第621話 嵐の前の静かな日々
――今、グリーンホロウ・タウンは一つの大きな目的に向け、町全体が少しずつ進みつつある。
きっかけは、アルフレッド陛下と魔王ガンダルフの直接会談による、対アガート・ラム政策の方針の確定だ。
西方大陸を股に掛けるミスリル密売組織アガート・ラム。
しかしその正体は、ダンジョン『元素の方舟』の深部で生き長らえ続けていた、古代魔法文明の生き残り達の組織であった。
厳密には人間としての肉体はとうに失い、古代魔法文明の高度な技術によって生み出された人形に魂を移し替えることで、生物としての人間を逸脱してしまった連中だ。
アガート・ラムの創設者であるドワーフの魔王――この場合は純粋に魔族の王という意味だ――イーヴァルディは、人間の本体を正常な魂と定義し、滅亡の縁に立たされた古代人の魂だけを生かし続けようとしたのである。
ところが、現代人は魂に宿る本来の魔法の力を失っており、肉体に宿した疑似魔法をその代わりとして利用している。
イーヴァルディが掲げた定義に照らし合わせた場合、地上の人間達はアガート・ラムにとって『人間』の定義を満たさないのだ。
故にアガート・ラムは、邪魔者である魔王軍のみならず、ウェストランド王国すらも相容れない敵であると認識している。
この情報がもたらされたことにより、ウェストランド王国と魔王ガンダルフの軍勢は一時的に手を組むことに同意し、対アガート・ラムのための準備を着々と進めているのだ――
「いらっしゃいませーっ」
――なんていう大きな転換期を迎えても、日常生活までが激変してしまうわけではない。
副業の方がこれから忙しくなる気配を漂わせているが、かといって本業から手を抜くわけにはいかず、今日も今日とてホワイトウルフ商店の一日が幕を開ける。
さっき本日一番乗りの客に挨拶をしたエリカが、会計カウンター前のポーション売り場の欠品を補充してカウンター裏に戻ってくる。
「今日も平和ですよねぇ。一時期はまた魔王戦争の再来かって騒がれてましたけど、そんな話もすぐに聞こえなくなっちゃいましたし」
どこか呑気な空気すら漂わせているエリカの感想に、隣の椅子に座ったレイラが憂鬱そうに反論した。
「そんなことありません。水面下で色々と進んでいるんです。その証拠に、トラヴィス様も滅多に地上まで戻ってこなくなりましたし……はああぁぁぁ」
「……そ、そっか。お前も大変だよな……」
朝から意気消沈といった様子のレイラに対し、エリカは教科書通りの慰めの言葉をかけることしかできなかったようだ。
レイラは俺の旧友でもあるAランク冒険者のトラヴィスに思いを寄せ、ようやくお互いに相手との付き合い方を心得るようになってきたのだが、近頃は顔を合わせることも減っているらしい。
もちろんトラヴィスがレイラを避けているというわけではない。
遠くないうちに実行へ移されるであろう、第三階層への突入とアガート・ラムとの衝突――この大仕事に向けて、トラヴィスは様々な準備のため引っ張りだこになっているのだ。
グリーンホロウ在住の高ランク冒険者の中で、大規模な集団を率いる能力と、アガート・ラムの戦力に対抗できる高い戦闘能力を兼ね備えた人物といえば、誰に聞いてもトラヴィスしかいないと答えるに違いない。
他の連中は要求されるスペックのどちらか一方が、惜しくもトップランクには届かない傾向にあるので、どうしてもトラヴィスが頼られる形になってしまうのである。
「店長ぉ……隣がこんな調子だとやり辛くてしょうがないんですけど、何とかならないんですか?」
エリカが困り果てた顔で俺に助けを求めてくる。
確かにレイラのモチベーションの低下は深刻そうだ。
本人の仕事効率の低下はもちろんのこと、一緒に働く人間が落ち込んでいると周囲まで作業に支障が出てしまいかねない。
「しょうがないな。今週末に、冒険者ギルドのホロウボトム支部でトラヴィスも顔を出す会議があるんだが、レイラも手伝いって名目で連れて行くとするか」
「本当ですか!?」
俺の一言を聞くなり、レイラは俯き気味だった顔をガバっと上げて目を輝かせた。
「個人的な時間がどれだけ取れるのかは、向こうの都合次第だけどな」
「構いません! お会いできるだけで充分です!」
「それよりほら、お客さんが来てるぞ!」
「はいっ! いらっしゃいませ!」
レイラはどん底から有頂天まで一気に跳ね上がったテンションのまま、声を張り上げて接客に取り掛かった。
あまりの振れ幅に、何とかするよう頼んできたエリカも逆に動揺しているほどだ。
さすがに今は跳ね上がった興奮がピークに達しているだけだろうから、もう少しすれば落ち着きを取り戻すだろう。
ひとまずそう考えていると、背後からガーネットが小声でひそひそと話しかけてきた。
「いいのかよ、あの会議にレイラを連れて行って。ありゃホワイトウルフ商店の店長としてじゃなくて、白狼騎士団の団長として呼び出された会議だろ?」
俺も自分から半歩ほどガーネットの方に身を寄せ、会話の内容が第三者に漏れ聞こえないようにする。
ガーネットはレイラを連れて行くことそのものを嫌がっているわけではなく、それによって俺が受ける批判の方を気にしているようだ。
「他の参加者だって、冒険者ギルドや各騎士団の責任者レベルが顔を出すってのに、武器屋の店員連れ込んだらいい顔はされないんじゃねぇか?」
「エリカだったら断られたかもしれないけど、レイラなら多分大丈夫だと思うぞ。本人は騎士じゃないとはいえ、陛下を守る竜王騎士団の御三家の一員なんだから」
血筋や家柄だけで物事を判断するのは好きじゃないが、譲れない目的のためにそれらを活用するのは大いにありだと思っている。
レイラの実家の名前を出せば、白狼騎士団団長のアシスタントとしての同席を許されるには、充分過ぎるほどのネームバリューを発揮することだろう。
「……何かレイラに甘くねぇか?」
「誰かに甘くなってるとしたら、それはトラヴィスに対してだと思うぞ。あいつがせっかく女との付き合いに前向きになったのに、自然消滅なんてされたら見ていられないからな」
ガーネットの頭に軽く手を置いてから、俺も武器屋の店長としての仕事を始めることにする。
もうじき過去に類を見ない死闘が幕を開けることになる。
けれど今はまだ、これまでと変わらない日々を送り続けることが許されているのだから、可能な限り満喫しなければ損だろう――




