第657話
管理者フラクシヌスとの情報共有を終えてすぐに、俺達は割り当てられた宿泊場所へと引き返すことにした。
この建物と樹木が溶け合ったようなアスロポリス独自の建築物は、まるで森の中で過ごしているような錯覚に襲われる一方で、きちんと屋根の下で休息を取った場合と同じくらいに寛ぐことができる。
今となってはすっかり慣れてきた感はあるが、到着したばかりの冒険者達は口々に『何だか不思議な感じがする』と訴える建築様式である。
テラスのように屋外と面した廊下を歩き、二階部分の広間のような場所に立ち入ろうとしたところで――少し先にいたガーネットが立ち止まるように促してきた。
何かあったのだろうかと疑問に思ったのは一瞬だけ。
広間の中を軽く覗き込んだだけで、ガーネットが立ち止まった理由は理解できた。
出入り口の反対側の窓際に、アレクシアとレイラの二人並んだ後ろ姿が見える。
「……要するに、トラヴィスさんとの距離を詰められなくて悩んでると」
「え、ええ……簡潔に言うとそうなります……」
どうやらレイラがアレクシアに相談を持ちかけているらしい。
恐らくだが、レイラは羞恥心から直接的な言い方で相談することができず、遠回しに遠回しを重ねて心境を告白していたようだ。
俺も事あるごとに邪魔が入らないように手を回し、今日も二人きりになれるようにしておいたのだが、レイラ本人としては今ひとつ望ましい成果を挙げられなかったのか。
ここで俺達が――というか俺が乱入してしまったら、せっかくレイラが勇気を出して不安を打ち明けたというのに、再び口を噤んでしまうことになりかねない。
「うん、まぁ単刀直入にいうけどね?」
アレクシアは普段と変わりないあけすけな態度を保ったまま、俺も薄々思っていたことを真っ向から投げつけた。
「とりあえず、トラヴィス様って呼ぶの止めたらいいんじゃない?」
「……っ! やっぱり、そうなんでしょうか……」
「そうそう。様付けなんてね、手が届かない憧れの相手にするものでしょ。あえて距離を保って遠くから眺めたい無意識の表れっていうか」
この場所から見えるレイラの横顔には、図星を指された気まずさがありありと滲み出ていた。
レイラ自身も本当にそれでいいと思っていたわけではなく、無自覚にやってしまっていたことを客観的に指摘され、言い返すこともできなくなってしまったようだ。
「見てるだけで嬉しい憧れの対象なんかじゃなくて、しっかりとっ捕まえてしまいたいなら、自分から距離詰めていかないと駄目なんじゃない? あれじゃ単なる追っかけに後退しちゃうだけでしょ」
「……その通り、かもしれません。お近付きになれただけで気が緩んで、そこから前に進むのを怖がっていたのかも……」
己を見つめ返し、トラヴィスとの関係を深めていく覚悟を固めていくレイラを、アレクシアは満足げに見つめている。
俺もこれまでに様々な形で二人の後押しをしてきたつもりだが、それでもやはり年下の異性であるレイラには、あまり踏み込んだ助言ができていなかった気がする。
その点アレクシアは、俺とレイラの共通の知人の中でも最適だといえる人選だ。
レイラも適当に相談を持ちかけたわけではなく、その辺りの相性を考えて選んだのだろう。
「ありがとうございます、アレクシアさん。私、こういうことに経験がなくて……周りにもお手本になる人がいなかったので、どうしても手探りに……」
「うっ、なかなか痛いとこ突かれちゃったな。私もノワールも独り身だしねぇ。エリカとかはまだまだ恋より仕事って感じだし」
「……あっ! その、違います! 家族や親戚にいなかったという意味でして!」
アレクシアのわざとらしい演技に、レイラが大真面目な反応をして慌てている。
「分かってる分かってる。参考になりそうな人っていうと、お子さんもいるフローレンス支部長か、それとも……っと、むしろアレだね。ルーク君が婚約者さんを連れてきてくれたら、色々と生々しい話を聞けるかも」
「な、なるほど……アージェンティア家のアルマ嬢ですね……私も少しばかり関わらせていただきましたが、大変な大恋愛だったようですし……参考にできますか……?」
「あなたも大概でしょ。その瞳を見たら、私だってどこの家柄の子なのか察しちゃうよ」
俺とガーネットは揃って言葉を失って固まった。
全く意味が分からない。
どうしてこれまでの流れで、俺達にクリティカルな流れ矢が飛んでくるんだ。
確かにアルマをグリーンホロウに連れてきたことはなかったが、それにだってちゃんとした理由はあるのだ。
「うーん、私もまた会ってみたいなぁ、アルマちゃん。王都に行ったとき遠巻きに見たくらいで、あんまり話す機会もなかったんだよねぇ。今度、ルーク君に連れてきてもらえないかお願いしてみましょうか」
「いいですね、アルマ嬢からもお話を伺ってみたいです」
何やらアレクシアとレイラが見当違いの方向で盛り上がりを見せている。
二人が俺達の存在に気付いた様子はなかったが、しかしこの空気の中に割って入るような勇気はない。
俺はガーネットと視線を交わし、お互いに一言も発することもなく、こそこそと広間の前から引き上げてしまったのだった。




