第619話 国王と王妃のとある夜
――王都、高級住宅街。
ルークが住まうグリーンホロウから遙か遠方、王宮が存在する丘とその周辺に広がる住宅街の一画に、国王アルフレッドが夜を過ごす住居も存在する。
先代国王までは王宮を住居としていたが、統一に伴う政府機能の肥大化に対応するため、そして国王自身が絢爛な住処を望まなかったことから、王宮は純然たる政務のための施設となったのである。
そしてこの日の深夜、国王アルフレッドは自宅の書斎で寛ぎながら、地方から送り届けられた報告書に目を通していた。
本来ならこれも職務の一環であり、決して娯楽などではないはずなのだが、どういうわけか国王アルフレッドの口元には笑みが浮かんでいる。
滑稽さを理由とした嘲笑などではなく、面白おかしさによって引き起こされた笑いでもなく、ただ純粋に『良いものを見た』という思いの込められた微笑みであった。
「あら、珍しいわね。いつものしかめっ面はどうしたの?」
「お前か。面白い報告が上がってきていてな」
書斎に入ってきたのは、国王アルフレッドの妻、即ちウェストランド王妃であった。
両者は共にウェストランドで最高の地位にある人物でありながら、自宅の夜を過ごすための部屋着は過度な優美さとは縁がなく、足元に至るまで落ち着いた雰囲気でまとめられている。
王妃が何も言わずに椅子の背もたれに手を置いて、背後から国王アルフレッドの肩越しに報告書を覗き見ようとする。
施錠もなく、部屋に入ってきたことを咎めもしなかった時点で、この書類が王妃ですら見てはいけない類ではないことは明白であり――王妃も国王自身も、あえて言葉にするまでもなく、その前提を共有しているようであった。
「白狼騎士団からの報告書だ。奴らが所有している二枚のメダリオンのうち、現地で手に入れた戦利品はガーネット卿が使い、俺が授けたもう一枚を団長のルーク卿が使うことにしたそうなのだがな」
「あらっ。メダリオンを粉々にするの? ふふふっ……」
王妃は口元に片手を当てて上品に笑った。
「凄い人ね。それが最善だと確信したら、国王の下賜品だろうと容赦しないだなんて。まるで若い頃の貴方みたい」
「氷の巨狼を倒し、あのアーティファクトを手に入れたときのことを思い出すな。お前は居合わせることができなかったわけだが」
「後で話を聞いて驚いたわ。まさかお父様から借り受けた先祖伝来の魔剣を、魔獣討伐と引き換えに跡形もなく使い潰してしまうなんて。もしかして、手に入れたメダリオンが半分に割れていた原因、それだったんじゃないの?」
「かもしれんな。見つけたときにはとっくに真っ二つだったわけだが」
二十年以上前のことを思い返し、国王アルフレッドが苦笑を零す。
王位継承を懸けたアーティファクト探索における最後の戦い――その一幕を思い出の一つとして軽々しく語ることができるのは、この世でも本当に限られた人間だけだろう。
後世においては間違いなく伝説的な出来事として伝わるであろう顛末も、当事者にとっては懐かしい語り草なのだ。
「メダリオンの破壊は許可するの? 後で元通りにできるそうだけど」
「許可も何も、そういった取り扱い方の判断も含めて預けたのだからな。それにこの使い方、実に興味深い」
国王アルフレッドは手にした報告書を無骨な手でバシリと叩き、そして白い歯を見せてにやりと笑った。
「義手にメダリオンの力を足し合わせることができるなら、他の武器で同じことができてもおかしくあるまい。ガーネット卿の肉体に力を宿すのもそうだ。一部の魔法使いがやってきた自己強化と同じなら、ルーク卿のスキル以外でも再現できるかもしれん。それが可能なら、世界がまた一つ激変するぞ」
白狼騎士団から報告された内容が秘めた可能性を、国王アルフレッドは嬉々として語り続ける。
一部の魔法使い達が使ってきた、魔獣の力を秘めた正体不明の金属片。
その正体がメダリオンであり、そしてルークは質量ともに魔法使いを凌駕する応用の数々を生み出している。
しかし、これが限界であるとは到底思えない。
メダリオンの使い道にはまだまだ可能性が秘められており、戦闘以外にも大きな影響を与えることもあり得るだろう。
「……本当に楽しそうね」
王妃はそうした展望を嬉々として語る夫の顔を、心の底から慈しむように眺めている。
そして国王アルフレッドも王妃の眼差しに気が付いて、ばつの悪そうな顔で顎髭を掻いた。
「すまんな、あまり面白い話ではなかったか」
「まさか。私だって元冒険者なのよ。好奇心をそそられるに決まってるじゃない」
くすくすと笑う王妃の横顔を見やりながら、国王アルフレッドは口元を緩めて微笑を浮かべた。
白狼騎士団は王宮や他騎士団と冒険者ギルドの仲立ちをする騎士団であるため、必然的に報告書の内容も冒険者の活動に深く関わっている。
かつて冒険者として名を馳せた国王アルフレッドと、父王の計画を覆すためとはいえ冒険者稼業に身を投じ、そこでアルフレッドと惹かれ合った王妃。
彼らにとって白狼騎士団からの報告書は、青春時代を思い出さずにはいられない魅力的な内容なのだ。
「だけどこの前みたいな無茶は控えてくださいね」
「この前の? もしや『元素の方舟』に乗り込んだときのことか。あれは政治的に最適解だったからであってな……」
「完全に趣味と実益を兼ねていたでしょう。王都に帰ってきたときの貴方の顔、まるで子供みたいに輝いていましたよ」
「むぅ……しかしアガート・ラムと争うとなると、陣頭指揮を取らねばならんことも考えうるのであってな……」
ウェストランド国王と王妃の語り合いは、その重苦しい肩書とは裏腹に、仲睦まじい夫婦そのものであった――




