第582話 心安らかな地上の夜 後編
――しばらくそうして夕食を楽しんでいると、新たに食堂を訪れた冒険者の一団が、俺達の座っているテーブルの横を通り過ぎようとした。
酔いの回りかけた頭で、何となく見た覚えがある連中だなと思いながら横目で視線を送っていると、パーティーの代表者らしき大男が立ち止まって笑顔を向けてきた。
「おお、久しぶりだなルーク! 無事に帰ってきたようで何よりだ!」
「なんだトラヴィスか。新しいパーティーが来たのかと思ったぞ。相変わらず、見かけるたびに面子が変わってるな」
何ということはない。
単に頭がうまく働かなかっただけで、見た覚えがあるどころか昔なじみの男のパーティーだったのだ。
見間違えそうになったことにも俺なりの言い分がある。
トラヴィスのパーティーは新人育成を重要な活動に定めていて、積極的にルーキーを受け入れては鍛え上げて独り立ちさせているので、一部のコアメンバーを除くと入れ替わりが激しいのだ。
本人が言うには、超一流の冒険者ばかりを集めたパーティーを組むのは容易だが、そうやって自分達の利潤を追求した冒険者活動に邁進するのではなく、業界全体のレベルアップを考えるのがAランクの務めなのだという。
もちろん、あくまでトラヴィスが個人的に掲げた信念であり、全てのAランクがそんな方針で活動しているわけではない。
しかし、そういう制限を加えてもなおAランクに相応しい活躍ができるあたり、トラヴィスの実力の高さが伺えるというものだ。
「ん、どうした白狼の……って、トラヴィスじゃねぇか。おーい、レイラ! トラヴィスも来たぜ!」
ほろ酔いのガーネットがテーブルの対角線上に座ったレイラに声をかける。
すっかり油断しきった様子で寛いでいたレイラだったが、トラヴィスの出現に気が付くや否や、ばたばたと大慌てで姿勢と身なりを整え始めた。
レイラのあまりの慌てっぷりに、すぐ隣に座っていたエリカも巻き添えを食らいそうになってしまうが、そんなことを気にしている余裕もないようだ。
「いや! 待った待った! 今日は腰を据えて話し込む予定じゃないんだ! そっちの邪魔をするわけにもいかんからな」
トラヴィスの返答を受けて、レイラはホッとしたような残念そうな表情を浮かべながら、椅子にちょこんと行儀よく座り直した。
ここまで反応が露骨だと、事情を知らない部外者にも容易に見透かされてしまうのだろうが、レイラはトラヴィスに対して恋愛感情を抱いている。
一方のトラヴィスもそれを自覚していて、真摯に向かい合うつもりでいるようだが、どうやら俺が第五迷宮に降りている間にも特に進展はなかったらしい。
まぁ、二十年近く抱き続けた女性への苦手意識が――自分の怪力が傷つけてしまうのではという意味だ――そう簡単に払拭できるようなら、誰も苦労はしないのだろうけど。
「それよりもだ、ルーク。地下の方では随分と大事になったと聞いたぞ。どうやら状況が大きく動き出しそうだな」
「腰を据えて話し込む予定じゃないんだろ? その話は長くなるし、こんな場所だと詳しいことは教えられないぞ」
「分かっているとも。単なる確認と労いだ。お前がそうやって酒を楽しめているということは、少なくとも俺達にとって悪い結果にはならなかったということだからな」
何だその判断基準は、と言い返そうとして、否定できる材料がなかったことに気付いて言葉を飲む。
確かに、もしも第五迷宮での魔王ガンダルフとの対面が上手くいかなかったなら、こんな風に心置きなく酒と食事を楽しむことはできなかったに違いない。
他の連中を労うために夕食を奢りはしただろうが、俺自身は心ここにあらずといった感じで、今後の挽回手段について考え込んでいたはずだ。
自分自身よりもトラヴィスの方が俺のことを理解している気がして、何だか複雑な気持ちになってしまうが、人間関係というのは案外そういうものなのかもしれない。
何せ、この世で最も客観視できない存在とは、他ならぬ自分自身のことなのだから。
「労いなら酒の一本でもくれた方が嬉しいんだけどな」
「そう言うだろうと思って、さっき用意させておいたぞ。この店にある中で一番お前好みな奴だ」
トラヴィスはパーティー所属の冒険者が持ってきた酒瓶を受け取ると、俺の前に勢いよく置いた。
「俺の奢りだ。楽しんでくれ」
「……さっき買ってくるように指示してたのか。抜け目ない奴だな、ほんと」
今回のやり取りは俺の完敗だ。
ルーキーばかりのパーティーで、数あるAランクの中でもトップクラスと称されるほどの成果を挙げる男は、なるほどこういう場面でも判断力と根回しに隙はないらしい。
これで女が苦手じゃなくなったなら、弱点らしい弱点は見当たらなくなるんじゃないだろうか。
「へぇ、こいつが白狼の好みの酒か。そういや毎回違う酒飲んでるから、どれが好みとか聞いたことなかったな。んじゃ、さっそく」
隣に座っていたガーネットがすぐさま酒瓶に手を伸ばし、封を切って俺と自分のコップにそれぞれ注いでいく。
「お前も飲むのか?」
「ケチケチすんなよ。お前がどんなの好き好んで飲んでるのか、オレも気になるんだって」
「いや、別に飲む分にはどうでもいいんだが……」
これまで飲んできた分の酔いのせいか、ガーネットは慎重な考えができなくなっている様子で、忠告する間もなくコップに満たした酒を煽った。
「キツいぞ、それ」
「ぶっはぁっ!」
盛大にむせ返るガーネット。
そして酔いの勢いで笑い転げるエリカ達――箸が転んでもおかしい何とやら、というのはこういう意味ではないのだろうけど。
ガーネットが無防備に煽ったのは蒸留酒。
水や他の酒と割って飲むなり、少しずつちびちびと味わうなりする酒であり、間違っても一気に口に含むようなものではない。
俺は珍しく涙目になったガーネットのテーブルを拭きながら、蒸留酒を割るための酒をシルヴィアに注文することにしたのだった。




