第669話 アルファズルとの二度目の対話
「……アルファズル! この状況はお前の仕業か!?」
何よりもまず優先すべき問いかけを真っ先に投げつける。
この状況、原因として疑うべきはやはりこいつだ。
むしろ他に心当たりがないとすら言えるだろう。
ところがアルファズルは、肩を竦めてとぼけるような仕草をしてみせるだけだった。
「信じられないかもしれないが、私は君が置かれているこの状況に、何一つ関わりを持っていない。証明する方法は何もないのだがな」
「無関係って……本気で言ってるのか。この世界だってお前が……」
「いや、それも違う。この世界を再現したのは私ではない」
あらゆる仮説の根底を覆す発言に、俺は言葉を失わずにはいられなかった。
俺に『叡智の右眼』を与えたのは他でもないアルファズルだ。
にもかかわらず、その内部に再現された世界と無関係だと言い張るのか。
「考えてもみるがいい。君と私がこうして邂逅したのは、ガンダルフとの戦いの最中が最初で最後だったはずだ。あのとき、我々がいた空間はどのような形をしていた?」
「……それは……」
忘れるはずなどなかった。
あのとき俺達は何もない――壁も空もない真っ白な虚無の空間で対峙していた。
間違っても、こんな風に現実的な町並みなど存在していなかったはずだ。
「私が仮想人格を封印していたのは、あの空間だ。滅んだ町並みの再現などしてはいない」
「だ……だったら! ここは一体、何なんだ!」
俺はテーブルに身を乗り出して声を荒げた。
今の俺は子供のように幼くなり、アルファズルは若々しい青年の外見になっているが、精神的には最初の邂逅のときと何ら変わっていないはずだ。
ならば、目の前にいるのは世界の滅亡まで戦い抜いた老賢者であるはずで、俺などには及びもつかない知識を蓄えているはずなのだ。
「おおよその見当はつく。滅亡した文明を再現したのが誰なのか、一体何のためにこんなものを作り、君を招き入れたのか。だが……今はまだ語るべきときではない」
「…………っ!」
「そう怖い顔をするな」
アルファズルは椅子の背もたれに体を預け、苦笑するように口元を歪めた。
こんな風に会話を交わしていると、ガンダルフ達が信仰に近い執着を見せるアルファズルも一人の人間なのだと感じ、妙な安心感を覚えそうになってしまう。
いや、だからこその異様な執着心なのかもしれない。
遥か遠くに見上げるだけの、一方的に敬意を捧げる遠い存在ではなく、隣で歩み続ける存在だったからこそ――失ってもなお強い思いが消えることなく、幾星霜を重ねるごとに強くなっていったかのような――
「物事には順序というものがある。知識と情報もまた然りだ。適切な順序で見聞しなければ、歪んだ理解に至ってしまう恐れがある。この度の真相はそういう類のものであると見た」
「……今ここであんたから正解を聞きだしたら、結果として良くない方向に転がるってことか?」
「その懸念がある。断言はしないがな」
できないではなく、しないときたか。
これが深い意味のない枝葉末節なのか、それとも本当は断言できるのにあえてしないのか……とてもじゃないが理解できそうにない。
だが、理屈自体は納得できる範疇ではある。
他人に何かを説明するときは、順序を立てて、筋道を立てて伝えなければ、不要な混乱と解釈のズレを引き起こす恐れがつきまとう。
単に混乱させるだけならまだ取り返しはつくが、全く違う理解をさせてしまってしかも訂正できないとなると、場合によってはお互いにとって良くない結末を迎えることもありうるだろう。
「アルファズル。その言い方から察するに、この世界は『誰か』が俺に『何か』を伝えようとしているってことか?」
「概ね肯定しておこう。対象が『君』だけであるとは限らないがな」
「伝えるのは誰でもよかったけれど、俺がたまたま条件を満たしたっていうパターンか。これも断言はしないんだな」
声に出して返答はしなかったが、アルファズルの表情は無言の肯定を示していた。
俺は長い溜息を吐きながら、これまでのやり取りで得られた情報を頭の中で整理することにした。
まず、古代魔法文明を再現したこの記憶世界は、予想に反してアルファズルが作り出したものではなかった。
この空間を生み出した正体不明の何者かは、第三者に何らかの情報を伝えるためにこんな大仕掛けを用意したようだが、その内容と、想定された伝達対象が誰だったのかまでは分からない。
アルファズルは既に全てを見通しているようではあったが、その何者かの意図した通りの情報伝達が妨げられることを懸念し、己の口で真相を語ることを拒否している。
「(裏を返せば、アルファズルがこんな配慮をしようと思う相手ってことだ。これだけでもかなり絞られてくると思うんだが……やはり、あの……)」
現状、容疑者は片手で数えられる程度しかいない。
特に可能性が高いのは、たった一人。
その人物が記憶世界を生み出した張本人だったなら、これまでに感じていた違和感の幾つかがまとめて氷解する。
もっとも、今まで名前も存在も知らない人物である可能性も否定しきれず、その場合は完全にお手上げとなってしまうのだが。
「いい機会だ。君が懸念しているであろう事柄に、幾つか答えておこう」
アルファズルはそう言うなり、まるで俺の心を読んだかのように、的確な発言を繰り返した。
「まず、現時点では君の体を無理に譲ってもらうつもりはない。他に手段がない状況に追い込まれない限りは、だが」
「……ガンダルフやエイルに会いたいとは思わないのか?」
「別れはとうの昔に済ませてある。再会を拒絶するわけではないが、何に代えてでも果たすべき目的というわけではない。彼らがどう思っているのかまでは把握しかねるがな」
これは、残された生者と死者本人の価値観の相違、とでもいうべきか。
奴らが聞いたらどんな反応を示すことだろう。
「そしてもう一つ。この『右眼』だ」
アルファズルは眼窩周辺を侵食した『右眼』の脇を軽く指で叩いた。
「発動を重ねるごとに魔力の発動領域が拡張を繰り返し、眼窩の周辺まで亀裂が走り始めているのだろう? そして遠からず取り返しの付かないことになるのではと懸念している……違うかな?」
「……普段から俺の心でも読んでるのか?」
「かつて自分の身に起きたことだ。心を読む力など必要ないさ」
そう言って浮かべた表情は、微笑みとも哀れみとも――あるいは楽しみを前にした顔のようにも見えた。
「結論から言おう。現状の使い方なら問題はない。私が内側から複数の枷を設けているからな。ただし……これ以上の力を求めるならば気をつけろ。三つの枷を一つ外すごとに、君は一歩ずつ着実に戻れなくなっていくだろう」




