第624話 噂をすれば影が差す
その後、ミーティングは滞りなく終わりを迎え、俺達はギルド支部の大衆食堂で休憩を取ることにした。
テーブルを共にしているメンバーは、俺以外にはガーネットとソフィア、そしてレイラの三人。
アンブローズやヒルドといった魔法使い達はまだ仕事があり、そちらを先にこなしておくとのことだったので、今はまだ俺達と別行動を取っている。
「はあぁ……緊張しました……」
レイラが前のめりになってテーブルに体重を預ける。
俺達の中で最も疲弊しているのは誰がどう見てもレイラだった。
それも体力的な疲労ではなく精神的な消耗の方が強く、ミーティングが無事に終わったことで気が抜けて、疲労感がどっと押し寄せてきてしまったようだ。
「私、何かおかしなこと、やらかしていませんでしたよね……?」
「いえ、問題なく役割をこなせていましたよ。さすがはハインドマン家の方ですね」
「そんなことは……私は騎士団にも家の仕事にも関わっていませんでしたし……こんなに大事な会議に参加したのも初めてですから」
ソフィアから率直に評価されながらも、レイラは謙遜した態度を崩そうとはしない。
「初めてなのにあれだけできるのは優秀ですよ。ルーク団長もそう思いますよね」
「ああ、確かに。俺も最初の頃は緊張で頭がどうにかなるかと思いながら、どうにかこうにかやってた感じだったしな。こういうのは場数を踏んで慣れていけば楽になるもんだ」
レイラは軽く顔を上げて俺の方を見やり、まだ気力が回復しきっていない様子で口を開いた。
「店長の最初の頃ってどんな感じだったんですか? 私が初めて会った頃には、もうすっかり慣れきってたように思うんですけど」
「俺か? ええとだな、確かそれは……」
そういえば、俺が冒険者の枠を飛び越えて、国家レベルの行動方針に関わる会議に参加したのは、どれが初めてだったか。
会議自体にはほとんど口出しせず、前後に意見を出したくらいも含めて考えるなら、やはりグリーンホロウでドラゴン騒動があった後のことだったはずだ。
絶対的に安全だと思われていた『日時計の森』が『魔王城領域』に繋がっていることが判明し、グリーンホロウがパニックに陥りそうになったことがあった。
とりあえず現地の混乱を抑えるため、俺は知人の高ランク冒険者に声を掛けてみると約束した。
ドラゴンを恐れる冒険者達に、高ランク冒険者から評価される可能性という餌を見せて引き止めて、それによって町の宿や商店の収入激減を未然に防いだというわけだ。
「……っ! この呼びかけでグリーンホロウにいらっしゃったのが、トラヴィス様というわけですね!?」
「ま、まぁな。だけど問題はこの後にあって……」
にわかに元気を取り戻したレイラを宥めながら、質問に対する回答を続けることにする。
「地上侵攻を企む魔王の領地への最短経路が見つかったとあっては、王宮や黄金牙騎士団が動かないはずがなかった。その影響でまた新しいトラブルが生まれかけたんだ」
当初、黄金牙騎士団は『日時計の森』を全面的に封鎖し、町に集まっていた低ランク冒険者達を締め出して安全を確保したうえで、時間を掛けて対魔王軍の拠点を築くつもりでいた。
しかしそれでは、普通の温泉客が減っていた当時のグリーンホロウの経済に、間違いなく大打撃を与える結果になってしまう。
もちろん補助金の支給は検討されていたが、一度破綻してしまった稼業を復活させるのは容易ではなく、国王陛下も可能なら別の手段を取りたいと考えていた。
諸事情から陛下に招かれた俺は、多角的な意見を欲していた陛下から意見を求められ、グリーンホロウの経済に打撃を与えないための、超短期での拠点建築案を提案した。
要するに、別の場所にある拠点を解体して『日時計の森』に持ち込み、俺の【修復】スキルで元に戻すことで、建築に要する時間を大幅に短縮するという案である。
「……で、その流れで陛下や大臣達、黄金牙の騎士団長まで出席していた会議に参加させられた……っていうのが多分初めての経験だな。ちなみにこの建物も、そのときに造った施設の一部を改築した奴だ」
当時は緊張で死ぬかと思った程だったが、今こうして振り返ってみればいい経験だ。
最初にこれ以上はない極限状態を体験したことで、それ以降の様々な大一番が『陛下の隣で一対一の話をさせられたときよりは気が楽だ』と考えられるようになり、円滑に物事を進められるようになったのだから。
「何というか……店長って……」
「ええ、団長って……」
レイラとソフィアが目を合わせ、そして声を合わせて率直な感想を口にする。
「改めて言葉にされると、本当に凄いことをしてきたんですね」
「形式的とはいえ、この土地の領主を任せられるのも当然といいますか」
「だろ? 凄ぇ奴なんだって、こいつは」
何故か俺の代わりにガーネットが自慢げなリアクションを返す。
こんな風に面と向かって評価されるのはくすぐったいが、それ以上にガーネットの反応の方が何倍も言葉にしにくい感情を揺り動かしてくる。
……いや、これは『何を言われたか』よりも『誰が言ったのか』という要素の方が大きそうだ。
もしも他の友人がガーネットと同じ発言をしたとしても、決して今と同じ気持ちにはならなかっただろう。
内心の感情の動きを三人に悟られないよう、俺は多少強引にでも話を切り替えに掛かることにした。
「そんなことより、そろそろ注文するぞ。さっきからシルヴィアもこっち見てるからな」
「おっと、やべぇやべぇ。お前らも好きなの注文しちまえよ。支払いはこっち持ちだし、手頃で美味いのが売りだから遠慮しなくていいぞ」
この食堂は、シルヴィアの母親が女将を務める春の若葉亭の別館扱いであり、料理人等の従業員も本館から定期的な交代という形で派遣されている。
大勢の冒険者が利用する前提ということもあり、料理は安くて多くて美味いものばかり。
安定した来客が見込めるからこその贅沢っぷりである。
そうして一通り料理を注文し、後は出来上がるのを待つばかりとなったところで、不意に背後から聞き慣れた男の声が投げかけられた。
「ここにいたか、ルーク。少しばかり話をさせてもらっても構わないか?」
振り返った先にあったのは顔が見えないくらい近くに立っていた、トラヴィスの分厚い胸板であった。




