第629話
後日、ホワイトウルフ商店の営業時間内。
俺は店頭業務をガーネットに任せ、店舗奥の事務所兼リビングで休憩を取っていたアレクシアに声を掛けた。
「ちょっといいか、アレクシア」
「はい? 食べながらで構わないならいいですけど」
アレクシアは昼食として持ち込んだ具材入りのパンを齧りながら、とりあえず俺の話を聞く素振りを見せてくれた。
「噂くらいは聞いてるかもしれないけど、もうすぐ俺達は『元素の箱舟』の第三階層に挑む予定だ」
「へえ……あの噂、本当だったんですね」
アガート・ラムに情報を漏らさないため、陽動作戦の存在は可能な限り隠蔽されているが、第二階層から第三階層への突入については事情が違う。
第二階層が一般の冒険者の探索対象になっている以上、どうしても準備段階で噂が広まってしまうことは否めない。
むしろ考えてみれば、アガート・ラムの把握している経路から第三階層に挑もうとしているという情報は、むしろあちらに知られた方が有利になる可能性もあった。
この経路からの侵入が陽動に過ぎない以上、むしろ迎撃を成功させてやった方が効果的だとすら言えるだろう。
というわけで、第二階層からの突入の方はそこまで厳密に情報を統制せず、自然に広まる噂はそのままにしておく方針になっていた。
「来週あたりにでも、突入経路の現地視察に行こうと思っているんだが、もしかしたら大掛かりな装置を作らないといけない可能性もあるだろ? だから誰か機巧技師を連れて行って、現場を見てもらって意見を聞きたいと思ってるんだ」
「ふむふむ、だから私に機巧技師を紹介してもらいたいと」
アレクシアは具材入りのパンを一つ口に頬張り、しっかり咀嚼してハーブティーと一緒に流し込んでから、二つ目を手に取りながら口を開いた。
「それなら私が行きましょうか。お店の方の従業員を補填してもらわなきゃですけど」
「いいのか? 機巧技師の仕事の方も忙しいんじゃないのか」
「忙しくないって言えば嘘になりますけど、うちの組合はルーク君ほどにはトップに依存した組織じゃないですし。日常業務くらいは他のメンバーに任せても大丈夫ですよ」
「……何とかした方がいいとは思ってるんだけどな。騎士団の方はソフィアに色々任せたりもしてるし」
突然の指摘を苦笑しながらも受け入れる。
支店をナタリア達にほとんど丸投げしているように、もっと色々な仕事を他の誰かに投げてしまって、自分はそれらを統括する立場になってしまってもいいのでは、というのは割とよく思っている。
しかし、言うは易く行うは難しの言葉の通り、どうにもきっかけを掴むことができないまま今に至っていた。
「後はこちらの都合になるんですけどね。うちのメンバーは専業の機巧技師がほとんどで、冒険者と兼業してるのは私くらいなんですよ。そこまで危険じゃないとはいえ、ダンジョンの奥まで乗り込むのは難しいと思うんですよ」
「ああ……そういえばそうだったな」
「これまで見つかってなかったってことは、途中経路の安全確保もまだまだでしょうしね」
アレクシアが語る内容は、機巧技師の組合を率いる者として当然といえる発言ではあったが、それはそれとして何やら楽しそうな表情をしているようにも見える。
機巧技師として楽しみ、成功を喜んでいるときの笑顔とはまた違う。
けれど俺は、アレクシアがこういう笑顔を頻繁に浮かべていた時期のことを、他の誰よりもよく知っている。
「何だか楽しそうだな。ひょっとして、久々のダンジョンアタックが楽しみだったりするのか?」
「あ、やっぱり分かります?」
見事なまでの笑顔で全肯定するアレクシア。
こいつは冒険者と機巧技師を兼業している珍しい奴で、俺と出会ったのも師匠の元を離れて冒険者として活動している時期だった。
「試作した装備の実用テストですとか、現場の需要の調査ですとか、機巧技師としての仕事の助けにしようと思って始めたんですけどね。何だかんだで探索とかは楽しかったですし、技術畑の仕事が続いたら不思議とダンジョンが恋しくなるんですよねぇ」
「はははっ、俺も何となく分かるな」
アレクシアの向かい側の椅子を引いて腰を下ろす。
「最初の頃は迷宮を彷徨った苦しさが忘れられなくて、ダンジョンに潜る気にすらなれなかったっていうのに、いつの間にかそんな気分にもならなくなって……今じゃ騎士団の仕事やら何やらで、当たり前のように潜ってばっかりだ」
「でも、専業冒険者に戻るつもりはないんですよね」
「さすがにな。今更引き返すには背負ってる物が大きくなりすぎたんだ。少なくともレンブラント卿に認めてもらうか、アガート・ラムを討ち取ってその必要がなくなるまでは、今の立場は捨てられないさ」
「うっへぇ。ごちそうさまです」
アレクシアはわざとらしく変な声を出し、その声に似合った妙な表情をしてパタパタと手で顔を扇いだ。
俺が騎士団長を務めるようになった理由は、ガーネットとの関係を父親であるレンブラント卿に認めてもらうためだ。
彼は自分の子供と有力者を結婚させて一族の力を高めるという、近頃は貴族の間でも時代遅れ扱いされがちな昔ながらの価値観を重んじており、それを改めさせることはできそうになかった。
そしてガーネットもガーネットで、母親の復讐をするために銀翼騎士団とレンブラント卿の支援を必要としており、父親の要求を拒むことができない立場にあった。
だから俺は、自分自身が騎士団長として出世することで、レンブラント卿が満足できる地位にまで上り詰めようと決意したのだ。
「こうして振り返ってみると、私もルーク君もあの頃とは大違いですね」
「ああ。俺は言うまでもないとして、お前も最初はこっちに来るために師匠の顔色を窺ってたくせに、今や立派に独り立ちして技師組合の組合長だ。爆発事故で宿屋を蹴り出された奴とは思えないな」
「むっ……それ組合の子には言わないでくださいよ。絶対に笑われますから」
「俺が言わなくたって、いつかどこかでバレるだろ。お前の師匠あたりが危ないんじゃないか?」
アレクシアはむすっとした顔でハーブティーに口をつけながら、恨めしげにこちらを睨んできた。
短い期間だったとはいえ、二人で冒険者として活動していた頃のことを思い出す和やかな空気が流れている。
「おーい! 白狼の! 団体客が来やがった! さっさと戻ってこい!」
店の方から飛んできたガーネットの大声が、俺とアレクシアの気分を全力で現在に引き戻す。
俺はアレクシアと視線を交わして苦笑し合い、休憩時間が終わるまでちゃんと休んでおくように言ってから、一人で店の方へと引き返したのだった。




