第581話 心安らかな地上の夜 前編
ダンジョン『元素の方舟』第五迷宮における一件から数日が過ぎた。
俺も現地で果たすべき役目を終えて地上に帰還し、ひとまずはグリーンホロウ・タウンでの生活に戻ることになった。
とはいえ楽ができるというわけではない。
第五迷宮では本当に色々なことがあり、本当に色々なことを知ってしまったので、すぐに済ませなければならない事後処理も山ほどあったのだ。
白狼騎士団として王宮に提出する報告書の準備から、グリーンホロウの冒険者ギルド支部との情報共有まで、やるべきことは多種多様。
ひょっとしたら地下にいたときの方が体力的には楽だったんじゃないか、なんて大真面目に思ってしまうくらいの忙しさだったが、そうならざるを得ない理由があるのもまた事実だ。
――俺達が第五迷宮で直面した現実の数々は、どれも常識からかけ離れたものばかりだった。
そもそも第一の目的が『魔王ガンダルフの軍勢との協定締結』という時点で、常識外れにも程がある。
更には彼らが語ったアガート・ラムの創始者と自動人形の正体、そして地上の人間に対するアガート・ラムの認識――どれも従来の常識を覆して余りある情報ばかりだった。
しかもそれだけではなく、おいそれと一般人に広めることなどできそうにない、神々とスキルの関係についての真実も明らかになり、良くも悪くも『世界はこのままではいられない』のだと実感させられてしまった。
だが――今すぐ日常を変えなければならないというわけでもなく。
むしろ周囲に怪しまれたりしないように、できる限りは今まで通りに振る舞おうということになっていた。
その一環というわけではないが、今夜は久しぶりにホワイトウルフ商店の面々を集め、春の若葉亭の食堂で夕食を取ることになった。
「というわけで! ルーク君とガーネットの無事を祝って! 乾杯といきましょう!」
アレクシアが嬉々として音頭を取りながら、エールビールの入ったコップを高く掲げる。
言葉とは裏腹に自分のリフレッシュ目当てなのがありありと伝わってくるが、こうやって楽しんでもらうために用意した機会でもあるので、むしろ先陣を切って楽しんでくれるのはありがたいくらいだ。
ひとまず全員での乾杯を合図として、後はそれぞれ思い思いに食べ物や飲み物を注文してもらうことにする。
しかし、ガーネットに並んで年若いエリカとレイラは、量も金額も遠慮した注文をしようと考えているようだった。
「えっと……それじゃあ、あたしはりんごジュースとサンドイッチと……」
「私もエリカと同じで構いません」
「いやいや二人とも。こういうときは遠慮する方が失礼にあたるってもんよ?」
そんなエリカとレイラの考えに、遠慮する気など微塵もなさそうなアレクシアが口を挟む。
「先輩冒険者が『今夜は俺の奢りだ!』って言い出したら容赦しなくていいの。むしろ器と経済力をナメてるってことになるからね。というわけでシルヴィアちゃーん! エールの追加とローストビーフにプディングの付け合せと……」
「はーい、ちょっと待っててくださいねー!」
シルヴィアは今日もいい笑顔で食堂を駆け回り、一人前の看板娘としてしっかり宿を盛り上げている。
「……えっと、じゃあ追加で……」
「遠慮しないでいいと言われたら、逆に困りますね」
肩を寄せ合って一つのメニューを覗き込むエリカとレイラ。
冒険者時代の俺を知らないエリカや、実は根っからのお嬢様育ちのレイラと違って、アレクシアは『武器屋としての俺』よりも『冒険者としての俺』の方に馴染みが深い。
なのでこういうときにも、冒険者らしい遠慮のなさを遺憾なく発揮するのだった。
「で、ノワールもちゃんと頼んでる? 遠慮したら損だよ?」
「あ、ああ……遠慮、は……してない……つもり……だ……」
ノワールは色と香りの濃いワインをちびちびと口にしながら、トマトとチーズのオリーブオイル和えを少しずつ食べている。
アレクシアが注文した料理と違って、加熱の手間が必要ないので、一足先にテーブルまで運ばれてきたサラダだ。
量そのものは少ないが、ワインもチーズもそこそこ良いものを注文しているようだから、遠慮をしていないというのも本当だろう。
――改めて振り返ってみれば、アレクシアとノワールの二人には何かと無理をさせっぱなしだ。
店員として俺達の不在を支えてもらうだけでなく、アレクシアには機巧技師として、ノワールには魔道具職人として大変な仕事を幾つも任せてしまった。
もちろん、それぞれの仕事に相応の報酬を支払っているつもりではあるのだが、それでも申し訳無さは感じてしまうものだ。
とりわけ――今後もまた無茶振りな依頼が増えるであろうことを考えると。
「おまたせしましたーっ!」
やがてシルヴィアが両手いっぱいに料理を持ってきて、慣れた手さばきで俺達のテーブルに並べていく。
冷めないうちに頂こうと思って、右手にナイフを取って肉を切ろうとしていると、シルヴィアが俺の手元をじっと見やっていることに気が付いた。
「どうかしたか?」
「えっと、ルークさんの右腕なんですけど……あっ、ごめんなさい! お食事時にするお話じゃないですね!」
シルヴィアは再び笑顔を作ってみせて、ぺこりと一礼してテーブルを離れていった。
……参ったな。そうか、この問題もあったんだった。
俺の右手は革手袋に包まれていて、長袖を着用しているのもあり、素肌が全く見えなくなっている。
いや、正確には晒されるような素肌自体が存在しなかった。
「そういえば! ルーク君、右腕は回収できたのにまだ修復してないんですね。義肢もすぐにお役御免になるかと思ってたら、なんだかんだで使い続けてもらってるみたいですし」
せっかくシルヴィアが気を使ってくれたのに、アレクシアはあっさりと俺の切断された右腕を話題に出してきた。
まぁアレクシアは既にほろ酔いのようだし、他の皆もさほど気にしている様子はなかったので、シルヴィアが気にしすぎただけだと言えなくもないが。
「念の為に、王都の方で調べてもらってからにしようと思ってな。義手の性能もよくって、感覚がない以外は普通の腕とあまり変わらないんで、あんまり不自由もしてないからさ」
「それはよかった! 機巧技師冥利に尽きますね! あ、使用感のレポートとかも頂けます? 他の仕事が全部落ち着いてからで構いませんので」
アレクシアは嬉しげに笑いながらぐいっとエールを煽った。
解決すべき問題は、国家の方針に関わる大事ばかりではない。
俺個人や周囲の人々だけに関係するような問題もたくさんある。
それらも何とかしないといけないなと思いつつ、今夜のところは皆との時間を優先することにしたのだった。




