第606話 即席連携
空を飛ぶ鎧。
あり得ないという発想はすぐさま目の前の光景に打ち消され、俺はほとんど反射的に『叡智の右眼』を発動させていた。
アガート・ラムの鎧の脚部後方と肩、そしてこの角度からは直接見ることは出来ないが、真後ろの背部からも激しい熱が噴出している。
恐らくはこの反動で全身を宙に浮かせているのだ。
ノワールとアレクシアの魔道具、クロスボウから放たれる呪装弾の中にも、魔法によって生み出した風による加速機能を備えているものがある。
さながら風を受けて前進する帆船のように、自ら放出する突風や熱風で体を浮遊させる――これが標準装備だとするなら、アガート・ラム戦力はいよいよ恐るべきものだと言わざるを得ない。
「おい、人間。空中戦は可能か」
「魔槍の投擲で対応できる。貴様の前で使ったことはなかったか?」
「……やめておけ。地上からバカ正直に投じても撃ち落とされるのが関の山だ。ここは私の存在に感謝することだな……!」
ノルズリの周囲に極寒の魔力が渦巻き、一帯の床が刺々しい氷に閉ざされたかと思うと、それらの棘が一気に巨大化と枝分かれを繰り返し、瞬く間に氷樹の森林を生み出していく。
そしてダスティンの行動も凄まじく疾かった。
氷の大樹が育ち切るよりも先にその幹を駆け上り、広がりゆく棘の枝を疾走して空中のヴェストリとの間合いを詰める。
「ふっ……!」
「カカカ!」
強靭な金属同士がぶつかり合う音が響く。
ダスティンの横薙ぎをヴェストリが腕の装甲で防ぎ止め、その勢いを殺しきれずに吹き飛ばされる。
氷の樹木と枝葉を砕きながら天井に向けて吹き飛び続ける、アガート・ラムの鎧。
しかしダメージ自体はさほど入っていなかったらしく、空中で悠然と一回転して姿勢を整える。
ダスティンはそれすらも想定内だったと言わんばかりに、太い枝の上で魔槍を構えて投擲を繰り出した。
「吼えろ、雷鳴」
投擲と同時に魔槍が魔力の分身を生み出し、落雷じみた轟音を立てながら拡散して、上方のヴェストリめがけて殺到する。
ノルズリとの打ち合わせなしの即席連携に加え、奇襲によって体勢を崩した上での拡散する魔槍による面制圧攻撃――ダスティンがどれほど戦い慣れているのかを如実に示す、一瞬の猛攻だ。
しかし対するヴェストリもまた、容易ならざる敵である。
「――カカッ」
右肩の裏側に提げられていた中空構造の兵器がぐるりと動き、肩越しに背負うかのような状態になる。
次の瞬間、太陽さながら閃光が炸裂した。
ダスティンが擲った矢の雨の如き魔力の槍を、ヴェストリが撃ち出した光の豪雨が迎え討つ。
拡散する攻撃には拡散する攻撃を。
閃光の豪雨は雷鳴の掃射を防ぎ止めたのみならず、氷の森林を穴だらけにし、灼熱の余波で片っ端から溶解させていく。
ダスティンの足場となっていた枝も根本から崩れ落ち、奴の体が宙に投げ出されそうになる。
「奔れ、雷光」
しかしダスティンは完全に踏ん張りが効かなくなるよりも前に、第二の魔槍を投擲した。
そこに驚きも躊躇も一切なく、まるで雷鳴が迎撃されることすら想定していたかのようだった。
「やるのぉ!」
ヴェストリがアガート・ラムの鎧に覆われた右腕を振り向け、右手に内蔵された熱線を発射する。
熱線がダスティンの脇腹を掠め、熱に耐えきれなかった防具を焼き焦がす。
だがその直後、稲妻のように複雑な軌道を描いて飛翔していた雷光が、空中で急激に角度を変えてヴェストリの右の掌を穿ち抜いた。
「ぬおっ……!?」
魔槍雷光は熱線発射直後の掌を――厳密には掌に空いた熱線発射用の穴を狙い過たずに貫き、そのまま手首と前腕部を内部からずたずたに砕きながら直進し、二の腕の付け根付近から勢いよく飛び出した。
内部に蓄積されていた熱量の暴走か、ヴェストリの右腕が爆発して肩口からもげ落ちる。
「……カカカ。確かに発射口は装甲がなかったな。仮に保護用の蓋の閉鎖が間に合ったとしても、あれほどの威力は防ぎきれん。古代魔法文明の技術など全く知らんだろうに、ここが関節以上に脆いと見抜くとはのぉ」
ヴェストリがどこか喜びすら感じさせる声を漏らす。
――その背後にノルズリの姿が現れた。
光の雨によって氷の森林が破壊される最中、ノルズリは自分が駆け上るための足場を追加で生成し、ヴェストリがダスティンに集中している隙に背後を取ったのだ。
「殺った――!」
腕を失った右側面から迫る横薙ぎの斬撃。
狙いは首、たとえアガート・ラムの人形であっても機能を停止する急所。
決して防がれ得ぬと思われた奇襲――しかしノルズリが振るった氷の刃は、ヴェストリの首に届く前に食い止められてしまった。
「……ヴェストリ! 貴様!」
「カカカ。やはり勘が鈍っておるようだな」
氷の剣を握ったノルズリの腕を、ヴェストリの右腕が掴み止めている。
それは生身の腕でもなければ人形の腕でもない、マッドゴーレムのそれと同じ土の腕であった。
ヴェストリが空中で旋風のように体を反転させ、左拳をノルズリの胴体に押し当てる。
殴るのではなく、ただ拳を押し当てただけにしか思えない動作の直後、ノルズリはまるで巨大な魔物にフルスイングの大鎚を叩き込まれたかのように吹き飛んだ。
「がはあっ……!」
「ノルズリ!」
もしも『右眼』を発動させていなかったら、何が起きたか理解することすらできなかっただろう。
あの瞬間、ヴェストリの腹部に押し付けられた左手を守る篭手状の装甲が、腕の動きとは全く無関係に独立して前方に突き出し、ノルズリに密着状態からの打撃を叩き込んだのだ。
「魔法の力を保つために肉体を捨てた連中が、魔法の力を使えないわけがなかろうに。中立都市を襲った連中は機能を制限されていたようだったが、よもやその印象が強すぎたか?」
ヴェストリが右肩に担いだ筒状の熱線射出器を真下に向け、先程よりも強烈な魔力を蓄積し始める。
これをまともに撃ち込まれたら、一体どれほどの余波が発生することか――
「まずい、逃げるぞ!」
俺が黄金牙の騎士達に呼びかけた次の瞬間、ダスティンでもなければノルズリでもない小柄な人影が、どこからともなく床と壁を蹴って跳躍し、空中のヴェストリめがけて斬撃を繰り出した。
「オラァッ!」
「ぬうっ!?」
――見間違えるわけがない。あの横顔は間違いなく。
「ガーネット!?」




