第671話 次なる再現世界
――静止した世界が再び動き始める。
しかし眼前に広がる光景は、さっきまでの喫茶店とは似ても似つかない、都会の雑踏としか言いようのない場所であった。
「……あ、あれ……?」
確かにアルファズルは『全く別の場面が再現されることになるだろう』と言っていたが、まさかこんなにも極端な変化だとは思いもしなかった。
「何でもありなんだな、おい……」
困惑と呆れを同時に覚えて思わず苦笑する。
この世界は、比喩ではなく夢のようなものなのだろう。
それなら非現実的な場面転換だって不自然ではない。
「(……というか、ここはどこだ? 誰が作った再現かしらないけど、場面の説明すらないとか不親切にも程があるだろ)」
道行く人々は俺の存在を気に留めることもなく、何の変哲もない日常風景の一部として受け流し、西へ東へ絶えず歩き続けている。
とりあえず落ち着いて周囲を見渡してみる。
王都を越える規模の街並みと高層建築。
馬のない馬車は石畳の道路をごく当たり前に往来しており、誰一人としてその存在を特別視することはない。
しかし、それ以上に目を引くのは通行人の顔触れだった。
最初から分かりきっていたことではあったが、この街では様々な種類の魔族が当然のように暮らしている。
中立都市のような魔族の街ではない。
比率としては人間と魔族が半々といったところで、裏路地の入り口にたむろした不良も、人間にリザードマンに猫頭の獣人と多種多様だ。
「おいこら、そこのチビ」
「なーにジロジロ見てやがる」
「見世物じゃねぇぞコラ!」
俺がそんな風に好奇の視線を送っていたことが気に触ったのか、その三人組が肩を怒らせて近付いてくる。
しまったと思ったときにはもう遅い。
ろくなスキルを持たない上、こんな貧弱すぎる体になってしまっては、尻尾を巻いて逃げることすら――
「我々の新入りが、何か?」
――冷徹な低い声と共に、誰かの腕が俺の肩越しに背後から伸ばされる。
そのダークエルフ特有の質感の手に握られていたのは、クロスボウの握り手に円筒形の部品と細い筒を取り付けたような代物であった。
これが何であるのか、スキルも『右眼』も使わずに理解することはできなかったが、三人の不良達が露骨に怯んで後ずさったのを見るに、何かしらの武器の類であることは伝わってきた。
「げえっ! ガ、ガンダルフ……!」
「ま、待ってくれ! ワイルドハントの新入りとは知らなかったんだ!」
「喧嘩を売るとか、そんな気は全く! 勘弁してくれ!」
顔を真っ青にさせて裏路地に逃げ込む不良達の背中めがけて、ガンダルフが得物の引き金を引き絞る。
だが、武器の内部機構がカチリと音を立てただけで、攻撃らしきものは一切放たれなかった。
「町中で撃つと思ったか、馬鹿共め」
ガンダルフは軽蔑するように吐き捨てると、得物を腰のホルダーに収めて踵を返した。
「仕事だ、ついて来い」
「は、はい……!」
必要最低限の内容だけしか語られなかったが、それでも俺は新たに再現された世界の状況設定を理解し、役割に沿っていると思われる行動を取った。
要するに、俺が当てはめられている視点の人物は、あの後にアルファズル率いるバウンティハンターグループの『ワイルドハント』に加入したわけだ。
しかしまさか、あのガンダルフに助けられることになるとは。
個人的な親しみからの行動ではなく、あくまで仕事のために構成員を迎えに来たという程度の対応ではあるが、中々に得難い経験をしたという思いが浮かんでくる。
「念の為に確認しておく。今回のターゲットは廃ビルに住み着いた大型の魔物だ」
「大型の魔物……どんな奴なんですか?」
「獅子に近いとのことだが、大方どこぞの野良猫が高濃度魔力に晒され続けて変異した代物だろう」
ガンダルフは俺がいまいちピンと来ていないことに気が付いたのか、横目で冷たい視線を向けてから、更に説明を付け加えた。
「魔物は身体機能の一部として魔力を運用する生物の総称だ。種としてそのような機能を持って生まれるものもいれば、長期間に渡って高濃度の魔力に晒されることで肉体が変化した個体もいる」
「……そういう魔物もいるのか……」
「自然環境下では滅多に発生しない代物だ。それほどの魔力が一ヶ所に滞留すること自体が珍しく、一体の魔物が発生するだけで濃度が急低下するからな」
長い脚で淡々と歩き続けるガンダルフに追いすがりながら、俺はその横顔を見上げた。
ガンダルフは正面を――古代魔法文明の街並みを睨むように目を細めていた。
「だが、都市の発展で事情が変わった。地中を巡る魔力管は自然ではありえない高密度の魔力経路を構築し、そこから漏れ出した微量の魔力が一ヶ所に蓄積する事例が頻発するようになった」
「…………」
「魔力管は埋設から僅か数十年で激しく劣化し、新たな都市整備が優先されて修繕は先送り。たった数十年先のことすら想定できんのは人間の……いや、短命種の致命的な欠点だ」
ガンダルフの発言を言葉通りに受け止めたなら、これは人間に対する無遠慮な批判なのだろう。
しかし聞きようによっては、人間社会のあり方を真摯に受け止めていることの表れにも思えてくる。
この社会をどうでもいいと思っているのなら、的確な批判すらできはしないはずだ。
「着いたぞ。他の連中はもう到着しているはずだ」
立ち止まった場所は、街の中心部から外れた区画。
人通りも少ない寂れた大通りに面した、ずっと前に打ち捨てられた高層建築の前であった。




