第610話 氷の右腕
「まさか。諦めるつもりは毛頭ないね。これまでも、足りない分は工夫で補ってきたんだからな。それに……新しいアイディアも浮かんできてるんだ」
俺はそう宣言するなり、黄金牙の装備品に手を伸ばした。
「悪い、ちょっと分けてくれ」
「え? あ、はい」
黄金牙の騎士は俺の意図が分からないようだったが、説明する時間がもったいないのですぐに準備を始めることにする。
指先で盾の表面を撫でるようにして、その一部を【分解】して削ぎ落とす。
続けて剣と鎧からも少しずつ貰い、指先に乗る程度の粉末を義手に押し当て、今度は【融合】で腕と一体化させる。
見た目は何も変わらない。
ただ、人工的な右腕を構成する物質に、黄金牙の装備の一部が混ざっただけである。
「ヴェストリ! もう一回ぶっ放してくれ!」
「なっ! おいルーク! 何言ってやがる!」
「大丈夫、ちゃんと考えはある。こういう機会なんだから、とにかく何でも試してみる価値はあるだろ?」
遠くからこちらの様子を窺っていたヴェストリが、ゆっくりとした動作で腰の武器を構える。
ダスティン達の熾烈な戦いぶりで忘れそうになってしまうが、これは命がけの実戦ではなく、ある種の模擬戦だ。
先程のノルズリがそうだったように、アガート・ラムとの戦いの役に立つという前提であるならば、魔将達もこちらの要望をある程度は聞き入れてくれる。
こんな機会は滅多にないのだから、有効活用させてもらわない理由はないだろう。
「魔獣因子、限定解放――」
メダリオンを握った右手を前に突き出す。
全身が激痛に苛まれていた間も、人工物である義手は特に何の差し障りもなく動作し続けていた。
右腕もまた魔獣の力の影響を受けていたにもかかわらずだ。
ならば、試してみるべきことはただ一つ。
素材として強度が不足している俺の体を使わずに、右腕だけを魔獣ハティの因子と一体化させるのだ。
「――【合成】」
メダリオンが右腕全体に溶け込むように一体化していき、腕の表面を刺々しい氷の層が覆っていく。
それはさながら氷の篭手。
並大抵の斬撃なら厚みだけで食い止められそうな氷の装甲が、指先から肩口の手前までを余すとこなく包み込み、指先に猛獣の爪のように鋭利な突端が出現する。
「ヴェストリ! 来い!」
氷の篭手を前方に突き出し魔力を込める。
発動させるスキルは【修復】――先程のような、修復対象の現物を用意しない創造とでも呼ぶべきような無茶ではなく、黄金牙から貰い受けた盾を【修復】するのだ。
義肢に【融合】させた盾の構成物質を中核として、魔獣ハティの力が生み出す氷を材料に、歪な形状をした氷の盾を生成。
下端の氷を床面まで伸ばして土台とし、ヴェストリが放った超高速の金属塊を真正面から受け止める。
「おおおっ!」
同時に盾を【修復】し続けて貫通を阻む。
氷が削れ砕ける轟音が響き、そして速度を失った金属塊が弾けて見当違いの方向へと飛んでいく。
「やった!」
ガーネットが喜びの声を上げる。
そして俺も、今回は成功だと断言できるほどの手応えを覚えていた。
魔獣ハティの力を引き出し、その氷を材料とした【修復】を実行してもなお、意識が揺らぐこともなく明朗としている。
「なるほど、人間にしては大したものだ。しかしこの程度では、ただの劣化に過ぎんぞ」
「ああ、分かってる。単に防壁を作るだけなら、ガーネットがハティのメダリオンを使って壁を作る方がずっと強力だ」
揶揄するようなノルズリの物言いを全面的に肯定する。
俺の体が負荷に耐えられる程度に頑丈だったなら、ハティのメダリオンを普通に限定覚醒させて、第四階層の戦いでガーネットがしたように、ハティの力をそのまま使って氷壁を生み出せていた。
つまり現状は、手間隙かけてようやく普通のことをしているだけである。
「ただし、これだけだったらな!」
床に右手を突いて魔獣ハティの力を励起させ、一瞬のうちに自分の足元からヴェストリの周囲まで氷の道を作り出す。
「【修復】……いや……【生成】発動っ!」
ヴェストリの周囲から、身の丈ほどもある歪な氷の刃が幾本も斜めに突き出し、ヴェストリの動きを拘束する。
装甲を貫くには至らなかったものの、土の魔法で形成された腕は氷の剣先で寸断され、四方八方から突き出した氷の剣身が脱出を妨げる。
俺が右腕に【融合】させたものは盾の一部だけではない。
剣の一部も同時に【融合】させており、今度はそれを軸に氷の形を変えたのだ。
「面白い。しかしまだ一手足りんぞ」
ノルズリが口の端をにやりと吊り上げる。
ヴェストリは両足から火炎を噴出し、氷を破壊して上昇しようとする。
あれは止められない。
俺よりもずっと氷を使いこなすノルズリの拘束からも逃れてみせたのだから。
しかし僅かに動きは止めた――それだけでも充分だ。
「ここだっ!」
護身用として持ち込んでいた、アレクシア謹製のリピーティング・クロスボウを右手で抜き放ち、魔獣とスキルの力を込めながらトリガーを引き絞る。
狙いは拘束を脱したヴェストリが浮上しようとするその瞬間。
撃ち込まれた矢弾は一発たりとも装甲を貫けなかったが、着弾の瞬間に氷の鎧のごく一部を【生成】する。
腰回りに、首回りに、脚回りに。
歪な形状で再現された鎧の部品は、まともに関節が曲がるような構造もしておらず、実質的に拘束具と化してヴェストリの動きを制限する。
脚全体を拘束すれば上昇用の炎の噴出で破壊される。
しかし、胴体や脚の可動部にまとわり付いた氷には炎が届かない。
両肩の兵器も拘束に巻き込まれて可動域が狭まり、狙いをつけることすらままならないだろう。
「(俺にできるのはここまで……これで充分だ)」
後のことは、ノルズリが作った氷の大樹の残骸が散らばる地下空間――そのどこかから様子を伺っているあいつの仕事だ。
「ダスティン! 後は任せた!」
どこかから投擲された魔槍雷光が、複雑怪奇な軌道を描いてヴェストリの頭部を穿ち抜く。
そして高く跳躍したダスティンが空中で魔槍を掴み、ヴェストリが床面に落下するのとほぼ同時に、俺達のすぐ側に着地した。
「さすがだな。今まで何してたんだ?」
「これは戦闘ではなく模擬戦の類だろう。お前達に順番を譲って待機していただけだ」
俺もこいつがあの程度でやられるとはこれっぽっちも思っていなかった。
いくら初見の兵器とはいえ、こいつが一体も倒せずに退けられてしまうようでは、それこそ人間側に勝ち目はない。
ダスティンは俺とガーネットを順番に見やってから、槍の構えを解いて踵を返した。
「いい顔だ。どうやら得た物は大きかったようだな。今後に期待しているぞ」




