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第65話 血と氷の死闘

 決して広くない氷のドームの内側で、ダークエルフの戦士ノルズリと対峙したまま、可能な限り冷静かつ素早く現状を分析する。


 腹の底は煮えたぎるようだったが、怒りに我を忘れて勝てる相手ではない。


 まず、俺達に有利な材料は三つ。


 先ほど防壁と【融合】させた剣が放棄されていて、ノルズリが武器を所持していないこと。


 ナギに右目を潰されたことで、攻撃の精度が明らかに低下していること。


 そして、まだ俺が使える手段の全てを見せたわけではないこと。


 ――特に最後の一つが重要になるはずだ。


 全力の【分解】は奴に見せていないし、吊橋の戦いの前にノワールから渡されたアミュレットとスクロールも消費していない。


 戦闘能力のぶつけ合いでは絶対に勝ち目がないのだから、限られた手札を確実に叩きつけていくだけだ。


「私を殺したいだと? 身の程を知れ、人間ッ!」


 ノルズリが金属鎧の両拳に氷の刃を生成し、凄まじい速度で間合いを詰める。


 その突撃に呼応して、サクラはヒヒイロカネ合金製の脇差に手をかけて神速の抜き打ちを繰り出した。


 灼熱の刃が氷の刃を一方的に溶断する。


 更に、兜を失ったままのノルズリの頭部めがけて、白熱した刃の刺突が繰り出される。


「無駄ッ!」


 ノルズリが素早くかざした手の先で冷気が爆ぜる。


 【発火】スキルによって加熱されていた脇差が瞬く間に熱を失い、切っ先からサクラの肘辺りまでが氷に覆い尽くされた。


「くっ……!」

「貴様は後だ!」


 横から薙ぎ払うような蹴りを見舞われ、サクラが氷壁に激突させられる。


 それと同時に氷壁の表面が形を変え、一瞬のうちにサクラの下半身を取り込んでしまった。


 自由になるのは左腕のみ。

 両脚を固められては【縮地】を発動させることもできない。


「おのれ……! ルーク殿!」

「殺したところで直されるようでは埒が明かん。まずは――」


 ――だが、サクラは充分な時間を作ってくれた。


「ブラックファイア!」


 魔力結晶を握り込んで広げたスクロールが術式を紡ぎ、黒魔術の炎をノルズリに浴びせかける。


「ぬっ!?」


 咄嗟に腕をかざして顔を護ったようだったが、暗黒色の火炎は金属製の全身鎧を容赦なく加熱していく。


 もはや鎧そのものがノルズリを苛む拷問器具だ。


 一対一の戦いだったなら、俺はスクロールを開くことはおろか、取り出すこともできずに殺されていただろう。


「(普通なら、スクロールは魔法を発動させた直後に高負荷で崩壊する……この炎も数秒と持たないはず……だがっ!)」


 崩壊が始まるよりも前から、崩壊速度を上回る【修復】を掛け続けたらどうなるか。


 その解答がこれだ。


 ブラックファイアのスクロールは崩壊することなく効果を発揮し続け、一秒ごとにその規模を増していった。


 かつての俺の【修復】スキルなら到底不可能。

 スキルが進化したことで【修復】の性能も向上したからこその荒業である。


 ところが、そこに予想外の危険が潜んでいたことを、俺は身をもって知ることになった。


「ぐっ……!」


 スクロール自体が異常な加熱を重ね、触れている俺の手を焼き焦がすほどの熱量を帯び始めている。


 そちらも並行して【修復】し続けなければならず、魔力結晶がいつ使い潰されるか分かったものではなかった。


「(流石にこいつは誤算だ! 魔法の発動が制御できない! 【修復】し続ける限り、際限なく魔力を吸い上げていきやがる!)」


 スクロールは使い捨て前提のマジックアイテム。

 途中停止など最初から考慮されず、何らかの外的要因によって崩壊が阻止されると、魔力が続く限り効果を発揮し続けてしまうのだろう。


 こんなもの、暴走状態としか呼びようがない。


 今更それが分かったところでどうしようもなく、ましてや事前に気付くことも不可能だった。


 魔力が尽きるが早いか、命が尽きるが早いか――そんな戦いになってしまうのかと覚悟した矢先、ノルズリが膨大な魔力をほとばしらせた。


「おおおおおっ!」


 肉を焦がすほどに加熱した金属の鎧が、内側から弾け飛ぶ。


 その代わりに奴の全身を頭まで覆っていたのは、禍々しい形状をした氷の鎧であった。


「……っ! あの氷、炎を防げるのか……!」


 ドームを構成する氷壁と同様、氷の鎧は溶解するそばから瞬く間に再生成されることで、暗黒色の炎を遮断しきっていた。


「死ねぃ、元凶ッ!」


 反応不可能な速度の踏み込みが炎を突破し、回避不可能な速度の拳撃がスクロールを突き破る。


 黒魔法の炎が途切れ、拳が俺の胸部に陥没を生じさせる。


 砕けた何本もの肋骨が肺臓を引き裂き、呼気の代わりに鮮血が口から噴き出した。


「ごはっ――」

「ルーク殿ッ!」

「心臓は外したか。片目では正確な狙いが付けられんな」


 もしもノルズリの肉体が万全なら今ので死んでいた――胸の激痛が証拠となって、否応なしにそう実感させられる。


「その程度では死にきれまい! 蘇生の暇すら与えず首を落としてくれる!」


 ノルズリが拳を振り上げ、腕に氷の刃を生成した直後、上半身を覆う氷の装甲が粉々に砕け散った。


「何ッ!?」


 突然の異変に動きを止めるノルズリ。


 俺がやったことは至って単純。付き合いの長い奴なら即座に理解するだろう。

 ただ単に、氷の鎧に触れて渾身の【分解】を発動させただけだ。


 氷壁を突破するには時間が掛かるかもしれないが、鎧程度の質量ならばそう難しいことじゃない。


「(今のうちに……!)」


 胸の負傷を大急ぎで【修復】しつつ、もう片方の手でノルズリの体に触れようとする。


 するとノルズリは、不要な警戒をして自分から後ろに飛び退いてくれた。


 奴は【分解】が生物には極めて効きにくいことも知らない。

 だから最悪を想定して行動するしかないのだ。


 底が知れない未知の敵であり続けること――それが俺に残された最後の勝機だった。


「そうこなくてはな! 容易く仕留められるような雑魚に、我らの軍が翻弄されたとあっては、それこそ末代までの恥というもの! 足掻き続けて死ぬことこそが贖罪と知れ!」


 ノルズリの周囲に複数の冷気の塊が生じ、そこに槍の穂先のような氷塊が出現する。


 俺はノルズリの次の一手を即座に理解し、背後の氷壁に手を伸ばして、表面の氷を一握り分だけ【分解】で削ぎ落とした。


「もがき死ね、人間!」


 穂先の形をした氷弾が連射される。


「くそっ!」


 先ほど【分解】した氷鎧の残骸を素材に氷壁を【修復】。

 申し訳程度の歪な障壁で一斉射撃を凌ごうと試みる。


 氷が砕け、弾け、飛び散った破片が頬を裂く。


 ノルズリが放つ氷弾は加速度的に数を増し、俺はそれらの残骸を利用して障壁を更に拡張していく。


 回避するという選択肢はなかった。


 俺の背後には、気を失ったままのガーネットが横たわっているのだから。


「(ここまではいい! 問題は次だ! 次はどんな手を打ってくる!?)」

「実に見事だ。しかしながら、このノルズリの前で氷を使うのは、少しばかり無謀が過ぎるというものだな」


 ノルズリが指先で小さな氷の粒を弾く。


 それが氷の障壁にこつんとぶつかった瞬間、障壁全体にばきりと亀裂が走った。


「――っ!」


 俺は何が起こるのかを理解し、背後で横たわるガーネットに覆いかぶさった。


 障壁が砕け、破片が横殴りの雨のように降り注ぎ、大量の氷弾が唸りを上げて襲いかかる。


 やがて氷のドームを静寂が満たす。


 俺はガーネットの盾となったことで全身を氷に穿たれ、ガーネットに覆いかぶさったまま動くこともできなかった。


 【修復】はもちろん発動させている。

 手かざしを伴わない全身同時発動だ。


 それでもなお、顔を動かすだけでも精一杯だった。


「貴様、自らの命よりもその人間を優先するのか」


 ノルズリが悠然と歩み寄ってくる。

 まるで勝利を確信でもしたかのように。


「興味深い。そしていいことを思いついたぞ」

「……やめ……ろ」


 腕に力を込めて上体を起こし、這うようにガーネットの上から移動する。


 サクラが何かを叫んでいる声も耳に届いたが、よく聞き取ることができなかった。


「まずはその人間を貴様の眼前で解体してやろう。蘇生させるならいくらでも許してやる。そのたびに解体の繰り返しだ」

「殺す……ぞ……」

「無論、失血死はさせん。血管の断面を凍らせて末端から少しずつ裂いていくのだとも」


 俺はまともに立ち上がれないままノルズリへと向かっていく。


 しかしノルズリは無造作に俺の横を通り過ぎ、同時に足元から無数の氷の棘と杭を出現させて、俺の肉体をその場に縫い付けた。


「があっ……!」

「我らに楯突いた愚を悔いるがいい」


 ノルズリの腕が未だ意識を取り戻さないガーネットへ伸びる。


 氷の棘と杭を即座に【分解】するも、幾つも深手を負い大量の血液を失った俺の肉体には、ノルズリの凶行を止める力は残されていなかった。


 ――そう、俺の『肉体』には。


「手始めに顔の皮を――ぐおおおおっ!?」


 ノルズリが初めて苦痛に満ちた絶叫を上げる。


 奴の全身は無数の真っ赤な棘によって刺し貫かれていた。


 俺を貫いた棘と似ているが、色彩はまるで正反対であり、形状も酷く歪だった。


 奴が生成した氷の棘を鋭利な針とするなら、これはねじれた茨。


 それが脚を、腕を、腹を貫いて、肉体から自由を奪い多大な苦痛を与えていた。


「な……何だこれは! 何なのだこれは!」

「さっき見せたばかりじゃないか……もしかして、氷を操るスキルで壁を作ったと思ったのか?」


 何ということはない。

 ノルズリが踏みしめて立っていた、俺の血をたっぷり吸った地面を素材に、先ほど【分解】したばかりの氷の棘を【修復】してやっただけだ。


 氷を使ったのはほんの少量で、構成物質の大部分はあくまで血と土。

 当然のように【修復】は不完全に終わり、鋭利な棘が歪んだ形状で再現されたというわけだ。


 いくら氷の扱いに自信があろうと、これに対しては何の意味もないだろう。


「ぐうっ……!」


 身を護るつもりか、ノルズリが氷の鎧を生成しようとする。


 俺はその肩に左手を置いて生成中の鎧を【分解】し、同時にダークエルフの肉体の物理的構造を【解析】した。


 内臓の位置は人間と同じ。

 非力な俺がこの男を倒すには、致命的な一点を正確に突くより他にない。


「ありえぬ……信じられぬ……! お許しください! ガンダルフ陛下!」


 ノルズリの背中に掌を押し当て、氷の破片と俺自身の血液を【合成】させた氷血の棘を生成。


 密着距離からノルズリの心臓を刺し貫く。


 そのまま数秒の時間が経ち、ノルズリの鼓動が完全に途絶えた瞬間に、氷のドームが音を立てて粉々に砕け散った。

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書籍版第5巻作品ページ
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https://kadokawabooks.jp/blog/syuuhukusukirugabannou-comicstart.html
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