第639話
ユリシーズのスキル発動と同時に小型の船舶が湖面に現れ、宣言通りに水飛沫を巻き上げる。
牙の並んだ口を開けて驚愕するグレイ。
最近までスキルを持つ人間との関わりを持たなかった彼らにとって、小型とはいえ船を召喚するという荒業にはさすがに驚きを禁じ得なかったようだ。
「よっし、それじゃさっさと終わらせましょうや」
「そうだな。グレイはどうする?」
俺がそう問いかけると、グレイは露骨にたじろいだ様子で後ずさった。
「い、いや……俺は止めておく。あくまで俺の仕事は、ここの湖までの行き帰りの案内役だからな。冒険者も全員乗り込むわけじゃないんだろ? 居残り組と一緒に待ってるよ」
明らかに湖上までついて行くのを怖がっている様子ではあったが、俺もとりあえず聞いてみただけで無理に連れて行くつもりだったわけではない。
ひとまずグレイには、他の冒険者と一緒に地上の警戒を任せることにして、次にレイラの方に目を向ける。
「わ、私は一緒に……!」
「お前は……」
「駄目だ、お前は残れ」
俺よりも先にトラヴィスが口を開く。
「どうしてですか!?」
「ここから先は何が起こるのか分かったものではない。ある程度の安全が確保できたこれまでとは訳が違う」
「……それはそうですけど」
レイラも自分の言っていることが我儘だという自覚はあるようで、それ以上は強く要求しようとしなかった。
だがしかし、トラヴィスの方もこういうシチュエーションには慣れていないらしく、あまり柔らかい言葉を選べていないようだ。
仕方がないので、俺も少しばかり口を挟んでおくことにしよう。
「まぁまぁ。トラヴィスだってレイラのことが足手まといだとか言ってるわけじゃないんだ。そもそも今のメンバーの半分は地上待機になるんだから、こいつは単なる役割分担だよ」
「役割分担、ですか……」
「そう、役割分担。冒険者パーティーも、全員が仲良く揃ってダンジョンの最深部に行くばかりじゃない。何人かは少し手前に留まってキャンプを張って、疲れ果てて戻ってきた奴らが休む場所を確保したりするもんだ」
昔の俺は誰かのパーティーに混ざってダンジョンに潜っても、十中八九はその待機組に回される立場だったのだが、余計なことは言わないでおく。
とにかく今は、レイラに自分が足手まといだから置いていかれるのだ、なんていう後ろ向きな考えをさせない方が大切だ。
すると横合いからアレクシアも口を挟み、俺の方針に援護射撃をしてくれる。
「そうですよ。私も冒険者稼業に力を入れてた頃は、そういう役割を率先して受けてましたから。まぁ私の場合は、試作武器のテストも兼ねて探索してましたから、最深部手前に来る頃には目的達成してたってのもありますけどね」
「……分かりました。トラヴィス様、私は皆さんが戻ってくる場所を守らせていただきます。これが今の私にできる大事な役割ですからね!」
胸を叩いて宣言するレイラ。
俺が肩越しにトラヴィスの方に目をやると、トラヴィスは珍しく申し訳無さそうに眉を寄せて小さく頷いた。
とにかくこれで方針は纏まった。
レイラと案内役のグレイ、そしてトラヴィスが率いる冒険者の一部を地上に残し、白狼騎士団のメンバーとアレクシア、トラヴィスと数名の冒険者がユリシーズの船に乗り込む。
魔力による流体操作で航行する帆のない船は、まるで水面を滑るかのように進んでいく。
かなり広い湖ではあるが、この速度ならさほど時間を掛けることなく目的地に辿り着くことができるだろう。
「見事な船だな、ユリシーズ卿。さすがは藍鮫の騎士だ」
「おだててもこれ以上のスピードは出しませんがね。水ン中から魔物が飛び出してくるのを想定したら、スピードの出しすぎは横転の元だ」
トラヴィスからの称賛を軽く受け流しながら、ユリシーズは巧みな舵捌きで速度を保ったまま大きく弧を描かせ、船を揺らすことなく指定の座標へと近付いていく。
地底湖であり波がほとんど立っていないことを差し引いても、ユリシーズの操船技術の高さがひしひしと伝わってくる。
「んで、団長さん。目的地ってのはさっきの岸辺から三番目に近い小島でしたよね。何にも考えずに接岸してもいいんです?」
「接岸する前に周囲をゆっくり一周してくれ。まずは遠くから『右眼』で観察してみる」
「叡智の何とやらですか。そりゃあいい。船の見張りってのは目がいいほど優秀ですからね」
ユリシーズが駆る船は数分と掛からずに、地底湖の水面に顔を出した小島の一つに近付いていく。
魔王ガンダルフが提示した条件を満たす島はあれだけだ。
この島のどこか、あるいは周囲に第三階層への移動経路があるに違いない。
「……むっ」
そろそろ島の周囲を巡ろうかというところで、ユリシーズが小さく声を漏らす。
「どうかしたか?」
「いやね、何となく妙な水流を感じたんですが」
俺はユリシーズの報告を聞くなり、即座に『叡智の右眼』を発動させて湖面を見下ろした。
「確かに……目的地の島の方に向かって水の流れがあるな」
「ここが海なら単なる海流なんでしょうがね。ここは湖でしょ? 流れ込む川と流れ出す川に沿った水流はあるとしても、どうして島の方に流れが生じるんでしょうかねぇ」
「それは多分……」
俺が想像を言葉にしようとしたところで、背後にいたアンブローズが口を開く。
「あの島の付近、あるいは内部で水が下の階層へ流れ込んでいる。単純に考えればそういうことだろう。ところで団長殿、先程から僕の感覚器は嫌な気配を感じ取っているのだけれど……『右眼』で水の中は見えるのかな?」




