第591話 近くて遠い兄弟の距離 前編
ソフィアの働きぶりとマークのしごかれぶりを確かめた後、俺とガーネットは続けてライオネルとチャンドラーの訓練の様子を見に行くことにした。
仕事柄、白狼騎士団はダンジョンに乗り込んで戦闘に参加することも多い。
個人単位での戦闘能力に秀でたチャンドラーと、集団戦を指揮する能力に長けたライオネルの二人は、この騎士団の主力と言って差し支えない人材である。
彼らの戦闘訓練は紛れもなく仕事のうち。
なので快適に訓練を積むことができる環境は、それなりにしっかりと整えてあるつもりだ。
「……ったく、楽しそうに暴れやがって」
本部裏手の野外訓練場で打ち合うライオネルとチャンドラーを見やりながら、ガーネットが羨ましげに口元を歪める。
普段から俺の護衛に掛り切りになりがちなガーネットだが、こいつも体を動かしたり自分を鍛えたり、あるいは最前線で鎬を削ったりするのが好きなタイプだ。
楽しげに訓練をする二人を見て、自分も混ざりたくなってしまったのだろう。
「良かったらお前もやってくるか? 二日酔いの残りを吹き飛ばすには丁度いいだろ」
「あん? いいのか?」
「ここに来た理由は概ね達成できたからな。本部のど真ん中で護衛を連れ歩く必要は薄いだろ」
本部の建物とその周辺には、団員のヒルドとアンブローズ、そしてホワイトウルフ商店のスタッフであるノワールが、それぞれの魔法系スキルを組み合わせた警備システムを構築している。
もしもそれらを潜り抜けて侵入できる奴がいたなら、グリーンホロウに安全な場所はどこにもないと断言できるくらいだ。
「んじゃ、御言葉に甘えさせてもらうとすっか。おーい、野郎ども! オレも手伝ってやる!」
嬉々として訓練場に駆け込むガーネット。
銀翼騎士団では性別どころか素顔すら隠しながら訓練に参加していたわけだから、好きに暴れさせてもあの秘密がバレることはないだろう。
秘密を隠しながら戦うことにかけては、ガーネットは十年近い経験を積んでいるのだから。
「さてと……俺も適当に時間でも潰すとするか」
建物の方に引き返しながら、騎士団本部でやれることを頭の中でリストアップする。
資料室に行って『元素の方舟』絡みの資料でも読み返すか。
談話室か休憩室なら、団員の誰かが暇潰しになるものを持ち込んでいるかもしれない。
そんなことを思いながら歩いていると、屋外の渡り廊下でマークとばったり出くわした。
「おっ、ソフィア卿から解放されたのか」
「どうにかこうにか……報告書もとりあえずは仕上がりましたよ」
俺とマークはどちらからともなく足を止め、中庭に面した建物の縁に腰を下ろす。
「ソフィア卿は随分とお前のことを気に入ってるみたいだな。本来の仕事の分野を越えて、色んなことを教えてもらってるそうじゃないか。さすがに戦闘は対象外らしいけど」
「お陰様で訓練生時代よりもしごかれてる気分ですよ。ありがた迷惑……というわけではないんでしょうけどね。騎士をやっていくなら必要不可欠なことばかりでしょうし」
マークは複雑な心境が露骨に反映された表情を浮かべ、眉根を寄せながら息を吐いた。
ソフィアから教わっている内容が大事なことばかりだというのは、マークも理屈としては納得しているようだったが、度重なる指導に疲労を覚えていることも否定しきれない、といった様子である。
「俺も騎士としては駆け出しだから、あまり偉そうなことは言えた口じゃないけどな。冒険者になりたての頃は当時のパーティーリーダーからあれこれと雑用を押し付けられたもんだ」
あれは故郷を飛び出して最初に所属したパーティーでの思い出だ。
現地でもかなり大規模な部類であり、当時の俺みたいに何の経験も後ろ盾もないルーキーを、それこそ何人も抱え込めるほどの余裕がある有力パーティーだった。
今後も腐れ縁になるトラヴィスとほぼ同時に加入し、他の同期と一緒に容赦なくこき使われ続けたものである。
「当時の俺は『下っ端を好きにこき使いやがって』だなんて思ってたさ。後になってから振り返れば、無理矢理にでも積まされた経験が色んなところで生きたんだけど……それでもやっぱり、新人の指導にいちいち時間を割いてはいられないっていうのはあったんだろうな、とは思うんだ」
確かに下っ端としての下積みは大いに役立った。
けれど効率という点で見れば、決して割のいいものではなかった。
効率的な教え方や鍛え方という概念を丸ごと放り投げ、面倒な雑務を押し付けるついでに鍛えていた、とでもいうべき状況だったことは否めない。
だが、それは致し方のないことだ。
俺達を加入させた冒険者は新人指導で稼いでいるのではなく、自分達本来の仕事を続けて食い扶持を稼いでいる傍らに、直接的な収入には繋がらない新人指導にも時間を割いていたのだ。
もちろん長期的に考えれば、新人が育てば巡り巡って自分達の利益にもなるのだろうが、そこまで遠い未来を考えられる余裕がある冒険者など、決して多くはない。
「だから、あんな風に熱心な指導を受けられるっていうのは、本当に幸運なことだと思うぞ。教え方だって、厳しくはあっても理不尽ではないんだろ?」
「まぁ……それはそうなんですけど。訓練生時代にあの人が教官だったなら、きっと訓練期間が最初から最後まで楽しいままだったと思いますよ。だけど、少し釈然としないことがありましてね……」
マークは建物の縁に腰を下ろしたまま、立てた膝に肘を置いて頬杖を突き、横目で俺の方を見やった。
「……ソフィア卿が俺なんかに時間を割いてくれる理由が、他ならぬあんただっていうことが……さ」




