第585話 緩みきった朝の一幕
――翌朝、俺は少しばかりの倦怠感を伴いながら、のっそりとベッドから起き上がった。
昨日の夜に酒精を入れすぎたのもあるが、あれから更に夜更しまでしてしまったのが後を引いている。
体のことを考えるとあまりいいことではないとは分かっているけれど、見方を変えればこれはこれで悪いものではない。
何せ、第四階層の探索や第五迷宮での仕事をこなしている間は、こんな風に気の抜けた朝を迎えることなどできなかった。
深酒ができるのも夜更しができるのも、グリーンホロウ・タウンが平穏で安全な土地だからこそだ。
「……さてと。そろそろ準備するか」
部屋を出てリビングに向かう。
ガーネットはまだ目を覚ましていないようで、リビングは爽やかな朝の日差しと涼しい空気に満たされていた。
これも地上の町だからこその心地良さだ。
俺達が長らく向き合っている『元素の方舟』を始めとして、大規模なダンジョンは地下空間の天井が空のように光を放っていることも珍しくないが、やはり実際の空と比べると違いが大きい。
ましてや第四階層は天井の発光すら起こっておらず、天井のみならず壁面や地面にも埋まっている鉱石が放つ光や、そこかしこから吹き出す炎と溶岩の光によって照らされた階層であった。
そんな場所で何日も続けて活動していると、地上に戻ってきたときにとてつもない心地良さを感じてしまうものである。
「(まぁ、それでもまた潜りたくなるのが冒険者って奴なんだけどな)」
俺達と一緒に地上へ引き上げた連中も、今は久々のグリーンホロウで心身を休めているのだろうが、じきに次の探索の準備を嬉々として始めるに違いない。
ただのダンジョンでもそうなるはずだが、今回は古代魔法文明の秘密が隠されていること間違いなしのダンジョンなので、普段に輪をかけて探索欲求を煽られるに決まっている。
……そんなことを考えながら、朝の準備を手早く進めていく。
まずは冷たい水で顔を洗って眠気を振り払い、それから俺とガーネットの二人分の朝食を作り始める。
きっとガーネットは俺よりも更に参ってしまっているだろうから、胃もたれしそうな脂分の多いものは避けるとして、野菜多めの軽い内容で仕上げた方がいいだろう。
海辺の街だと貝の一種が二日酔いに効くとされていたりするけれど、グリーンホロウ周辺で取れる川や湖の貝で効果があるとは聞いたことがないし、現地の品を今から調達するのはまず無理だ。
それとエリカお手製の薬も忘れずに。
材料の問題で決して美味しいものではないが、良薬は口に苦しと言うし、何より不味い方が『もうこんな無茶はしないようにしよう』と反省できるだろう。
まぁ、大抵はそんな反省も数日で忘れてしまうものなのだが。
「……うー……気分悪ぃ……」
「おはよう、ガーネット。薬はそこに出してあるけど、何か食べてからにしろよ」
「分かってるって……ありがとな……」
エリカもできれば空腹のときには飲まないようにと言っていたが、それ以前に味が苦くて食事の前に飲めたものではない。
ガーネットは覚束ない足取りでテーブルに向かっていき、尻餅をつくような勢いでどっかりと椅子に腰を下ろした。
俺も反対側の椅子に座って朝食を取ることにする。
酒の影響と寝惚けの相乗効果で、ガーネットは心底ぼうっとしたまま、大雑把なサラダをもしゃもしゃと口に運んでいる。
まるで起き抜けのウサギか何かのようで、見ているだけでも飽きそうにない。
そうこうしているうちに朝食も終わり、エリカの薬をきちんと飲んでから、しばらく二人してリビングで休息を取る。
「今日が定休日でよかったな。まぁ……だからこそ羽目を外せたわけなんだけどさ」
台所でお湯を沸かして、今日の分の作り置きのハーブティーを準備しつつ、コップ二杯分を取り分けて淹れたてのままテーブルに持ち帰る。
いくらなんでも、翌日が仕事ならあんな風に騒いだりはできやしない。
地上に戻ってから初めての定休日なので、今日はこのままのんびり過ごすのもいいかもしれない。
「……あー……なぁ、ルーク」
ガーネットがテーブルに突っ伏したまま顔だけ上げる。
「昨日の夜のこと……覚えてるか?」
「夜って……店の皆と春の若葉亭で飲み会しただろ」
「その後だよ、その後。忘れてんならそれでいいけど……つーか忘れろ」
片腕を横たえて口元を隠し、もう片方の腕で頭を抱えるようにしながら、金色の髪をわしゃわしゃとかき乱す。
「家に帰ってからは、アレだろ。お前が風呂場に乱入してきて、何だかんだあって一緒に湯船に浸かって、それから……」
「あー! あー! 言わなくていい! やっぱ覚えてんのかよ! つーか夢じゃなかったんだな、クソが!」
突っ伏したままテーブルの下で両脚をばたつかせるガーネット。
申し訳ないが俺は酒で記憶を飛ばすタイプではない――というか、自分の限界を理解した上でペースを調整できるので、昨日の夜のことはきちんと覚えている。
昨晩はガーネットが押し隠していた弱音を打ち明け、その後は湯船に浸かってゆっくりと疲れを癒やした。
浴槽を大きめに作っておいてもらったので、二人が同時に入っても窮屈さを感じることはなかったが、それでもさすがにお互いが触れ合わないほどに広くはなく。
それから後のことは、言葉にしたらテーブルごと蹴っ飛ばされそうだったので、心の内に秘めておくことにしよう。
悶えるガーネットを思う存分眺めていると――不意に玄関の方から聞き慣れた声がした。
「おはようございます。ルーク君、起きてますか?」




