第628話
騎士団本部でソフィアと別れ、俺とガーネットはひとまず自宅に戻ることにした。
ガーネットは帰り着くなりソファーに座り、先程のユリシーズとのやり取りについてしみじみと感想を漏らした。
「しっかし、あいつも意外と繊細なとこがあるんだな。スキルで呼び出す例の船なら、中立都市の戦いでも活躍してたんだから、今更不安に感じることなんざねぇと思うんだが」
「あれは波も落ち着いた湖の上での救助活動だったからな。最初に乗り込んだときはかなり荒っぽかったけど……さすがに敵陣のど真ん中に単艦で乗り込むのは状況が違うんだろうさ」
どんな分野でもままあることだが、第三者視点では簡単に見えたり、普通にやっていることと変わりないように感じても、当の専門家からすれば難易度が高くて普段の作業とは全く違う場合がある。
冒険者ギルドに依頼を持ち込む人の中には、こうした認識のギャップに気付かず依頼の難易度を見誤り、受付手続きのときに依頼料金の不釣り合いを指摘されて困惑するケースも多い。
ユリシーズにとっては、中立都市で担った役割と、第三階層への陽動作戦で要求される役割がこれにあたるのだろう。
「まぁ……それはそれとして。作戦にプレッシャーを感じてあの態度ってのもよく分かんねぇな。お前は共感できたのか?」
「冒険者をメインにやってた頃は、重圧を感じるくらいの期待を掛けられた覚えもあんまりないよ。ただ、あんな風になってた同業者なら何度も見てきたな」
「ふぅん。オレが関わってきた銀翼の連中は若手が多かったから、枯れた奴が珍しくて身に覚えがねぇのかもしれねぇな」
ガーネットは共感できない感情だと繰り返しながらも、ユリシーズがそう感じること自体は否定せず、そういうものなのだと納得しているようだった。
「自分なりに鍛え直すつもりなのかもしれねぇけど、船絡みじゃオレにはどうしようもねぇな。これが剣術とか殴り合いなら手伝ってやれたんだが」
「他に海関係の騎士団っていうと、南担当がチャンドラーの赤羽騎士団で、東担当がマークの紫蛟騎士団だったか……」
チャンドラーはある種ガーネット以上の戦闘特化であり、操船技術を身に着けているという話は聞いた覚えがない。
そしてマークに至っては、俺とほぼ同時期に正式な騎士となった駆け出しで、チャンドラー以上に望み薄だ。
「……どっちもユリシーズの役には立てそうにないな」
「いやいや、案外どっちも船の動かし方とかマスターしてるかもしれねぇぞ」
そう語るガーネットの口振りは、いまいち本気でそう言っているようには聞こえなかった。
まぁ、騎士団員の保有技能を再確認しておくのは悪いことではない。
この場合の技能とは、いわゆるスキルに限った話ではなく、書類に記載されていないような『実はこんなことができる』という広い意味での技能だ。
例えばマークも船舶操作に関わるスキルは習得していなくても、ひょっとしたら騎士団で操船技術を身に着けさせる訓練を受けていて、船を動かす手伝いくらいはできるかもしれない。
一人きりで船の制御の全てを取り仕切るのではなく、簡単な仕事なら任せることができるアシスタントがいるだけでも、ユリシーズの負担を軽減する役には立つだろう。
そんなことを考えていると、ガーネットがソファーに座ったまま体の向きを反転させ、背もたれに腹側からもたれかかるようにしてこちらを眺めてきた。
「……どうかしたか?」
「いんや、騎士団の仕事とは別件だぜ」
「気になるだろ。言いたいことがあるなら言えっての」
「ん、じゃあ遠慮なく。さっきトラヴィスがレイラを連れてったときの話なんだけどな、あれお前の受け売りだろ」
ガーネットが言うには、トラヴィスは俺から言われた内容を、ほとんどそのまま引き合いに出してレイラを誘ったのだという。
相当にぎこちなく、事あるごとに記憶を掘り返すような間が空いたので、ガーネットはすぐに俺の受け売りだと察したらしい。
「まぁ、それは別にどうでもいいんだ。レイラもまんざらじゃなかったみてぇだしな」
……ガーネットの眼差しはあまりどうでもよくなさそうだったが、それはトラヴィスが俺の受け売りで語ったことでもなければ、レイラがそれを喜んだことに対してでもないようだ。
どちらかと言うと、これから語ろうとしている続きの内容についての――
「その話ン中に、付き合ってた彼女を放置してたら自然消滅した友人ってのが出てきたんだが、それってお前のことだよな?」
トラヴィスの奴め、なんてことまでそのまま喋ったんだ。
ガーネットは背もたれ越しにニヤニヤと笑っているが、それは口元だけの話であり、目線は全く別の感情を乗せてこちらを見据えていた。
「いやまぁ、別にいいんだぜ。オレが生まれんのが遅すぎただけなんだからよ。自分が赤ん坊だったり、本当に右も左も分からねぇガキだった頃にお前が誰と付き合ってようと、目くじら立てる方が頭おかしいってもんだ」
その格好のまま、ガーネットがぱたぱたと足を左右に動かしている。
勇猛果敢な銀翼の騎士としての姿はどこへやら。
銀翼の同期や同僚にはとてもじゃないが見せられそうにない、心身共に極限まで油断しきった仕草である。
「でもなぁー、二度あることは三度あるっていうだろー? いくら訳ありったって、そういう扱いされてない時間が続くとなぁー?」
「……分かった分かった。俺の負けだ」
ソファーに前後逆に座ったガーネットの背後に回り込み、背もたれに両手を突いてガーネットに覆い被さる。
たまには役目を忘れてこんな時間を過ごすのもいいだろう――もうすぐ、そんな暇すらなくなってしまうかもしれないのだから。
満足気に微笑むガーネットの横顔を間近で眺めながら、俺は心からそう思うのだった。




