第588話 とある日の騎士団員達 前編
――その日の正午頃、俺とガーネットは昼食を兼ねて白狼騎士団の本部を訪れた。
騎士団本部はグリーンホロウ・タウンから『日時計の森』へ向かう山道に面しており、ホワイトウルフ商店からも程近く、徒歩で気楽に往来できる場所に位置している。
ホワイトウルフ商店よりも更に町から遠い関係上、本部は騎士団員の住居も兼ねており、浴場での入浴や食堂では朝昼晩の食事といった福利厚生も万全だ。
さすがに団員以外を気軽に入れるわけにはいかないので、商店の皆を連れて食堂を利用したことはなかったが、俺とガーネットはちょくちょく足を運んで世話になっていた。
というわけで、いつものように騎士団本部の門を潜ったところ、予想外の方向から声を掛けられた。
「おっと、団長じゃないですか。今日は休みだと聞いてましたけど、急な用事でもありましたか?」
「ユリシーズ? お前こそ、こんなところで何してるんだ?」
枯れた雰囲気の壮年騎士が玄関の近くにしゃがみ込み、何やら草むしりに勤しんでいる。
藍鮫騎士団のユリシーズ。
大陸西方の貿易航路を警護する騎士団から派遣された人員であり、白狼騎士団の中で唯一俺よりも歳上の騎士である。
「ご覧の通り、草むしりですけど。いい加減、周りの雑草が気になりましてね」
「敷地を綺麗にしてくれるのはありがたいんだが、これくらいなら冒険者ギルドに依頼してもいいんだぞ。駆け出しのEランクにとっては清掃業務もちょうどいい収入源なんだしな」
駆け出し冒険者にとっては単純な雑用もありがたい仕事である。
戦闘や探索と比べて危険度が低く、その日の宿代か夕食代は稼げる程度の仕事というのは、いくらあっても困るものではない。
グリーンホロウに限らず、各地の騎士団支部も業務に関わらない単純な仕事を、結構な頻度で冒険者ギルドに下請けしてもらっていると聞いている。
騎士団側としても貴重な労働力を雑務に割きたくはない、という事情も加わって、お互いに得をする関係が築かれているといえるだろう。
「いやぁ……実を言うと、ここ最近ずっと自分だけ暇にしてることが多くってですね。他の連中はどうこう言ったりしてこないんですが、やっぱり居たたまれないというか居心地が悪いというか」
ユリシーズは額の汗を拭いながら、そう言って疲れた笑いを浮かべた。
普段からユリシーズは精神的に疲れ切ったような顔をしているが、今回は普段のそれとは違い、純粋な肉体労働による疲労感でこうなっているようだ。
むしろ体を動かしていることによって、ある種の爽やかさのようなものを感じているようにも見えてくる。
「銀翼騎士団や赤羽騎士団、それと黄金牙騎士団みたいに最前線で戦えるわけでもなく、翠眼騎士団や虹霓鱗騎士団みたいに研究で食っていけるわけでもなく。何かと手持ち無沙汰なもんで、こうやって仕事をしてるフリと洒落込んでるわけですよ」
「事務仕事は青孔雀騎士団がほとんど取り仕切っちまってるしな」
ガーネットが追い打ちのように付け加える。
しかしユリシーズは、全くその通りだと言わんばかりに声を上げて笑い、腰を伸ばしながら立ち上がった。
「紫蛟騎士団みたいなルーキーなら日々是勉強って感じで充実もしてたんでしょうが、なまじキャリアだけは長いもんで。自慢ってわけじゃないですけど、普段割り当てられる仕事はすぐに片付いてしまいますからねぇ」
「だったら戦闘訓練でもするか? オレなら付き合うぜ」
「いやいや、おじさん死んじゃうって。君達ってば元気すぎるでしょうが。斬り結んだだけで腰をやっちゃうよ」
ユリシーズは苦笑交じりにガーネットの誘いを固辞した。
正直、これについてはガーネットよりもユリシーズの方の気持ちが分かってしまう。
白狼騎士団の戦闘要員は誰も彼も強力で、彼らの訓練に巻き込まれたら間違いなく一発で吹き飛ばされてしまうだろうし、最後まで付き合ったら疲労で動けなくなってしまうに違いない。
俺も長年の冒険者稼業のお陰で、スキルによる底上げがない人間としてはそこそこ体力があるつもりだが、ガーネット達はその程度じゃ話にならないくらいに強力だ。
ユリシーズも年齢の割には筋肉量が多く、全体的に細く引き締まった体型をしてはいるが、力比べをすればガーネットに左腕一本で放り投げられてしまうだろう。
「ほら、団長だって『そりゃ無理だ』って顔してるでしょ」
「つまんねーな、藍鮫騎士団の剣技も見てみたかったんだが」
「うちらの剣術は船の上でやること前提だよ。運動場みたいに拓けた場所じゃ素人剣術に毛が生えたようなもんさ」
……横から二人のやり取りをぼんやりと眺めていた俺は、ふと頭に浮かんだことを口にしてしまった。
「やっぱり、ユリシーズは船を使った仕事がしたいのか?」
「ん? まぁ……そりゃあ、船を呼び出す召喚スキルが主力みたいなところもありますし。本領を発揮するなら船の上なんでしょうが……」
ユリシーズは無精髭の目立つ顎を撫で、少しばかり考えるように遠い目をしながら、ぽつりと呟きを漏らした。
「欲を言えば、そうなりますかね。こっちに来てから大一番で船を出したのは、魔族達の都市がある湖で使ったくらいですし。地上の湖で釣りをするときにしか使い道がないのは、寂しいと言えば寂しいかもだ」
俺が想像した通り、今のユリシーズは明らかにくすぶっている。
貿易航路を守る騎士団に所属し、海と船の上で活躍するスキルを身に着けておきながら、今は海とも船とも無縁の山奥で事務仕事ばかり。
むしろこれまで文句の一つも言っていない方が驚きなくらいだ。
「分かった、もしも力が必要になるなら、すぐに伝えるよ。まぁ……正直なところ、どんなシチュエーションならあり得るのかってのは想像できないけど」
「そいつはありがたいや。期待して待ってますよ」
ユリシーズはあまり期待していなさそうな愛想笑いを浮かべながら、本部周辺の草むしりを再開したのだった。




