第641話
「ルーク。奴を岸辺に近付けさせるわけにはいかん。ここで仕留めるぞ」
「簡単に言ってくれるな、ったく。手はあるのか?」
予想通りのトラヴィスの発言に悪態を返しつつ、見上げるほどのダゴンの巨体を【右眼】で見据え続ける。
現状はダゴンから一定の距離を保ちながら旋回を続け、絶え間ないサーペントの首の襲撃をユリシーズの操船で回避している状態だ。
「決まっている。胴体に飛び移って直接攻撃だ。お前なら弱点も視えているだろう」
「この脳筋め。ああ、もちろん視えてるさ。あいつもメダリオンの魔獣なら、スコルと同じ――核になっている体内のメダリオンを抉り出せば全体が崩壊するはずだ」
あくまで『ダンジョンに棲息する、高濃度魔力環境に適応した野生動物』に過ぎない魔物とは異なり、魔獣と呼び分けられている怪物は、その血肉の一片に至るまで、メダリオンが魔力によって生み出した存在だ。
核たるメダリオンを体内から抜き取られてしまえば、何かしらの特別な処置を施さない限り、各部位の物理的な形状を保つことすらできなくなる。
しかし言うまでもないことだが、それを実行すること自体が凄まじい難易度である。
ましてやここは、水上という奴のホームグラウンド。
肉薄することすら至難の業と言わざるを得ないだろう。
「だけど、一体どうやって飛び移るつもりだ? 普通に跳んだんじゃ空中でサーペントの首に食われるだけだぞ」
ここにあいつがいれば――そんな考えが次から次に浮かんでくる。
サクラなら【縮地】があるし、セオドアなら空中を自由自在に走って肉薄できる。
ダスティンの魔槍やノワールの魔法も強力な遠距離攻撃ができるだろう。
けれど今ここでそんなことを考えたって、何の意味もない。
配られた手札の悪さを嘆いたところで状況は全く好転しないのだから。
「アレクシア、ヒルド。ここから攻撃して有効打を与えられそうか?」
「間違いなく無理ですね。大型弩弓の火力じゃ、一番強力な呪装弾を撃ち込んでも倒せそうにないですよ」
「申し訳ありません。私の魔法は対人規模が精一杯です。どちらかと言えば研究目的の魔法が本領でもありますし……」
「ま、こっちには割と通じますけどね!」
後方から迫りくる巨大サーペントの頭部に、アレクシアが大型弩弓で起爆タイプの呪装弾を叩き込む。
直撃によって顔半分が吹き飛ぶも、みるみるうちに顔面の損壊が復元してしまう。
これではサーペントの首を潰して回ったとしても、せいぜい一分かそこらの足止めにしかなりそうにない。
「あちゃー、想像はしてましたけど、やっぱりですか」
「おぉい、団長! すまん、ちょっちマズいことになりそうだ!」
突然、ユリシーズが焦った様子で声を上げる。
「小型の奴らに取り付かれた! 甲板まで這い上がってくるぞ!」
次の瞬間、船の間近で幾つもの水飛沫が立て続けに噴き上がり、異形の半魚人が次々に乗り込んできた。
中立都市にいる水棲魔族とは明らかに違う。
要塞まで魚を運んでいた気のいい魚人とは似ても似つかぬ異形の生物。
肉体は捻じれ歪み、焦点の合わない眼球に理性の色は全くない。
異形の魔物が破壊活動に及ぼうとする刹那、神速の剣と槍弓が瞬く間に全個体を斬り伏せる。
ガーネットとチャンドラーが即座に現状を把握し、俺から指示されるまでもなく迎撃を完遂したのだ。
「おいこら、大将! 勢いでぶった斬っちまったけどよ、まさかこいつら町の連中が操られたんじゃねぇだろうな! だったらかなり夢見が悪いんだが!」
「いや、違う! こいつはダゴンが生み出した眷属だ! 魔獣スコルがフェンリルウルフを、第五階層の神獣とやらがドラゴンを生み出していたのと同じ理屈だ!」
「了解! だったら遠慮は要らねぇな!」
チャンドラーは槍弓に素早く魔力の弦を張り、数本の矢を一度に撃ち出した。
それらは目にも留まらぬ速度で軌跡を変え、船に這い上がらんとしていた半魚人を次々に撃ち抜いていく。
幸運にも標的とならなかった個体も、甲板に身を乗り出したところでガーネットの刃に残らず首を刎ねられる。
「……ったく、数は多いわ、本体はクソ強ぇわ! メダリオンの魔獣って奴はつくづく厄介だな! こんなのが掃いて捨てるほど湧いたってんなら、いっぺん世界をダメにしやがったのも納得だぜ!」
ガーネットは毒づきながらも的確にダゴンの眷属を仕留めている。
今のところ迎撃こそ問題なくできているが、しかし状況の改善には全く至っていない。
やはりトラヴィスの言う通り、本体を直接叩くしかないが――
「ルーク! 次にサーペントの首が襲いかかってきたなら、紙一重で回避させてくれ!」
トラヴィスが船首に駆けながら要求を飛ばす。
ユリシーズに直接頼むのではなく、あえて俺を挟んできたのは、指揮系統の混乱を避けるため。
船上の司令官は白狼騎士団団長であるという前提を維持し、ユリシーズの判断に混乱を来さないための当然の配慮だ。
この状況でもトラヴィスは冷静な判断力を保っている。
ならばこれからあいつが取ろうとしている手段も、決して無謀な試みではないはずだ。
「分かった! 聞こえたな、ユリシーズ! トラヴィスを馬鹿でかいサーペントの首に飛び移らせる! 常人が跳べる限界の十倍くらいは許容範囲だ!」
「あいよ! それくらい離れてていいなら余裕だな! 相当揺れるんで振り落とされないでくださいよっと!」
水面すれすれを這うように飛びかかってくる首にめがけて、ユリシーズは急旋回と急加速を繰り返して正面から突っ込んでいく。
そして巨大な顎が牙を剥く寸前に舵を切り、腕を伸ばせば届くのではと思えるほどの距離ですれ違った。
「ふっ――」
跳躍するトラヴィス。
失敗などありえないという俺の期待通り、トラヴィスは常人を遥かに越える跳躍力でサーペントの胴体に飛び移り、見事に着地を果たしたのだった。




