第601話 第一階層の地の底へ
俺とガーネットは黄金牙の騎士達が駆け寄ってきたことに気付くなり、これまでの緩んだ空気を一気に引き締めた。
エリカだけは雰囲気の急変についていけずオロオロとしていたが、騎士達はそんな事情を汲もうとする素振りすらみせず、事務的に用件を告げにかかった。
「間に合ってよかった。ルーク団長、これから少々お時間を頂けないでしょうか」
どうやら急な用件が生じたタイミングで、俺達がちょうどよく支部に来ていると聞きつけて、大急ぎで探しにきたといったところのようだ。
一刻を争うわけでもないなら、後で使者を店に送りつけていたはずなので、これだけでも用事の重大さが垣間見えるというものである。
「何かあったんですか? もしかして急ぎの【修復】依頼ですとか」
「いえ、スキルの力をお借りしたいわけではなく……」
リーダーと思しき騎士は露骨に言葉を濁しながら、横目でエリカに視線を向けている。
エリカ本人は何故自分が見られているのか、全く分かっていない様子だ。
しかし俺はこの仕草だけで、騎士達が言わんとすることをある程度まで理解できた。
「なるほど……ガーネット。いきなりで悪いんだが、エリカを店まで送ってやってくれ」
「あいよ。すぐに戻ってくるから先に行ってきな」
「えっ? あの、どうかしたんですか?」
ガーネットは困惑を深めるエリカの腕を掴み、身体能力の差に物を言わせて、エリカをぐいぐいと引っ張っていった。
「連中は騎士団長としての白狼のに用事があるらしいぜ。どうせ長引く案件に決まってるし、お前だけでも店に戻らねぇと他の連中が休憩にも行けねぇだろ」
「そんないきなり……! あっ、あの! ルークさん! よく分かんないですけど、頑張ってください!」
俺は肩越しに片手を上げ、ガーネットに連れられて帰路を急ぐエリカを見送ってから、改めて黄金牙の騎士達に向き直った。
あと何日かはホワイトウルフ商店に集中していられるかと思っていたが、どうやら事態の進行は俺の事情を考慮してはくれないらしい。
「お待たせしてすみませんね。それじゃあ、行きましょうか。行き先はホロウボトム要塞の方ですか?」
「申し訳ない。こんなふうにお手数をお掛けするのは、我々としても心苦しいのですが、何分……」
「魔族が相手では仕方がない。まったくもってその通りですね」
「……既にお見通しでしたか」
こんなタイミングで、ホロウボトム要塞駐在の黄金牙の部隊から呼び出しがあったとなると、理由はおおよそ見当がつく。
「魔王軍からの接触があったんでしょう? それなら確かに白狼騎士団の領分だ。向こうとしても窓口を俺に絞った方が好都合でしょうしね」
「さすがですね。しかし一つ補足があります」
騎士達のリーダーは周囲に誰もいないことを確かめてから、声を潜めて追加の情報を口にした。
「魔王軍から指定された場所は、要塞ではなく第一階層の地下遺跡なのです」
――ダンジョン『元素の方舟』第一階層、旧名称『魔王城領域』は緩やかな弧を描いた横長の地下空間だ。
下手な山よりもずっと高い天井には、地上の空と連動した発光機能が設けられ、地下水が集まった川も流れるなど、荒野と岩山の自然環境が人為的に再現されている。
しかし、今回重要になるのはそこではない。
ギルド支部から地下通路を抜けた先にあるホロウボトム要塞は、ちょうど岩山地帯の中程に位置している。
そこから岩山を下って平らな荒野を経た先には、かつて魔王軍が拠点としていた城とドワーフ達が暮らす城下町がある。
逆に岩山地帯の奥にはドラゴンの生息地が広がっており、セオドアが発見した第四階層への直通ルートも大きく口を開けている。
だが、第一階層の冒険者達が探索を繰り広げている現場は、これらの岩山と荒野ばかりではない。
「文字通り、ホロウボトム要塞の足元……岩山の内部に存在する広大な坑道と、正体不明の古代遺跡。冒険者達が嬉々として乗り込んで、それなりに地図も出来上がっていると聞きますが……魔王軍はそんなところで何をしたいんですか」
俺は黄金牙騎士団の護送を受けながら、魔王軍から指定された場所へと向かいながら、騎士達からもっと詳しい話を聞こうとした。
「というか……第四階層の本拠地から第一階層まで、魔王軍がフリーパスで上がってきたわけじゃないでしょうね」
「まさか! きちんと戦力を同行させて監視もしていました。怪しい行動は全くしていなかったと聞いています。目的については……ルーク殿とお話がしたいという一点張りだったそうですが」
「何の話をするつもりなのか、心当たりが多すぎて特定できないのが困りものですね」
一応、俺としてはジョークのつもりで口走った一言だったのだが、黄金牙の騎士は笑っていいのかどうか真剣に迷ったらしく、ただ曖昧な表情を浮かべるだけだった。
現実問題、俺は魔王軍から様々な意味で目をつけられているので、呼び出される理由の候補が多すぎて迷ってしまう。
「しかし、これなら護衛の騎士を帰したのは失敗だったかもしれませんね。もしくは帰ってくるのを待ってからにするべきだったか……」
「ルーク殿の護衛として、冒険者ギルド支部で優秀な冒険者に声を掛けております。幸運にも魔王狩りのダスティン殿にご同意を頂けまして」
「ダスティンが? あいつがいるなら安心だな。前みたいに魔将の攻撃があっても何とかなりそうだ」
その名を聞いて一抹の不安も掻き消える。
魔王狩りの――あるいは二槍使いのダスティン。
単独の戦闘能力ならばAランク冒険者でも間違いなく最強格で、現役の戦士の中では大陸全体を見渡してもトップクラスのあの男がいるなら、よほどのことがなければ大きな問題は起こらないだろう。
もっとも、魔王ガンダルフ本人が最初から全力で戦いを仕掛けてきたなら、さしものダスティンでも相当に不利な戦いを強いられることになるのだろうが……さすがにこれはあり得なさすぎて笑えてくる想定である。
ともかく俺は、黄金牙の騎士達に連れられて岩山の地下坑道に潜り、そこから地下遺跡に踏み込んで、魔王軍から指定された場所へと向かっていく。
ここは高度な技術で造られた神殿のような地下空間。
建造物そのものに多大な価値があってもおかしくはない古代文明の遺跡である。
「こちらです。お入りください」
黄金牙の騎士に促され、天井の高い広間に足を踏み入れる。
そこで俺を待っていたのは、もはや顔馴染みにすらなりかけているダークエルフの女――の肉体を器とした氷の魔将であった。
「意外と早かったな。もう少し待たされるかと思ったが」




