第592話 近くて遠い兄弟の距離 後編
「……ソフィア卿が俺なんかに時間を割いてくれる理由が、他ならぬあんただっていうことが……さ」
唐突なタイミングで危険極まる爆発物を投げ入れられ、思わずむせ返りそうになってしまう。
「待て待て! 何の話だそれは! 俺にはアルマがな……!」
「自惚れるな馬鹿。あと惚気けるな」
マークは態度を取り繕うことをすっかり投げ捨てて、不快感を覚えているのだと露骨にアピールするかのように口元を歪めた。
「ソフィア卿はあんたに感謝してるんだ。監察をうざったがることもせず、あの人の事務能力を正当に評価して、貴重な人材として頼りにしていることにな。事あるごとに聞かされて暗記すらできそうだ」
もはや騎士団長と団員ではなく、単なる兄と弟としてのやり取りになっている。
俺の方も団長らしさを演出しようなんて発想はどこかに消え失せて、ただただ自然に振る舞い続けようという気分にしかなれなかった。
十五歳の頃、かねてから志していた冒険者となるため、両親の反対を押し切って故郷を飛び出したとき、マークはまだ十歳やそこらの子供だった。
反抗期なんてものに居合わせることもなく、子供としか言いようのない姿が最後の記憶であり、男兄弟らしいやり取りなんかしたこともなかった。
それが十五年余りの時を経た後で、こんなに入り組んだ関係を築いた上で実現するとは、去年までの俺なら想像もできなかっただろう。
「まったく……こっちの身にもなってみろっての。故郷を捨てた放蕩野郎の代わりにちゃんとした仕事に就いて、父さんと母さんに楽をさせてやろうと思ったのに、こっちが十年掛けてスタートラインに立った分野のゴール手前までショートカットされたんだ」
「……それも事あるごとに聞かされてるな」
「何度言ってもすっきりしないからな。そう簡単に納得できるわけないだろ」
マークは周囲に他の団員がいないことをいいことに、しばらく溜め続けていた愚痴を全て吐き捨ててしまうつもりのようだった。
俺としても望むところだ。
降って湧いた空き時間の使い道としては、これほど上等なものもそうそうないだろう。
「しかも、しかもだ。俺みたいな一般出身じゃなくて、騎士の家系出身の生え抜きの専任騎士から一対一で教練を受けられる……こんな機会は滅多にないっていうのに、その理由が『放蕩野郎に少しでも恩を返したいから』なんだぞ? 一体どんな顔をすればいいんだっての」
……けれどマークの発言はどれも反論できそうにないものばかりで、さっきから的確な投石を食らい続けている気分だった。
どうしようもない俺への反発。
ソフィアに鍛えられていることを幸運だと思う気持ち。
両方とも本音だからこそ、心の中で生じてしまう軋轢もより強くなってしまうのだ。
本を正せば故郷を捨てた兄のせいだというのも正論ではあるが、その場合はマークが騎士を目指すことはなかっただろうし、それがまた苛立ちを加速させてしまっているのだろう。
「……なぁ、マーク。お前が騎士を目指してから、だいたい十年くらいなんだよな」
「そうですけど……それが何か。騎士の家系の出身者と違って、基礎的な教養から叩き込まれないといけませんでしたし、叙任までたっぷり十年掛かりましたよ」
マークはわざとらしく喋り方を変え、兄弟ではなく団員として受け答えしているのだと言わんばかりの素振りを見せた。
どうやら自分が一方的にまくし立てるときは素の振る舞いをしてもいいが、俺の方から話しかけられた場合は他人行儀に返してやろう、なんていう独自基準が頭の中にあるらしい。
理屈ではなく完全に感情的な線引きなのだろうが、むしろそこに弟の心の底が垣間見えた気がした。
「お前は十年掛けて今の実力まで右肩上がりに伸びてきた。けれど俺は、スキル一つでも違和感のなかった最初の数年を過ぎて、右肩下がりどころか最底辺を転がり続けるだけだった」
「そうだったらしいですね。興味ありませんけど」
「グリーンホロウに来てから色んな意味で一気に跳ね上がったんだが、それにしたって幾つもの偶然が積み重なった奇跡みたいなものだ」
偶然と奇跡の内訳は枚挙に暇がない。
勇者ファルコンの募集に応じて『奈落の千年回廊』に挑んだことも、迷宮の奥に置き去りにされてアルファズルの力の断片を得たことも。
シルヴィアやサクラの窮地に出くわしたことも、グリーンホロウで武器屋を始めようと決めたことも。
迷宮からただ独り生還したノワールと再会したことも、それをきっかけに魔王軍と王国の戦争に深く関わるようになったことも。
そして何よりも――ガーネットと出会えたことも。
今も原因不明の進化を遂げた【修復】スキルとその派生を除けば、俺の本来の実力が成し遂げたことなんて、ほんの一握りしかないと思っている。
あるとすれば、決断すべきときに迷わず決断を下せたことくらいだろう。
「だからさ、マーク。お前は俺よりもずっと優れてるんだ。漫然と生きた冒険者の十五年よりも、目的を持って鍛え続けた十年の方が上じゃなきゃおかしいだろ?」
「…………」
「俺の十五年の経験は嘘をつかなかった。それなら、お前の十年も嘘をつかないはずだ。そもそも、騎士としてやるべきことをする能力でいうなら、比べ物にならないくらいにお前の方が上なんじゃないか?」
もしも俺が【修復】スキルと『右眼』以外でこいつに優る点があるとすれば、冒険者としての活動を通じて得た知識と経験、そして生死すら懸かった決断を下す判断力くらいのものだろう。
更に言えば、後者も経験のうちに含まれる事柄だろうし、マークだってこれからいくらでも鍛えていける分野でもある。
白狼騎士団という特異な役目を担った騎士団を率いるにあたって、たまたま都合よくそれらが――スキルも含めてだ――要求されているだけであって、騎士としての能力でいえばマークの方が優れているに違いない。
「まったく……自分の右腕を切り捨てることだけじゃなくて、自分を卑下することにも躊躇いがないんだな」
「正当な評価を下していると言ってもらいたいな」
マークは溜息混じりに立ち上がり、ズボンについた砂を軽く払った。
「まぁ、暇潰しにはなりましたよ。たまには言いたいことを吐き出しておかないと、精神衛生的にもよくありませんね」
「同感だ。俺も言いたかったことが言えて助かったよ」
素直にそう伝えると、マークはムッとした表情を浮かべ、そしてあまりにもわざとらしい声色で声量を一段上げた。
「ああそうだ! すっかり言い忘れてましたがね。先日、故郷の母さんから手紙が届いたんですよ」
「本当か? なんて書いてあったんだ?」
「近況報告が半分。残り半分は放蕩兄貴が連れてきた、犯罪的に若い婚約者についてあれこれ聞きたいことがつらつらと」
マークからじろりと視線を向けられ、思わず顔を背けてしまう。
「俺が一番納得してないのはそこだからな? あんた、一体どんな手段使ったんだよ、マジで」




