第656話
今まで曖昧な認識だった魔獣と神獣の違い。
それがまさかこんな形で明らかになるだなんて、まさしく夢にも思っていなかった。
「おい、ちょっと待て。そういう話はもっと先に聞かせてもらえなかったのかよ」
俺の隣にいたガーネットが率直な疑問を投げかける。
同じ疑問は俺も思い浮かべてはいたが、ここまで真っ向から尋ねられるのはガーネットだからこそだ。
『申し訳有りません。あえてお伝えする必要性に乏しいと判断していました。何故なら――神獣のメダリオンは全て破壊されているはずでしたから』
「……そりゃあ、古代魔法文明が滅んだときにか?」
『はい。アルファズルを始めとする同士達が死力を尽くし、観測された全ての神獣を討伐し、メダリオンを破壊もしくは分割したのです。そうでなければ、ダンジョンに逃れた生命も神獣によって滅ぼされていたことでしょう』
フラクシヌスの淀みのない返答に、ガーネットは言葉もなく口を引き結んでしまった。
もはやこの世に存在し得ないモノだと認識していたから、情報提供の優先順位もかなり低くなり、今の今まで教える機会が見当たらなかった――理由の説明としては形になっている。
古代魔法文明とメダリオンに関する情報の総量は、恐らく真っ当に語り聞かせていたら、何年経っても終わらないほどに膨大であるに違いない。
だからこそフラクシヌスも、情報に優先順位を付けてこちらに提供し続けており、既に滅んだはずの神獣の詳細は後回しになっていたのだろう。
「いや……ちょっと待て。魔王ガンダルフは第四階層にいる奴を『神獣』だと言っていたんだぞ。生き残りがいるじゃねぇか」
『あれは残骸に過ぎないはずです。神獣ドラコーン・パイロス。炎の如き赤い竜。そのメダリオンの断片が、ダンジョンを維持するシステムの一部に組み込まれている……それだけに過ぎないはずなのです』
「じゃあどうして、ガンダルフはあんな言い方を……」
『私には分かりかねます。ただの不親切な言い回しに過ぎなかったのか、あるいは私が第三階層を離れてから状況が変わったのか……』
ガーネットは再び言葉を失って、俺に横目で視線を投げてきた。
どうやらこの件でフラクシヌスを追求する意味はないようだ。
聞かされた内容が正しいならフラクシヌスも真相を知らないわけだし、仮に隠し事をしているのだとしても、問い詰めたところで素直に白状する相手ではない。
問題はむしろ、ガンダルフがどうしてこの情報を教えなかったのか――
「――魔王ガンダルフに悪意があったと疑うのは簡単ですが、そんな風に考えなくても説明はできますね。本当のところは後で確認しておく必要はありますけど」
俺はガーネットと入れ替わる形で口を開いた。
「例えば貴方が仰るとおり、メダリオンの残骸があるということを比喩的に表現しただけかもしれません。対アガート・ラムの共同戦線には無関係な情報ですから、正確さを保証する義務はないわけですし」
王国と魔王軍は共通の敵を相手に手を組んだが、しかし無条件で全てを共有し合うほどの関係を築いたわけではない。
お互いにアガート・ラムとの戦いに必要な情報と資源を融通し合う協定であって、奴らとの戦いには関係しない物事については秘密にしておくのが当然だ。
これは人間側も同様で、共同戦線には無関係なので秘匿している情報など、数え上げるのも意味がないくらいに山程ある。
「ただ、メダリオンの残骸の状態でありながら、長い時間を掛けて肉体を再生させてきている……という可能性も否定しきれませんけど。少なくとも眷属のドラゴンは生み出せているようですしね」
「仮にそうだとしても、オレ達に真相を明かす義理はないって開き直りそうだけどな」
「それは仕方ないだろ。アガート・ラムが第四階層と関わりを持っていない以上、あの階層の情報を包み隠さず明かす義理なんてのは、本当に存在しない代物なんだからさ」
魔王ガンダルフの肩を持つわけではないが、第四階層の奥に存在する神獣だかメダリオンの残骸だかについての詳細な情報は、正しく教えてもらえなかったことに文句を言える対象ではない。
もちろん、それがアガート・ラムとの戦いに大きな影響を与えるなら話は別なのだが。
「ええと、ドラコーン・パイロス、でしたか。実はその神獣よりも気になることがあるのですが、質問させていただいても?」
『構いません。どうぞお聞きください』
「それでは遠慮なく。魔王ガンダルフ曰く――現代の地上の人間は、古代魔法文明の生き残りが人口減少に歯止めを掛けるべく、人間に酷似した『リーヴスラシル』を利用して人口を増やしたものだそうですね」
ガンダルフから聞き出した情報の中でも、これが最も強烈なインパクトを帯びていたと思っている。
軽々しく広められない真相ばかりであったが、中でもこいつは特別だ。
「ところが、魔獣は人間との意思疎通ができないとのこと。リーヴスラシルも当時の人間との意思疎通ができなかったのでしょうか」
『……人間達は、本来のリーヴスラシルをそのまま用いたのではありません。より一層人間に近付けるための改変を重ね、その産物を用いて個体数の回復を図ったのです』
「そう言えば……ガンダルフも同じようなことを言っていました」
『つまりはそういうことです。私はその研究に関わらなかったので詳細は知りませんが、本来のリーヴスラシルはヒトの形をした魔獣に過ぎなかったようですね』
何故かは知らないが、そう語るフラクシヌスの声からは、悲しみのようなものが感じられた気がした。
理由は想像もつかないし、何に対しての哀れみなのかも分からない。
ただ俺は、このまま不躾な質問を続けるべきではないと直感し、ひとまず今日のところは引き上げることにした。
「……ありがとうございます。また何かありましたら、いつでも仰ってください。できる限り力になりますから」




