第686話 ロキの苦悩と探求
どういうことだと問い質す言葉すら浮かんでこない。
ヘルは俺がこの世界の存在でないと気付いている?
だとすると、最初に遭遇したときの態度は演技だったのか?
それどころか、これではまるで、ロキやヘルが俺のことを歓迎しているかのような――
「俺達をここに引きずり込んだのは、やっぱりお前達だったんだな」
「予め申し上げておきますが、私共に悪意などはありません。この世界に再現された私には、あなた方に悪意ある干渉をする力を持っておりませんので」
こんなことを言われて無邪気に信じられるものではない。
だがヘルは最初から俺を納得させるつもりなど無かったようで、返答も待たずに踵を返して家の奥へと向かっていった。
「こちらへどうぞ。是非ともお知りいただきたいことがございます」
「……何を企んでるんだ」
溢した呟きに返事はない。
代わりに俺の内側のアルファズルが、誘いに乗るよう促してくる。
『行こう。お互いにこれ以上の好機はない』
「仕方ない……危険を冒さずに成果だけ持ち帰るなんて、そんな都合のいいことできるわけないんだ」
俺は覚悟を決めてヘルの後をついて行くことにした。
建物の内部はこざっぱりとした民家そのものだ。
もちろん、現代にはない家具や機巧の類がそこら中に置いてあったが、それらに錬金術的な用途があるようには思えなかった。
しかしそれも、物置の奥にあった隠し階段へ案内される瞬間までだった。
「かねてより、創造主ロキはご自身の出生に悩んでおられました」
ヘルが壁に埋め込まれていた装置を動かすと、物置の床の一部が振動を立てながら動き、床下に秘匿されていた隠し階段を露わにする。
「過去の記憶を持たず、あらゆる検査によっても種族を特定できず、孤独な存在として生きることを余儀なくされる……その苦悩は察するに余りあるものがあります」
「孤独? 仲間ならちゃんといただろう。それにこの時代は種族も雑多で、変わった種族がいたっておかしくないんじゃないのか」
「いいえ、お客様。それは違います」
ヘルは俺を先導する形で隠し階段を下りながら、振り返ることもせず首を横に振った。
「数多くの種族が入り混じっているからこそ、人々は自らの種族を自己定義の礎にするのです」
「……そういう、ものなのか……?」
「人間だけの文明であれば、己が人間であるという事実に価値はありませんが、この時代においては『自分とは何物なのか』を定義する重大な要素なのです」
魔力を動力源にした照明の光が、ヘルの不健康な肌を怪しく照らし上げている。
「ワイルドハントの方々は大事な友であり仲間であった……あの御方はそうおっしゃっていました。しかし、友や仲間は同族の代わりにはなりません」
「俺としては同意できない考えだけど、ロキはそう感じて思い悩んでいたんだな」
「ご理解いただき、ありがとうございます」
ロキの考えに同調するわけではないが、そういう風に捉える奴がいてもおかしくはないし、安易に否定していいものでもないだろう。
短い階段を下りた先には、これこそ錬金術師の工房だと直感してしまうような、資料と実験器具に溢れた地下室があった。
声の反響の具合から察するに、かなり広い地下室のようだったが、本棚や収納棚が無秩序に立ち並んでいるせいで、ろくに視線が通らない。
ヘルが照明のスイッチを点けたので多少はマシになったものの、依然として不気味な雰囲気が漂い続けている。
「最初、あの御方は生命の探求を通じ、自らの出自と種族を明らかにしようと考えました。錬金術の習得を選んだことも、主流の元素転換ではなく生命創造を研究の題材に選んだのも、全てはこれに起因しています」
「その過程でお前達を創った……というわけか」
「ご賢察の通りです。しかしながら、錬金術はあの御方の望みを叶えてはくれませんでした」
照明のスイッチから数歩ほど進んだところで、ヘルは不意に立ち止まって振り返った。
「ところで、お客様はいわゆる魔物の発生原因をご存知でしょうか」
「……魔物は魔力を身体機能として利用する生物で、生まれつきそうなっている場合と、高濃度の魔力に晒されて後天的に変質する場合がある……だろ?」
「過不足のない理想的な解答だと思われます」
ガンダルフの受け売りではあったが、これ以上のシンプルな説明ができるほど、俺はこの方面の学問には明るくない。
この質問に一体何の意味があるのだろうか疑問に思っていると、ヘルは更に意図の掴めない問いかけを重ねてきた。
「では、あの御方が創り出し、現文明の滅亡の原因となったものをご存知ですか?」
「メダリオンが生み出す魔獣だろう。その中でも人間と意思疎通できる奴が神獣だ。こんなこと聞いて何がしたいんだ?」
「では……魔獣とは魔物であると思われますか?」
「……それは……」
直感は『違う』と告げている。
これまでに何体もの魔獣と対峙してきたし、十五年の冒険者人生の中でもっと多くの魔物と出くわしてきた。
その経験が、魔獣を普通の魔物と同一視することに対し、理屈ではない否定感を訴えてきていた。
「別物だ……俺はそう思ってる。魔物は単に魔力を利用する動物だけど、魔獣は規格外だ。メダリオンなんていう金属の塊があれば蘇るなんて、真っ当な生き物だとは思えないだろ? ……何で笑うんだ」
右半分が隠されたヘルの顔には微笑みが浮かんでいた。
面白がっているとか、嘲笑しているとか、そういう類の笑顔ではない。
嬉しくてつい笑みを浮かべてしまっている――そうとしか思えない笑顔であった。
「失礼しました。お客様があの御方の事跡をよく理解しておられましたから、思わず嬉しく感じてしまいまして」
「そいつはどうも。で……一体何が言いたいんだ?」
「創造主ロキは自らの正体に思い悩み、その探求の果てにメダリオンを生み出した。ここから先はそれを踏まえて御覧ください」
ヘルは再び歩を進め、地下室の一番奥まで向かっていた。
行き止まりのように思えたそこには、分厚い金属製の扉が立ち塞がっていたが、ヘルの操作で何の苦もなく開け放たれてしまう。
直後、形容しにくい臭いを帯びた空気が溢れ出た。
黴臭さ、焦げ臭さ、それとも生臭さだろうか。
耐え難いというほどではないが、不意打ちで吸い込んでしまうと怯まずにはいられない。
「お客様には、あの御方が参加した二つの戦いを追体験していただきました。無論、それらは必要だからこそ提供させていただいた再演です」
ヘルは顔色一つ変えず部屋に踏み込み、ついて来るよう俺に促した。
隠し部屋の内壁は、奇妙な機巧や装置で埋め尽くされていた。
よく分からない表示機器や、操作可能な部品が所狭しと並んでおり、俺にはきちんと操作することなどできそうにもない。
そして薄暗さのせいで中身までは分からなかったが、ちょうど視線の高さの辺りに、一抱えもあるガラス容器がずらりと並んでいるように見える。
「まずはこれを御覧ください」
ヘルがスイッチを操作してガラス容器に明かりを灯す。
薄暗闇の隠し部屋の中で、ライトグリーンの光が大量の容器を内側から照らし上げていく。
俺はそれらの一つ、最も大きな容器に視線を奪われてしまった。
液体に満たされた容器の中に、一人の少年とも少女とも付かない――いや、この距離からであれば少女だと断言できる――人間のようなものが、赤ん坊のように丸くなって浮かんでいる。
背筋が氷の杭に貫かれたかのように冷えていく。
これは先程の記憶の再現で発見した、魔力採取塔の底で眠っていた何かだ。
けれど、俺は気付いてしまった。信じられない事実を理解してしまった。
俺がロキの立場を充てがわれ、ノワール達がバウンティハンターの立場を充てがわれたように、これにも俺が知る人物が当てはめられていたのだと。
「……ガーネット!」




