第666話 未知なる世界の光景
これは何かの記憶の再現なのか?
――混乱する頭でどうにか考えをまとめようとする。
あのときといくら勝手が違っても、これもまた『右眼』に宿った記憶であることは間違いないはずだ。
もしかしたら、これはアルファズルの記憶の再現なのかもしれない。
世界を形作る情報の出処がアルファズルなら、この視点そのものが奴のものであってもおかしくないはずだ。
……なんてことを思い浮かべてはみたが、現状だとただの妄想に過ぎない。
とにかく現状把握が最優先だ。
俺は差し出されたエイルの手を取って、重い体を無理矢理に立ち上がらせた。
「君、名前は?」
「……ルーク」
「ルーク君ね。歩けそうなら、ちょっとついて来て。ゆっくり休めるところに案内するから」
これが本当に現在のエイルと同一人物なのか不思議に思ってしまう。
外見はエルフとしてもまだ若いようなので、年令を重ねたことで性格が変化してもおかしくはないのかもしれない。
だとしたらこれは、一体何千年前の記憶なのだろう。
いわゆる一般的なエルフが生まれる前の時代と考えると、歴史の分厚さに目眩がしそうになってしまう。
「エイル。その子の名前を聞くなら、私達も名乗っておいた方がいいのでは?」
「あ、そっか。私はエイルで、そっちのは炫日女。どっかで見たことないかな?」
笑顔でそんなことを尋ねられ、思わず言葉に窮してしまう。
まさかこちらの事情を把握されているのでは。
万に一つの可能性を捨てきれず、ひとまず首を横に振って否定する。
するとエイルはがっくりと肩を落とし、表情豊かに落ち込んでみせた。
「そっかぁ……少しは有名になってきたかと思ったんだけどなぁ」
「自惚れないでください。裏方に知名度なんてあるわけないじゃないですか」
「うわぁ、辛辣。先輩としてはもーちょっと敬意が欲しいなーって……」
「そもそもアイドル売りは御免被ります。エイルもそういうの苦手でしょうに。人前で話すときはいっつも声上ずってますよね。第一、お姉さんぶるの似合ってないですよ」
「ちょ、知らない子の前でそれ言っちゃ駄目でしょ!」
何ともまぁ歯に衣着せぬやり取りを交わすエイルと炫日女を、俺は半歩ほど後ろをついて歩きながら眺めていた。
先程からケイサツだのアイドルだのと独特な語彙が混ざっているが、こういうのはお互いに気のおけない間柄のやり取りだ。
相手を嫌悪して悪口を言うのとは全く違う、遠慮なく話せるからこその態度だと思っていいだろう。
外見だけで言うなら、エイルはサクラよりも更に年上ではあるものの、人間の外見年齢換算で二十には達していないであろう容貌だ。
対する炫日女はシルヴィアよりも年下のように見え、見た目だけ若返ってしまった俺より更に若いように感じられる。
確かにエイルの方が先輩だと納得してしまいそうになるが、そもそもエイルは長命種のエルフなので外見年齢は当てにならないし、同じ団体に加入した順番で考えているなら年齢は最初から無関係である。
「(それにしても……)」
歩道を歩きながら町並みを見渡して、その異様さというか高度さに圧倒される。
馬のない馬車が何台も車道を走り、頭上を空飛ぶ船がゆっくり横切っていく。
大きな交差点の四隅には、日中でありながら明かりを点けた街灯が立っていて、その色の切り替わりに応じて車両が停止と進行を繰り返している。
古代魔法文明を名乗るからには、これらも魔法によって成立した道具なのだろう。
以前の静止した記憶世界では分からなかった、確かに息衝く高度な古代文明。
なるほど確かに、機巧技師や魔法使いが見れば、それだけで十二分にひらめきを得ることができそうだ。
「それにしても、最近の夏って暑くない? 昔はもっと涼しかった気がするんだけど」
「エイルの最近は私が生まれる前ですよね。なので全く記憶にありません」
「いやいや、そこまで遡った話じゃなくってね。十年くらい前と比べたらってこと」
「十年前はまだ物心ついてないですね」
「うぇ、マジで!?」
「マジですが何か。十年前ですと現役で幼児ですよ、私。そんな信じられないものを見る目をされても困ります」
炫日女はじとっとした視線をエイルに送ってから、少し後ろを歩く俺に振り返り、軽く表情を崩して微笑んだ。
「目的地はちゃんと涼しいと思いますので、安心していいですよ。あんなところにひっくり返っていたら、気温で参って当然です。エルフは干物みたいに乾燥しても水で戻せますが、人間はそうはいきませんからね」
「いやいや、何その分かりやすいデマ。戻らないからね? 普通に死んじゃうからね?」
何やら体調を心配されているようだったが、そんなに顔色が悪かったのだろうか。
手鏡を見せられたときは、自分が意味不明に若返っていることに気を取られてしまい、細かいところまで観察することができなかった。
王都も顔負けの都会の片隅を歩き続け、辿り着いた先は春の若葉亭よりも一回り程度小さな――そして同じ街の建物の中では相当に小さな建築物。
エイルがその扉を押し開けると、真新しいドアベルが小気味いい音を立て、同時に驚くほどの冷気が噴き出してきた。
「うわっ……!」
思わず足を止めて目を剥いてしまう。
魔法による屋内気温の冷却、とでもいうべきか。
術者の姿がどこにも見当たらないあたり、魔道具でこの機能を実現しているのかもしれない。
俺も以前、実験のために部屋を丸ごと一つ冷却して、寒冷地の気候を再現したことはある。
それを快適な生活環境のために使うという発想――しかも建物の相対的な貧相さから察するに、これはこの建物だけの特別な設備ではないはずだ。
むしろ『こんな建物にも行き届いているほどに当然の技術』と考えるべきだろう。
「あーっ、涼しー! 生き返るー……」
エイルが冷風の発生する方向に向けて小走りに駆けていく。
炫日女はその背中を呆れ気味に見送ってから、自分について来るよう手振りで示してきた。
「皆はまだ戻っていないようですね。何か冷たい飲み物を用意してもらいましょう」
「え……でも、ここって……」
落ち着いた雰囲気の屋内にテーブルがいくつも並べられ、カウンターと思しき場所にも椅子が配置されている。
そして、それらの椅子には様々な種族の面々が座っており、卓上には飲み物と簡単な食べ物が配膳されていた。
これは誰がどう見ても飲食店の類だ。
さすがに夢とはいえ、自分が古代魔法文明の通貨を持っているはずはないのだが――
「お金なら気にしなくても平気ですよ。ここは私達の友達のお店なので。一杯くらいは気前よく奢ってもらいましょう」
炫日女は少し悪戯っぽくそう言って、カウンターの方に向けて呼びかけた。
「いませんか、フラクシヌス。何でもいいのでジュースをお願いします。できれば酸っぱくないのがいいですね」




