第655話
俺達は現場で済ませられる事後処理と情報共有を終えてすぐに、湖を離れて中立都市へと引き返した。
なるべく野営を避けるという方針で準備をしていたので、あまり念入りな準備はしていなかったし、何より一刻も早く地上へ持ち帰りたい情報が山程ある。
そういうわけで、天井が発光を止める日没までに中立都市へ引き返して、管理者フラクシヌスから用意された部屋で一泊することにしたわけだが……その前に、今回の作戦のリーダーとして済ませておくべきことがある。
ガーネットを伴って赴いた先は、肉体を持たないフラクシヌスが魂を宿らせた大議事堂。
今回はフラクシヌスに何らかの報告をする必要があるわけではなかったが、そういった必要性とはまた別に、はるか昔から生きるフラクシヌスの話を聞きたい理由があったのだ。
「わざわざお時間を作って頂いてありがとうございます。実は、メダリオンと魔獣のことでお伺いしたいことがありまして……」
大議事堂の最奥の発光する壁――すなわちフラクシヌスの意識と魔力が宿った場所を見上げながら、手短に用件を述べていく。
まずは湖で戦った二体の魔獣について説明し、それらが一体の魔獣であるかのように振る舞っていたことを報告する。
もちろん奴らが第三階層への侵入経路を塞ぐ番人であったことも。
その上で尋ねる内容は、フラクシヌスでなければ魔王ガンダルフかハイエルフのエイルでなければ知り得ないような事柄だ。
「複数の魔獣を合体させる。命令を与えて使役する……単刀直入にお聞きします。古代魔法文明が滅ぼされた戦いにおいて、魔獣をこのように運用することはあったのですか?」
しばしの間をおいて、壁の奥に宿った魔力の塊がじわりと輝きを増し、頭の中に直接声が浮かび上がってくる。
『……順番にお答えします。まずは複数の魔獣が結合したとのことですが、そのような事例を私は知りません。恐らくは私が第三階層を離れて以降に、アガート・ラムが新たに生み出した技術なのでしょう』
「魔王ガンダルフも知らなかった可能性が?」
『否定できません。彼らがいずれガンダルフと敵対するつもりだったのなら、意図的に情報を伏せていたとしても不思議ではありませんね』
これについては予想通りである。
もしもアガート・ラムがそんな代物を生み出せると分かっていたなら、曲がりなりにも共闘関係を結んだガンダルフあたりから、何かしらの情報が来ていないのは不自然だ。
『そして魔獣の使役ですが……ある意味では肯定、ある意味では否定せざるを得ません』
「と、言いますと?」
『魔獣の戦力化については当時から研究されていました。ガンダルフ、イーヴァルディ、そしてアルファズル……我らの仲間だけでなく、数多くの研究者が取り組んだ課題であったといえるでしょう』
「ある意味では肯定、ということは、その努力は実を結んだと考えていいのでしょうか」
フラクシヌスの魔力の塊が、俺の問い返しを肯定するように淡く輝く。
『メダリオンを核として魔獣を生成し、人類側の戦力として運用する。それ自体は限定的ながら実現に至りましたが、運用はごく限定的なものになっていました』
「限定的、ですか。一体どうして……」
『攻撃対象の書き換えが精一杯で、細かな命令を与えることは遂に達成できなかったことが一つ。他の理由としては、技術の確立が文明の最末期で、もはや抵抗を放棄せざるを得ない時期に差し掛かっていたことが挙げられます』
これまでに戦ってきた魔獣のことを思い返す。
最初に戦ったスコルは自衛目的で戦っていたようにしか思えなかったが、次に交戦したムスペルは明らかにアガート・ラムの戦力として運用されていた。
古代魔法文明を滅亡に追いやった魔獣を操って戦力とする――あのときアガート・ラムが実行していた戦術は、文明滅亡を懸けた戦いの最中に編み出されたものだったようだ。
「細かな命令を与えることはできなかった。それはつまり、今回のダゴンとマザーヒュドラの行動は、当時の基準からするとあり得ないことだったわけですね」
『はい。命令に従って湖底に身を隠し、地下水路への侵入者を的確に排除する……ここまで意のままに操られた魔獣を、私は見たことがありません』
驚きより納得が先に湧き上がってくる。
あの二体はスコルのように自分の身を守るため牙を剥いたのではなく、明らかに侵入者の排除を目的として行動していた。
そしてムスペルのように、ただ目の前の敵と戦えばいいシチュエーションで力を奮っただけではなく、的確に俺達の足を引っ張る戦い方を繰り広げていた。
『理由は二つほど考えられます。まず一つはアガート・ラムの技術革新により、かつてよりも事細かな命令を与えられるようになったという可能性。そしてもう一つは……』
「魔獣が自分達の意志で従っている可能性、という辺りでしょうか」
『……その通りです。魔獣はメダリオンを核に魔力で生成された存在ではありますが、同時に自我を持つ生命体でもあります。殆どの魔獣は獣並みの知性だったのですけれど……』
「充分ですね。狼も従うべき相手を見定められますし、熊だって頭を使って戦うものですから」
魔法的な存在としてコントロールする術を開発したのか、あるいは生物として使役する手段を編み出したのか。
方法がどちらであるにせよ、アガート・ラムが魔獣を制御し、戦力として使いこなしていることは間違いない。
わざわざフラクシヌスのところに足を運んだだけの価値はあった。
今後の敵戦力の推定に大きく貢献してくれる証言だ。
「……そうだ、最後に一つだけ」
立ち去り際に、俺はフラクシヌスの方に向き直って最後の質問を投げかけた。
「魔獣の殆どは獣並みの知性ということでしたが、ひょっとして人間並みの知性を持った個体もいたのでしょうか」
これは何の根拠もない思いつきだ。
もしかしたら存在するかもしれないという程度の発想を、ここぞとばかりに尋ねてみただけに過ぎない。
だがフラクシヌスからの返答は、そんな軽い動機に反したものであった。
『数ある魔獣の中でも、人間と同等の知性を持ち意思疎通を可能とした個体……我々はそれらを神獣と呼んでいました。ガンダルフが身を潜めたという第四階層に潜む、眷属のドラゴンを際限なく生み出す存在……それもまた神獣の一個体、人間と同等の人格を持つ生命体です』




