第603話 ヴェストリからの思わぬ要請
魔将ヴェストリの一言を聞き、俺は思わず息を呑まざるを得なかった。
――アガート・ラムからの鹵獲品。
言われてみれば確かにあり得ない話ではない。
むしろ、もっと早くに想定しておくべき可能性だったとすら言えるだろう。
二度に渡るアガート・ラムとの戦闘により、俺達は決して多いとは言えない量ではあったものの、自律人形の残骸を入手することができた。
俺の義手もそうして手に入れたサンプルからのフィードバックで完成したようなもので、他にもまだ俺が知らない数多くの成果が生まれているはずだ。
「ああ……魔王軍の方がずっと前からアガート・ラムと敵対していたんだからな。奴らについて知っている情報の量も、手に入れている物証の数もそちらが上で当然だ」
これについては素直に魔王軍の優越を認めるべきだろう。
さもなければ、一時休戦と協力関係の協定など締結する意味がない。
「もしかして、その鹵獲品を俺達にくれるのか?」
「カカカ。まさかまさか。我らにとっても貴重な代物ゆえ、所有権をくれてやるつもりは毛頭ない」
さほど期待を抱くことなく、とりあえず聞くだけ聞いてみたものの、やはり単純に贈り物として持ってきたわけではなかったらしい。
だったら何をしにきたのか説明してくれ――そんな思いを込めて無言の手振りを返す。
いくら何でも鹵獲品を見せつけて自慢したかっただけなはずはない。
魔王軍は幾度にも渡って俺達を苦しめてきた連中であるが、逆にだからこそ、明確に頭を使った立ち回りをしてくるはずだという信頼がある。
「我らは幾らかの残骸を鹵獲しておるが、それらの修復と解析はなかなかに上手くいかなんだ。高度な技術を投じた設備は、どれもこれも第三階層に残したままだったからな」
「まぁ……アガート・ラムの人形を複製できるなら、ゴーレムを掘り返して改造したり、地上の人間をドラゴンと融合させようとしたりはしないだろうからな」
「カカカ。全くもってその通り。同性能の人形を作れるのなら、我らも苦労はしておらん。あれはイーヴァルディの技術あってこそよ」
俺とヴェストリが会話を交わしている間、鹵獲装備を内蔵していたゴーレムがもう一度胸に腕を突っ込んで、何かを引きずり出そうとしていた。
「ちなみにだが、この地下空間はイーヴァルディが地上に対する防衛用のゴーレムを格納していた場所だ。我らもここよりも深い場所までは調べが及んでおらんよ」
「……それはそれで興味深い話だけど、本題はそこじゃないんだろ?」
「急くでない。ほぅら、出てくるぞ」
ゴーレムが丸太のように太い腕を胸から引き抜く。
その手に握られていたものは、無機物によって構成された人型の残骸――アガート・ラムの人形であった。
「なっ……!」
驚愕しながらも冷静にそれを観察する。
土製の腕に握られたそれは紛れもない残骸そのものであった。
馬車に踏み潰された陶器人形の部品を針金で結びつけたかのような、もはやこれが人間同様に動いていたとは信じられないほどの、バラバラに砕け散った残骸だ。
頭部の損壊は特に酷く、割れた頭の中身の代わりに銀色の粘土らしき土が埋め込まれている。
人工的な製造物だと分かっていても、酷いものを見てしまったという気分にされてしまう。
ああいう人形には古代人の魂が宿っていたと知っているせいかもしれないが。
「ルーク・ホワイトウルフよ。貴様らにこれらをくれてやるつもりはないが、しかし貸してやることならできる。アガート・ラムの正規兵を想定した訓練相手にでも使うがいい」
「……そちらに渡す見返りは?」
「共有だ。実物も復元時の情報も何もかも共有してもらう。これ以上は望まんよ」
直したくても直せなかった鹵獲兵器を俺に【修復】させて、そこから得られるものをごっそり手に入れようという算段か。
言い換えれば、魔王軍が破損した鹵獲品を提供し、俺がそれらを【修復】して、利益はどちらも等しく手に入れるというようなもの――こう考えれば妥当な提案だと言えるだろう。
アガート・ラムを討った後で再び敵対する可能性を考えると、魔王軍の戦力増強に繋がってしまうのではないかと思えなくもないが、こちらも同様に戦力の増強に繋げられるわけだから、完全にお互い様だ。
しかし問題は――
「悪いけど、完全な【修復】はできそうにない。元々の部品が相当に失われてるみたいだ」
「ほう? 『右眼』も解析能力も使わず分かるのか」
「だいぶ使い込んだ能力だからな。目分量でもある程度のことは判断できる」
俺は床に置かれた残骸を見下ろし、一部を手にとってみた。
「折れた剣を泥で補っても鉄の代わりにはならない。お前達が復元しきれなかった原因は、構造が複雑だからっていうだけじゃなくて、部品に使われている素材が特別だっていうのもあるんだろ?」
ヴェストリの口元がにやりと笑みを形作る。
何かを企む不敵な笑いというよりは、俺がこういう判断を下せる人間だということを喜んでいるかのような。
「素材が変われば強度も変わる。金属なら実現できる構造の機巧を、木細工で作ったところでまともに動くとは限らないように、特殊な素材で造られた道具をありあわせの素材で【修復】したところで……」
アレクシア達が研究している武器仕込みの義手にとっても、素材の強度や物性は無視できない大きな問題だった。
刃物やクロスボウの伸展機構、固定機構、そして攻撃時の衝撃吸収――あらゆる点において強度不足が問題視されていたが、これは構造的な問題よりも、各部品の強度の問題の方が大きい。
それらよりも遥かに複雑で高性能なアガート・ラムの兵器を、ただの鉄や鋼で補ったところで、あっという間に各所が壊れて使い物にならなくなってしまうだろう。
「カカカ。適切な判断だ。アルファズルが器に選ぶだけのことはある」
「……褒め言葉として受け取っておくよ。だけど、実際どうするつもりなんだ。鎧と武器と人形本体の残骸……全部引っくるめても人形一体分の素材が足りないだろう。せめてもっと現物を提供してもらわないと」
「言われるまでもない。その人形の残骸は【修復】素材だ。それを使って武具を直してもらいたい」
「いや待て。それじゃあ一体どうやって兵器を動か……」
残骸から目を離してヴェストリに向き直った瞬間、俺は驚愕に言葉を失ってしまった。
ヴェストリは――自分の顔を剥いでいた。
違う、剥いでいるのは顔のように張り付いていた土の塊だ。
土によって形作られた偽物の顔を剥いだ後には、これまでに何度も目にしてきた、アガート・ラムの人形と同じ人工的な無貌の顔があった。
「なあっ……!?」
まさかお前の体も人形だったのか!
当然に湧き上がってきたそんな考えは、同じ地位であるはずのノルズリまでもが目を剥いて驚愕していることで否定された。
「カカカ、案ずるな。本当の体は第五迷宮に置いてある。これはあくまで今回限りの仮初の器――仮想敵の核とするべく持ってきた材料に過ぎんよ」
俺やノルズリが腰を抜かさんばかりに驚いたことに満足したのか、ヴェストリは心底愉快そうな声で笑ったのだった。




