第615話 兄弟談義 前編
――大きな仕事が無事に終わった後の気分は、いつも気持ちがいいものだ。
冒険者として活動していた頃も、武器屋を始めてからも、騎士団だのといった大事に関わるようになってからも、それだけはずっと変わらない。
安堵感に開放感、充実感に達成感。
色んな感情が入り混じっているけれど、実際はどれもこれも肯定的な感情ばかりで、どの感情がメインだったとして違いはなさそうだ。
普段こういうときは、皆を集めて春の若葉亭辺りで豪勢な夕食を取ったりするのだが、必ずしも常に全員のスケジュールが合うとは限らないものだ。
今日はアレクシアが機巧技師組合の方で慰労会を開くとのことで、こちらが何かを主催するのは先送りということに相成った。
「……事情は分かりましたけど、何で本部に押しかけてるんですか。自宅でゆっくりしていればいいのでは?」
「騎士団長が騎士団本部に来たらいけない決まりなんてないだろ?」
白狼騎士団の本部の談話室で寛いでいると、仕事を終えたマークが呆れ顔でやって来た。
「それはまぁ、一般論としてはおかしくないですけど」
マークはあえてお互いが視界に収まらない位置の椅子に腰を下ろし、こちらに視線をくれることなく言葉を継いだ。
「普段なら必要がないと顔も出さないでしょう? 武器屋と兼業だからというのは分かってますけど、だからそんな風に寛いだ貴方を見かけるのは……」
「異物感でもあるとか?」
「ええ、それです。異物感。かなり強いですね」
「もうちょっと言葉を選んでくれよな」
背もたれに体重を預けながら苦笑する。
俺と弟の関係は、十五年ぶりに再会した時点と比べれば改善してきた気がするが、それでもまだこんな調子だ。
少し前までの雰囲気を距離感があると表現するなら、今の空気感は距離を詰めた上で肩や背中を小突きあっている状態とでも言うべきだろうか。
以前このことをガーネットに話したら、うちの兄姉よりもずっと可愛げあるじゃねぇかと言われてしまい、思わず返答に窮してしまったものだ。
確かにマークとの関わり方は悩みの種ではあるが、ヴァレンタイン・アージェンティアやスカーレット・ロビンソンと比べれば、刺々しく突っかかってくることがある程度のマークは格段に接しやすいことになってしまう。
「珍しいといえば。団長とガーネット卿が一緒じゃないのも珍しいですね。護衛担当だから四六時中一緒にいるものかと思っていましたが」
「本部の中で護衛も何もないだろ。あいつにも私用くらいあるんだからな」
「ああ……なるほど。要は一人で留守番するのが寂しいからこっちに来たと」
いきなりとんでもない発言をぶつけられ、紅茶を取ろうとした手をもつれさせそうになってしまう。
しかし幸いにもマークはこちらを見ていなかったので、妙な勘ぐりをされることなく誤魔化すことができた。
「そうならそうと言ってくださったら、自分も寂しい団長殿のお相手をするに吝かじゃなかったんですがね」
「お前なぁ……子供じゃないんだから」
子供みたいな感情に由来する寂しさなど、もちろん抱いてはいない。
しかし、常日頃から行動を共にしている少女の不在に対し、ささやかな孤独感を覚えていないと言えば嘘になる。
これ自体は特別な感情などではない。
身近で大事な人が普段と違う形で不在になれば、誰であっても感じてしまうような当然の感情だ。
「護衛のためにずっと拘束しっぱなしなのも悪いだろ。今頃は友達のところに顔を出してると思うぞ」
「友達……? そういえばガーネット卿の交友関係はあまりよく知りませんね。地元の方ですか?」
「いや、お前も知ってる冒険者だ。サクラとナギが特注した新装備が完成したから、連中の宿まで見せてもらいに行ってるんだよ」
俺がサクラとナギの名前をぽつりと口にするや否や、マークは椅子を蹴倒さんばかりの勢いで立ち上がった!
「あの件ですか! 噂は聞いていますよ! 東方呪術の五大属性概念に基いた相克術式! 西方流の魔法属性を東方流に変換するという独自の発想を実現した……! 装備の外観も東方の装束を模していると聞きますし、いつか見せてもらいたいと思っていましたが、完成していましたか!」
相変わらずの東方趣味への傾倒っぷりに、もはや言葉もない。
下手にこの方向性で掘り下げると話が止まらなくなりそうだったので、あえて話題をずらしに掛かることにする。
「……故郷にいた頃はそういう趣味はなかったと思うんだが、やっぱり騎士になってから嵌り始めたのか?」
「ええ、まぁ。訓練生の頃から、紫蛟の騎士団長のジャスティン卿からは何かと気に掛けて頂きまして。紫蛟の管轄地について調べているうちに、東方文化の素晴らしさを知るに至ったわけです」
「当時は今より東方人が少なかっただろうに、よくもまぁ調べようと思ったもんだ」
「こちらに言わせれば、探究心だの好奇心だのを理由に、危険なダンジョンに乗り込む冒険者の方が信じられませんよ」
話題を反らすことには成功したが、逆に別角度からの小言が始まってしまう。
とりあえず紅茶に口をつけてやり過ごそうとしたところ、不意にマークの声色から刺々しさが消え、優しさと物寂しさが混ざったような声になった。
「故郷といえば。その右腕のこと、まだ母さん達には伝えていないんですよね」
「ああ、心配させるだけだからな」
「賢明です。できればその心遣いを、十年以上前から見せてもらいたかったものですけど」
「返す言葉もない」
棘のない小言を受けながら、苦笑とは違う感情の籠もった笑みを口元に浮かべる。
ガーネットといつも一緒にいたいという思いは否定できないが、たまにはこういう時間を過ごすのもいいだろう。
十五年分の距離感と確執は少しずつなだらかに埋めていくしかないのだから。




