第590話 とある日の騎士団員達 後編
当然のことではあるのだが、騎士団の仕事の多くは地味で目立たない事務仕事であり、この本部にもそのためのスペースが相応に確保してある。
食堂を出てすぐに鉢合わせたライオネルから聞いた、ソフィアが仕事に勤しんでいるという部屋も、そんな作業のために設けられた場所の一つだ。
自室に籠もって作業をするのも構わないのだが、大量の資料を持ち込んだり複数人で膝を突き合わせたりするとなると、さすがに広さが足りなくなってしまうものである。
「ソフィア。今ちょっと大丈夫か?」
念のため扉の外から声を掛け、手が離せない状況になっていないかを確認する。
「ルーク団長ですか? 問題ありません、どうぞお入りください」
即座に返答があったので、ガーネットと一緒に事務室の扉を潜る。
するとそこには、いくつもの紙束に埋め尽くされたテーブルを挟んで向かい合う一組の若い男女――要するにソフィアとマークの姿があった。
状況は一目見ただけで理解できる。
頭を使い過ぎて疲れ果てた様子のマークに対し、ソフィアが事務作業の指導を熱心に行っているという構図だ。
割とよく見る光景ではあるが、今日はいつもに増して気合が入っているように思える。
「……すまん、邪魔したな」
「いやいやいや! 邪魔じゃないから! いい機会ですから休憩しましょう、ソフィア卿! そうしましょう!」
思わず退室しようとしかけた俺を、マークが必死になって引き止める。
閉めようとした扉を強引に開け直されてしまったので、諦めて邪魔をさせてもらうことにした。
「仕事の進捗を確認しに来ただけだから、そんなに長居するつもりはないぞ」
「分かってるって……一息入れる口実くらい置いていってくださいよ」
マークは声を潜めて俺に囁いてから、わざとらしい態度でソフィアに向き直った。
「それじゃ、自分はお茶を持ってきますので! こういう雑務は一番の若輩者がするべきですからね!」
どう考えても本音ではない一言を残し、マークは止める間もなく部屋を飛び出していった。
この場で一番若いのは、二十五、六のマークではなく十五、六のガーネットなのだが、この場合の若輩とは騎士としての経歴の浅さだろうから、俺とマークが揃って一番下である。
まぁ、部屋を飛び出す適当な言い訳に違いなかったから、本人も深くは考えていないのだろうけど。
とりあえずマークは一旦後回しにするとして、ここに来た一番の理由であるソフィアと話をすることにしよう。
「用件はさっき言った通りだ。そっちの仕事の進み具合はどんなものかと思ってさ。本当にただ様子を見に来ただけだから、長居して邪魔をするつもりはなかったんだけど」
「邪魔だなんて、そんな。騎士団長が部下の仕事を見て回るのは当然のことですよ」
口元に手をやってクスクスと笑うソフィア。
仕事中はいつも冷静で厳格に振る舞うソフィアだが、仕事を離れるとこんな風に柔らかい表情も見せてくれる。
「実を言うと、仕事の進捗の確認というよりも、働き過ぎてないかを確かめる目的の方が大きかったんだ」
俺はテーブルを囲む椅子に腰を下ろし、ソフィアと正面から向かい合った。
「お前には本来の仕事だけでも色々と頼りっぱなしなのに、マークの指導までしてもらっているだろ? 俺も人のことを言える立場じゃないけど、オーバーワークになってるようなら、少しは配分を考えないといけないと思ってさ」
ソフィア卿は各騎士団の監査を担当する青孔雀騎士団の所属であり、騎士団の会計に不正がないかを調べることも仕事のうちであるため、必然的に様々な事務処理の技能を身に着けている。
発足したばかりで人員も少ない白狼騎士団の場合、わざわざ監査しなければならないことも少ないので、ソフィアには騎士団の事務仕事を統括する役割を担ってもらっていた。
それだけでも白狼騎士団の心臓部といえる存在だが、これに加えて新人の指導までこなすとなると、俺にはとてもできそうにない働きぶりである。
「いいえ、そんなことはありません。むしろこれまでに赴任したどの部隊よりも、気分が楽で疲れも少ないくらいです」
ソフィアはテーブル越しに微笑みを浮かべた。
「青孔雀騎士団は監査役。どうしても憎まれ役になることが多いですから。全幅の信頼を寄せてくださるだけでなく、騎士団運営の重要なところまで任せて頂いて、すっかり心労から開放された気分です」
話を聞きながらソフィアの様子を観察してみても、疲労を無理に押さえつけている様子は見られなかった。
グリーンホロウと白狼騎士団での生活を、本当に心地よく思ってくれているというのなら、こんなにも嬉しいことはない。
「ちなみにですが、さっきは王宮に直接奏上する報告書の文体を指導していました。どうしても手癖で、騎士団内の報告書のテンプレートに従ってしまうようなので……」
「ああ……ちょっと面倒だよな、それ。普通は使わないような単語や言い回しも多くてさ」
「分かる分かる。オレも駆け出しだったときには、専任騎士から何度も雷落とされたぜ。当然だけど子供だからって容赦ねぇからなぁ」
「陛下の目に直接触れることになるわけですから、騎士団としては必死にならざるを得ませんよね」
ガーネットも混ざって実感に満ちた会話を交わす。
アルフレッド陛下本人は細かいことを気にしないかもしれないが、陛下の手元に直接届く書類が、陛下以外の人間の目に入らないというわけではない。
体面を大事にする大臣に見咎められれば、それこそ騎士団長クラスに直接文句が行くことになるだろう。
……白狼騎士団の場合、この対象は俺ということになるわけなのだが。
それから俺達三人は、マークが戻ってくるまでの間、こんな風に会話をしながら時間を潰したのだった。




