第627話 枯れた騎士の憂鬱
それから俺達は、ギルド支部を後にして騎士団本部へと戻ることにした。
とはいえヒルドとアンブローズはまだ魔法使いだけの会議を続けているし、レイラはトラヴィスと別行動を取っているので、俺とガーネットとソフィアの三人だけの帰路である。
大勢の人間が毎日のように往復している道なので、当然のように何のトラブルもなく騎士団本部に帰り着く。
そうして正面玄関から建物の中に入った矢先、ちょうど探そうと思っていた人物の姿が視界に入った。
「おっと! 思ってたよりお早いお帰りで」
エントランス付近で寛いでいたユリシーズが、俺達の存在に気付くなり誤魔化すような笑みを浮かべて、いそいそと態度を取り繕った。
「ちょうどよかった。ユリシーズ、頼み事があるんだ」
「おや? 自分なんかに直接お話だなんて珍しいじゃないですか。どうかしたんです?」
ユリシーズも急ぎの用事はないようだったので、ミーティングの内容とユリシーズに任せたい役割について、この場で説明してしまうことにする。
第二階層から第三階層へ流れ込む水路を利用した陽動作戦。
この遂行にあたっては、ユリシーズのスキルで召喚される魔法動力式の船舶を利用するのが最適解だ。
陽動部隊のメンバーを使い捨てにしない前提なら、水路の流れに逆らって戦線を離脱できる船を用いることは最低条件。
魔法などによる水流操作で航行する船ならば容易に条件を達成できるが、そんな代物はグリーンホロウ周辺には存在しない。
最新式かつ高級品なので田舎では見られないのも理由の一つだが、最大の要因はグリーンホロウが山奥に位置する町であり、周囲一帯が高性能な船舶をほとんど必要としない環境だということだ。
他所で調達して運んでくるのはそれだけで大仕事だし、更にそれを第二階層の突入地点まで運ぶ必要もある。
広陵とした第一階層はまだしも、魔王城の地下に広がる第二迷宮を突破させるのは、誰がどう考えても一大事業にならざるを得ない。
その点、ユリシーズの船はあらゆる面で申し分ない。
充分な性能に召喚スキルで呼び出せるという利便性。
もはやこれ以上の案が浮かばないレベルの適性だ。
「良かったじゃねぇか。お前、仕事がなくて退屈だとか愚痴ってただろ。ここぞってときが来たんだと思うぜ」
ガーネットが嬉々として笑い、ソフィアもどこか安心したように微笑んでいる。
しかしユリシーズが見せた反応は、彼女達の期待に反するものであった。
「さぁ、どうでしょうねぇ。都合よく上手くいくって保証はできませんよ。何せ長いこと錆びつかせてたスキルですし、そもそも急流とかじゃなくて大海原で使ってた代物ですから」
あまりにもそっけないユリシーズのリアクションに、ガーネットとソフィアは揃って目を丸くして顔を見合わせた。
きっと二人は、ユリシーズがようやくやってきた出番に歓喜するだろうと思っていたに違いない。
「失敗しても責任は持てませんが……いやそもそも、失敗したら責任以前に自分も名誉の戦死ですかね。何にせよ、それでも構わないっていうなら命令してくださいよ」
「おま……白狼のに何てこと……」
「分かってる。ちゃんとそのつもりで声を掛けたんだ。俺も【修復】でサポートするために同行する予定だけど、こればっかりはユリシーズに頼らなきゃどうしようもないからな」
「……っておい! お前も行くとか初耳だぞ!」
ガーネットが忙しなく俺とユリシーズの間で視線を左右させる。
ユリシーズは猫背気味になって頭を掻き、それから顔を上げて俺の方を見やった。
「まぁ、命令なら従いますよっと。それで、今日明日に決行するとか言い出すんじゃないですよね。さすがに多少は勘を取り戻さなきゃ使い物になりませんが」
「陽動担当の冒険者達の準備も必要だから、しばらく先になるはずだ。予定は余裕を持って伝えるよ」
「そいつはどうも。だったら腰を痛めない程度に気張りますかね」
妙に気の抜けた態度でそう返答し、ユリシーズはひらひらと手を振りながら本部の外へと出ていった。
扉が閉まってその後姿が見えなくなったところで、ガーネットが困惑を隠しもせずに口を開く。
「……ユリシーズの野郎、マジで大丈夫なんだろうな。やることがなくって腐ってたクセに、いざ役目がきたらアレかよ……」
「何だか予想外でしたね……」
ソフィアもガーネットほどに棘のある表現ではなかったが、ユリシーズの態度に困惑していることがひしひしと伝わってくる。
だが俺は、二人とは違ってユリシーズの振る舞いに大した違和感を抱いてはいなかった。
「そんなことはないさ。あれは多分、プレッシャーを感じてるのを隠そうとしてるだけだ」
「プレッシャーだ? いっつも飄々としてやがるくせにか」
「態度が飄々としてるからって、重圧を感じないわけじゃないだろ」
もしもこれが『期待の若手』と呼ばれるような年代で、右肩上がりに出世していく意欲に燃えていたなら、大仕事の重圧を吹き飛ばすほどの熱意で団長の指名に応じていたかもしれない。
けれどそれは、気力も身体能力も充溢していて、スキルもまだまだ伸び代があり、自分自身の将来に希望を抱いているような奴だからこその反応だ。
しかし、ユリシーズは良くも悪くも諦めていた。
意に沿わぬ転属でグリーンホロウに送り込まれたことに対する愚痴も、上層部を見返して返り咲いてやるといった意欲が背景にあるものではなく、自分自身の経歴がどん詰まりに陥ったのだという諦めに対する自虐の色を帯びていた。
そこに突如として舞い込んできた、自分だけにしかできない上に大局を左右する大仕事。
粗食続きだったところにいきなりフルコース料理を差し出されたようなもので、精神的にもその重圧を受け止める準備が整っていなかったのだろう。
「……だから、少しばかり時間は必要かもな。あいつが自分ならやれるって確信するまでの時間がさ」




