第677話 イーヴァルディの望む未来
ひとまず店舗の方に引き返し、この場面で何をすべきなのか様子を探ることにする。
俺が置かれている状況は、演劇の舞台に台本も与えられず放り込まれ、幕引きまでアドリブだけで立ち回らされているようなものだ。
こうして言葉にしてみると地獄以外の何物でもないが、嫌だからといって舞台から下りることはできそうにない。
以前と同じ手段で脱出を試みたとしても、想定外の事態が起こる可能性は否定しきれなかった。
「なんだ、もう来てたのか。珍しく早かったな」
さっき来店した客の一人は、ワイルドハントのメンバーであるドワーフのイーヴァルディだった。
一緒に入ってきた連中は見知らぬ連中だったが、イーヴァルディの同行者なのかはよく分からず、たまたま同時に入ってきただけのようにも思える。
「とりあえずビール頼むわ!」
「お酒は日没後からの提供ですっ」
相変わらずなイーヴァルディの要求を、エリカは眉根を寄せて撥ね付けた。
店主のフラクシヌスから断られていたのに、本人がいなければ押し通せると思ったのだろうか。
困り果てた様子のエリカを横目に、俺は苦笑を浮かべることしかできなかった。
「まったく……シルヴィアの大変さがよく分かるなぁ……」
「はは……全くだな」
イーヴァルディはわざとらしく表情を歪めながら、典型的なドワーフ体型をどっかりと椅子に沈め、気を取り直したように俺の方へ顔を向けた。
「例の話なんだがな、やっぱり従来の冶金学的なアプローチじゃ手詰まりみてぇだ。お前の方の錬金術的な手段の開拓が上手くいきゃ、それに越したことはないんだが……」
「……例の話?」
「あん? 金剛鉄の人工精製の話に決まってるだろ。他に何かあったか?」
金剛鉄――その単語を聞いてすぐにイーヴァルディが言わんとすることを理解する。
神銀をも凌駕する希少金属にして、いかなる鋼鉄よりも『鋼鉄として優れた』性質を持つ超金属。
鋼が持つ長所を極限まで引き出し、短所を極限まで抑え込んだ究極形。
ガーネットが使っている剣の主要材質でもあるが、あれは元々魔王ガンダルフが用いていた、古代魔法文明に由来する武器だった。
「……まだ何とも言えませんね。とりあえず今日の夜にでも、これまでの実験成果を振り返ってみます」
ロキの研究が一体どんなものなのかは全く把握していないので、無難な言い訳でこの場を凌ぐことにする。
適当な出鱈目で誤魔化すくらいなら、また後で確認しておくということで先送りした方がいいだろう。
まぁ、これはあくまで再現された記憶にすぎないのだろうから、後々のことなど考えるだけ無駄なのかもしれないが。
「頼むぜ。金剛鉄を偶然に頼らず生産できるようになれば、相当広い分野の技術がレベルアップするだろうからな」
「もしも試作品が仕上がったら、最初は何を作ってみるんです?」
「そうさな……とりあえず俺の大鎚……はさすがに消費量が多すぎるか。まずは剣や刀だな。ガンダルフの馬鹿力や炫日女の炎に耐えられるんなら、大概のことじゃへこたれたりしねぇだろ」
そう語るイーヴァルディの髭面は、まるで子供のように楽しそうに輝いていた。
恐らくここで語られた金剛鉄こそ、魔王ガンダルフが魔王戦争の終局において振るい、後にガーネットの得物となった一振りなのだろう。
ガンダルフは金剛鉄の剣を奪われても何故か取り返そうとせず、それどころか引き続き使い続けることをあっさりと了承していた。
……正直、この辺りの感情を理解するには至っていない。
メインウェポンが別にあり、剣は補助的な武器に過ぎなかったから、大した思い入れがなかったのだろうか。
しかしこれまでの『記憶』を見るに、過去の仲間達にそこまで冷淡だったのだと断言するのは、少しばかり躊躇われた。
「俺の錬金術に期待するよりも、アルファズルに頼った方が確実なんじゃないですか?」
「それを言うんじゃねぇっての! 確かに今んとこ、天然モノに一番近付けられたのは、あいつの創造魔法だけどよ……何でもかんでも頼りっぱなしじゃ、格好が付かねぇだろうが」
エリカが名前の分からない飲み物をテーブルに置く。
イーヴァルディはそれを一息で飲み干して、似合わないことを口走ってしまったとばかりに鼻を鳴らした。
「……第一、ネームレスは俺達と違って人間だ。お前も自分が何の種族か分かってねぇにせよ、少なくとも人間ではないだろ。五年経っても成長すらしねぇ人間なんか聞いたこともねぇ」
場面が切り替わる一瞬で、再現された世界の時間が五年も飛んでいたのか。
そんなに経っても子供のまま変わっていないなら、種族不明だったというロキだって、少なくとも人間ではないということだけは明らかだ。
「ネームレスは百年も経たずに死ぬ。いくら創造魔法が優れていたって、死んだらそれまでだ。ネームレスに頼らないと作れないようじゃ駄目なんだよ」
「……だから、次の世代の人間達が自力で作れる手段を編み出したい……そういうことですか」
「ああ。ネームレスは凄ぇ奴だが、その凄さが人間を堕落させちまうことだけは、何としても避けなきゃならねぇ。人間達が駄目になっちまうのも、ネームレスがその原因になっちまうのも……どっちも気に食わねぇ」
特定個人に依存した属人的な産業は、当事者がいなくなった時点で崩壊する――身につまされる話だ。
俺達のホワイトウルフ商店も、ゆくゆくは【修復】スキルや『右眼』への依存を減らしていく必要があると思っている。
アルファズルの場合はその影響が相当大きくなってしまうのだろう。
だからこそ、イーヴァルディはアルファズルの魔法に頼らず、金剛鉄の人工精製手段を編み出そうとしている。
それが将来の人間達のためであり、将来におけるアルファズルの名誉のためであると確信しているから――
「イーヴァルディ……あなたって、アルファズルだけじゃなくて人間全体が好きなんですね」
「よせやい、気色悪い。エルフやら何やらよりは肩入れしてやりたい気分になるだけだ」
心底嫌そうな表情を作って見せながら、イーヴァルディは飲み物のおかわりをエリカに注文した。
照れ隠しの言動とは反対に、このドワーフは人間という種族を心から好ましく思っている。
自分の仕事が人間という種族の将来のためになることを望んでいる。
だからこそ――この願いの末路がアガート・ラムに成り果てることを思うと、胸の痛みを覚えずにはいられなかった。
「ところで、話は変わるんですが。あなたのところに新人の職人とか来てませんか? 若い人間の女だと思うんですけど」
「んっ? おう、いるぞ。結構スジがいいわ、やる気充分だわで将来有望だな。名前は……む、ど忘れしたか……」
「アレクシアでは」
「そうだ、それそれ! ……知り合いか?」
怪訝そうにするイーヴァルディに「ちょっとした顔見知りです」とだけ答えつつ、安堵に息を吐く。
まずは一人、アレクシアの居場所は見つかった。
それも狙いすましたかのような場所だ。
アレクシアが嬉々として働いている光景が目に浮かぶようである。




