第663話 好奇心と懸念事項
アレクシアから全く想定外のことを頼み込まれ、俺は思わず面食らってしまった。
今となっては懐かしさすら感じる話だ。
虹霓鱗騎士団からヒルドが派遣されてすぐ、俺はヒルドの要請を受けて『叡智の右眼』の調査をしたときのこと。
俺達は魂を『右眼』の内側に存在する精神世界――らしきものに引きずり込まれ、更にハイエルフのエイルによる妨害工作によって調査すらおぼつかないという状況に陥ってしまった。
しかも妨害を退けたはいいものの、エイルの手で再度の調査を封じられてしまうという結果に終わってしまったのである。
「とりあえず、あのとき『右眼』を調べたのは俺じゃなくてヒルドだぞ」
「あれ、そうでしたか。ではヒルド卿にも協力を仰がなければなりませんね」
「……それとだな、今からもう一度調べたとして、何か成果は期待できそうなのか?」
エイルが『右眼』の記憶を封鎖したのは、そこに俺達が知るべきでない知識が眠っているからだったという。
あのハイエルフは、かつてアルファズルが守った世界を維持することを良しとしており、そのためには『右眼』に封印を施す必要があったと主張していた。
だが最終的に、エイルの封印は魔王ガンダルフの手で解除された。
対アガート・ラム同盟を結ぶことが決まったとき、ガンダルフは古代魔法文明と現代の人類に隠された秘密を語り、もはや『右眼』の記憶を封印する必要はないと宣言した。
これによって『叡智の右眼』の調査を再開することは可能になったのだが――結局、今の今まで『右眼』をもう一度調べようという意見が出てくることはなかったのであった。
理由はほぼ間違いなく、誰もがアガート・ラムとの戦いの準備に取り掛かりきりだったからなのだろうが……。
「ありますよ! 大アリです! 魔王城で何を聞いたのかは知りませんけど、私達に情報が降りてこないということは、機巧や魔法に関する情報じゃないんでしょう? もしもそうだったら、間違いなく『お前らが分析しろ』って要請されてるはずですからね」
「む……確かにそれはそうだろうけど」
「それにですね、私達にとっては古代魔法文明の町並みを見るだけでも充分なんです。高度な技術が投入された文明を視察する、それだけで大いに得る物はあるんですよ」
力強く語るアレクシアの隣で、ノワールが何度もうんうんと首を縦に振っている。
この辺りは機巧技師や魔法使いらしい視点というべきだろう。
同じ風景を見たとしても、立場が違えば見出すものも違ってくる。
学者や技術者と呼ばれるような人達であれば、俺がただ『物珍しい未知の光景だ』としか思わないものであっても、それらを現代の技術で再現できるかとか、参考にして技術を発達させられないかとか、そういった視点から物事を考えることができるのだろう。
「さすがに住人までは再現されていなかったそうですが、乗り物なんかはありましたよね? インフラも再現されていましたよね? でしたら充分ですとも!」
興奮した様子でアレクシアがどんどん距離を詰めてくる。
ノワールの方も、普段と比べれば格段に熱意を感じる眼差しで、アレクシアの後ろからじっと視線を送ってきている。
「突入作戦の準備が滞らないようなら、だな」
「でしたら問題ありませんね。諸々の設計は終わりましたから、組合の方に試作品の部品製造をさせているところです。それが仕上がるまでは、しばらく私のやることはありませんので」
なるほど、これでは断る理由も見つけられない。
相変わらずアレクシアの仕事ぶりは見事なもので、締め切りギリギリまで粘って泡を食うようなこともなく、余裕を持って作業を進めているようだ。
「……分かった。お前からヒルドに頼んでスケジュールを組んでくれ。多分、誘ったら二つ返事で了承すると思うけどな」
「もちろんです! ありがとうございます、ルーク君!」
アレクシアとノワールが喜色満面で手を打ち合わせあう。
前者は満面の笑みで、後者は控えめな微笑みだが、喜びの度合いはどちらも同じくらいに大きいようだ。
ひとまずヒルドとの予定のすり合わせ次第ということで話がまとまり、二人が上機嫌で店の方へと戻っていく。
それと入れ違いに、ガーネットが訝しげな顔で俺のところへ戻ってきた。
「何かお前、妙に渋ってなかったか? お前も二つ返事で了承しそうなイメージあったんだが」
「聞いてたのか。まぁ……場所が場所だけに、ちょっとな」
魔王ガンダルフが語った人類の秘密は、今のところごく限られた人間だけにしか公表されておらず、今後は状況を見ながら少しずつ明らかにしていくということになっている。
その秘密が例の精神世界に隠されているのだとしたら、そこにノワールとアレクシアを連れ込むのは少々リスクがある。
しかし、だからといって拒否してしまうのは勿体ない提案だ。
二人が主張する通り、古代魔法文明の記憶から得られるものがあるなら、それは現代文明を大いに発展させるきっかけにもなりうる。
だが、問題はそれだけでなく……。
「……ひょっとしたら、アルファズル絡みでまた厄介なことになるかもしれないからな。正直言ってそれが一番の懸念事項だよ」




