落ち着いてください。こちらの方もお客様のご同行者でいらっしゃるのですね」
しかしヘルは顔色一つ変えることなく、至って落ち着いた態度を保ち続けている。
「配役につきましては、お客様ご自身があのお方を演じられていることを除き、私共の意図は反映されておりません。全てはお客様の御心のままに」
「意味が分からないことを言うな!」
「お客様が他の方々に抱いている認識を、この世界に再現された登場人物の属性と照らし合わせ、類似性が最も高い配役を自動的に割り振った……これだけの単純な仕組みでございます」
「……っ!」
俺はヘルを突き飛ばすように手を離した。
体が少年のそれに戻ったままなので、大した力を込めることはできなかったが、それでもヘルの華奢な体をよろめかせるには充分だった。
エリカは最も身近な店舗の店員に。
アレクシアは機巧技師の弟子に。
ノワールは大きな戦いを共に戦うことになった魔法使いに。
そしてヒルドは古代魔法文明の技術を調査するエルフに。
偶然にも近かったものが当てはめられただけだからか、俺の認識を完全に反映しているわけではなかったが、確かに大枠では合致しているといえた。
「……理屈は分かった。早くガーネットを外に出せ!」
「まだ早過ぎます。現段階の彼女……シギュンは外界の環境に耐えうる状態ではありません。今はただ、肉体が十全になるまで眠っているだけです」
「くそっ……!」
俺は悪態を吐いて掌に拳を打ち付けた。
『この再演は夢を見せられているようなもの。本人達の心身に害はない。場面が進めば問題なく顔を合わせることができるだろう』
アルファズルも意識の内側から落ち着くように言ってきたが、綺麗さっぱり割り切って落ち着けるはずなどなかった。
「(分かってるんだよ、そんなことは。理屈じゃないんだ)」
『……そうか。つまりロキも、シギュンとやらには理屈で割り切れない感情を抱いていたのだな……』
「(あいつの言う通りならそうなんだろうな。くそっ、まさかこんなことになっていただなんて……!)」
何やら思うところがある様子のアルファズルだが、今はそちらの感情を慮っている余裕はない。
とにかく場面を進めたい一心で、説明を続けるようヘルに促して、明るい緑に照らされて液体に浮かぶガーネットを見つめ続けた。
「それでは、改めまして」
ヘルは服の胸元を正して話を本題に戻した。
「一つ目の戦闘場面では、正体不明の金属片を入手したものと思います。あれは高濃度の魔力を帯びた金属で、周囲の小動物に影響を与えて魔物に変えていた……当時はそのように報告なさっていたはずです」
「嘘を報告したのか?」
「いいえ。あの御方も当時は本当にそう考えておられました。しかし、二つ目の戦闘場面でシギュンを発見し、その実態について研究したことで、実はそうではなかったのだと判明したのです」
ヘルがスイッチを操作すると、壁に並んでいたガラス容器の一つが前に迫り出してきた。
容器の中には例の金属片が――いくつも折り重なるように積み上げられていた。
「あの金属片は、魔力を帯びた物体ではなく、魔力が凝縮したことで発生した物体でした。そちらの容器に収められているのは、あの方が実験的に生成した複製品です」
「魔力が凝縮して、物質を……?」
「はい。この発見で最も重要なのは、魔力によって物質を生成することができた、という点です」
「……メダリオンを核にして、魔獣の肉体が生成されるのと同じように……」
核となるメダリオンと膨大な魔力さえあれば、いくらでも肉体を再生成できるという魔獣の特性。
どうやら一回目の戦闘は、メダリオンの原理とでも呼ぶべきものを発見した瞬間だったらしい。
しかしヘルが言うには、この事実が判明したきっかけは、彼女達がシギュンと呼んでいる少女を研究したからなのだという。
両者の間に一体どんな関連性があったというのだろうか。
「シギュンを研究したあの御方は、彼女が既存のいかなる種族にも該当せず、むしろご自分とよく似ていたことに気が付きました。決して文学的な表現ではなく、あくまで生物としての構造的な類似性です」
ヘルはガーネットの姿をしたシギュンを見上げ、愛おしさと懐かしさが籠もった眼差しを向けている。
シギュン本人に対する感情ではなく、彼女を通してここにはいないロキを思い返しているのかもしれない。
「(ロキと似ている……やっと同族を見つけたのか? だけど、俺達がガーネットを見つけた状況は……)」
自分の出自も分からず、他人には理解されない孤独を抱えていた、ロキという男。
彼が同族と出会えたのなら、それはきっと喜ぶべきことなのだろう。
けれどシギュンは、決して真っ当とはいえない形で俺達の前に姿を現した。
「ワイルドハントの方々にも真実を明かさず、ただひたすらに秘密の研究を続け、あの御方は一つの仮説にたどり着きました」
白く細い手が大型容器の表面を撫でる。
「自分達は自然発生した生命体である。高濃度の魔力の蓄積が物質を生み出したように、膨大な魔力の集積から発生した存在なのである……あの御方はそうお考えになられました」
「……待て! そいつはいくらなんでも……!」
「荒唐無稽と思われますか? もちろん仮説に過ぎません。確かな確証を得る前に、あの御方は命を奪われることになりましたから」
ヘルは首をこちらに傾けて、左半分だけが露わになった色白の顔に悲しげな微笑みを浮かべた。
あくまで仮説に過ぎない――荒唐無稽な発想の存在を肯定する魔法の呪文だ。
しかし本当にこの仮説が正しければ、ロキが既存のいかなる種族とも異なっていることも説明できる。
それに、魔力によって生物の肉体を作るという点だけ見れば、メダリオンから魔獣が生み出される過程もさほど変わらない。
だとすると、あるいは本当に――?
「あの御方は仮説を実証するために研究を重ね、副産物としてメダリオンを生み出すに至りました。ですが……」
ヘルが何か言いかけたタイミングで、またもや灰色の砂嵐が視界を塞ぐ。
ここまで来るともう驚きすら感じない。
次に砂嵐が晴れたとき、目を覚ましたガーネットが隣にいてくれることを祈りながら、俺は自分の内側のアルファズルに呼びかけた。
「(満足のいく話は聞けたか? 俺としては、ちょっとそれどころじゃないんだけどな……)」




