第616話 兄弟談義 後編
「ところで、次に里帰りするのはいつ頃にするつもりなんですか。グリーンホロウに呼び寄せる予定でも構いませんけど」
「そんなこと聞いてどうするんだ?」
「予定があるならタイミングを合わせようかと思いまして。互い違いに乗り込んでも迷惑になるだけでしょう」
確かにそれもそうだ。
色々な問題が解決して、心置きなく故郷に顔を出せるようになったとしても、俺とマークの帰郷がずれたら受け入れる側の苦労が増えてしまう。
特に母さんはここぞとばかりに歓迎しようとするだろうから、その負担が二倍になるのはマークとしても避けたいのだろう。
「予定と言われてもな……右腕はアガート・ラムとの戦いに決着の目処が付くまで戻さないつもりだし、こんな状態で故郷に帰るわけにもいかないからな」
ソファーに座ったまま右腕を伸ばし、部屋の明かりにかざすようにして右手を広げる。
機巧的な外見を隠すための手袋は外しているので、人形と大差ない関節構造が露わになっていて、指を動かすたびに部品が動く小さな音が聞こえてくる。
視界の外で、ソファーに座り直したマークが、肘置きに身を乗り出してこちらを睨む気配がした。
「アガート・ラムとの戦いが終わるまで帰らないつもりですか。一体それは何十年後になるんでしょうね」
「何十年も掛かってたまるかよ。俺にだって、早く終わらせたい理由があるんだからな」
当然、その理由とはガーネットとの関係のことである。
あいつは母親の復讐のためにアガート・ラムを追っていて、当初は復讐を果たすか十八歳になるまでは、性別を偽って銀翼騎士団に所属し続けることを許されていた。
俺とガーネットが将来を約束しあったことで、この縛りは有名無実となったわけだが、それでも『復讐を果たすまでは騎士として戦い続ける』という部分は一切揺らいでいない。
ガーネットの復讐は全力で後押しする。
しかし、いつまでもだらだらと長期化させたくはない。
両者は決して矛盾することなく両立して、アガート・ラムとの早期決着を目指すという方針として形になっていた。
もちろん急いては事を仕損じるという言葉の通り、決着を焦って敗北してしまっては元も子もないので、今回のように慎重な準備を重ねているというわけである。
「それは結構なんですが、どうせ【修復】で切ったり貼ったりできるんですから、帰郷するときだけ右腕を繋ぎ直して、終わったらまた切り落としてその義手を繋げばいいんじゃないですか?」
「……さらっと凄いこと言うな、お前。他人の体をパズルか何かと勘違いしてないか?」
「違うんですか? 【修復】で元に戻せることを前提にして、毎回のように捨て身の戦いをしてると聞いたので、あまり拘りはないものかと。それに陛下からの預かり物を、後で直せるからと粉砕する予定だとも聞きましたし」
「…………」
とことん反論しにくい指摘の数々に、俺は押し黙って誤魔化すことしかできなかった。
確かに、俺は【修復】の存在を前提とした発想をしている節があるかもしれない。
けれどそれでも、切り落とされて保存されたままの生身の右腕を、義手と同じように扱って取り替えるという考えは浮かばなかった。
「でもまぁ、現実的ではないな。魔王軍の保存技術を研究するために王都へ送ったわけだし、研究がいつ終わるのかも分からないわ、私用があるから返してくれとも言いにくいわ……」
「真面目に検討しないでもらえませんか、気持ち悪い」
「……自分で言ったくせに、お前なぁ」
口元を苦々しく歪めながらマークに目を向けると、マークは素知らぬ顔で本を広げて読書を始めていた。
「とりあえず、団長がしばらく帰らないつもりだっていうなら、自分もそうしますよ。自分だけ帰っても根掘り葉掘り聞かれて煩わしいだけでしょうし。それに一人だけ戦いから逃げたみたいで格好が付きませんからね」
「……そうか」
遠回しで曖昧な言い方ではあったが、マークは自分もアガート・ラムの戦いから逃げるつもりはないと宣言しているようだった。
捻くれに捻くれたその口振りは、故郷を離れる十五年前のマークとは似ても似つかないものだったが、それくらいに変わってしまうのも当然の年月は経っている。
「それなら頼りにさせてもらうとするよ」
「あまり期待されても困りますけどね」
もうじきガーネットもこちらに戻ってくる頃合だろう。
ソファーから立ち上がってマークに背を向け、談話室をでようとする。
――ちょうどそのとき、談話室の出入り口のところで、痩せた歳上の騎士とばったり鉢合わせる。
「おっと! ……何だユリシーズか」
「団長はもうお帰りですか? そりゃ残念。せっかく珍しい顔があるもんだから、親睦を深めるのも兼ねて一杯どうかと思ったんですがね」
にやりと笑うユリシーズの手元を見ると、透き通った赤茶色の蒸留酒の瓶といくつかのグラスが握られていた。
「マーク卿もいるんならちょうどいいや。どうだい、一緒に」
「いや、俺は……あっ」
ユリシーズの方を見やったマークが急に口を閉ざして視線を反らす。
俺もすぐにマークと同じ方を見て、そしてマークと同じ反応をしてしまう。
二人揃って妙な反応をしたことを訝しがるユリシーズ。
その背後で、いつの間にかやって来ていたソフィア卿が、にっこりと満面の笑みを浮かべていた。
「談話室で飲酒はご遠慮くださいね」
「ひえっ! わ、分かってますって! 嫌だなぁ、ここで飲むわけじゃなくってですね!」
慌てて言い訳を重ねるユリシーズの姿を見て、俺はマークと視線を交わしながら苦笑するしかできなかった。




