第580話 信頼すべき力の所在
「失礼。ルーク卿、ガーネット卿。少しばかり話をさせてもらっても構わないかな」
「どうしたんだ、アンブローズ。何かトラブルでもあったのか」
「いいや、単なる雑談さ。ガンダルフ達から得られた情報についての……な」
適当な椅子に腰掛けるように促してみたが、アンブローズは扉付近の壁に背中を預けたまま動こうとはしなかった。
「スキルの真相を知って塞ぎ込んではいやしないかと思ったが、どうやら杞憂だったらしい」
「そう言えば、お前は以前からこのことを知っていたんだな」
「ああ。虹霓鱗の研究に魔法使いとして協力していた時期がある。スキルの研究が進めば自己改造の効率化も進むだろうと期待してね。結果としては望ましい結果にならなかったわけだが」
同じ部屋の反対側で作業を手伝わされているマークに聞こえないよう、声量を抑えて会話を交わす。
研究を主目的とする魔法使いは、己の研究テーマの実現を達成するため、自分自身の肉体の改造も含めた様々な手段を取っている。
アンブローズも例外ではなく、彼の肉体も魔獣の因子などで強化を受けているようだった。
「ひょっとして、お前が魔獣の研究を始めた理由は……」
「さほど関係はないね。協力を始めた時点で既に、かなりの範囲で改造を進めていた。けれど、まぁ……スキルに見切りを付けて魔獣に一本化するきっかけにはなったな」
「……真相を知った奴は新たにスキルを得られていない、っていう話は本当なのか?」
「現時点で反証になる事例は確認されていない」
やはりアンブローズの返答は先程と同じものだった。
「だが、例の仮説を知っている連中は、ほぼ全員がこれ以上の新スキル獲得が望めないような、いわゆる円熟した使い手ばかりだった。発展途上の若者に聞かせたのはこれが初めてだ。正直、どのように転ぶのかは未知数だな」
そう語るアンブローズの視線は――例によって素顔を布で隠しているのだが――俺ではなくガーネットの方に向けられているようだった。
これまでに一つしかスキルを得られず、今後も期待が持てない俺とは違い、ガーネットはまだ十六歳だ。
俺みたいな例外でもない限り、これから更にスキルを増やしていってもおかしくない年齢である。
アンブローズの視線に気付いたガーネットは、にやりと口の端を上げて不敵に笑った。
「どうしたよ。翠眼の騎士ともあろう者が、まさかオレのことを心配してるのか?」
「友人の身内のことを慮るのは人として当然だと思うんだが、銀翼では違うのかな?」
「そいつはどうも。だけど要らねぇ心配だぜ。神様がどうとか信仰がどうとか言ってやがったけど、そればっかりじゃねぇんだろ?」
ガーネットは背もたれが体の前に来る形で椅子に腰を降ろし、背もたれの上端に両腕を乗せ、そのまた上に顎を乗せた。
「オレのスキルは瞬間的な筋力ブーストに、各種身体能力を底上げするパッシブスキルの博覧会だ。おかげさまで貧相な体でも一端の騎士をやっていけてるわけだが……騎士団イチオシの神様にお祈りしたっていうだけで、こんなに都合のいいスキルばっかりが揃うわけじゃねぇだろ」
「復讐を果たせるくらいに強い体が欲しい……そんな強い思いが反映されたかもしれないんだな」
俺が頭に浮かんだことをそのまま口にすると、ガーネットは我が意を得たりとばかりに笑ってみせた。
実在しない神々の存在を疑わずに信仰することで疑似魔法を得る――このシステムは確かに有効だったが、決して他に手段がないわけではない。
これはただ単に、どんな人間でも容易に実現できるようにするための、いわば補助具のようなものに過ぎないのだ。
たとえ神の存在を信じていなくても、強い意志を持って力を望めば、原理の上では疑似魔法を手に入れられるはずである。
「オレ達みたいな血腥い輩にしてみりゃ、むしろ信仰云々なんていう補助は邪魔かもしれねぇぞ。神なんざいなかろうと力を求めて止まねぇ生業なんだから、むしろ妙なワンクッションがねぇ方がいいかもしれねぇ」
「それに、こいつは俺の素人考えなんだが……」
いい機会だ。俺も率直な考えを打ち明けてみることにしよう。
「……必ずしも『信仰の見返りとしてスキルを授かる』っていう形を保つ必要はなさそうだな。例えば、スキルの素質そのものは誰もが先天的に備えていて、対応する神様を信仰しながら鍛錬を積むことでスキルを習得できる……とかさ」
「まったく……どうやら本当に不要な心配だったらしい」
アンブローズはフードと前垂れに隠された頭をふるふると横に振った。
明らかに呆れの感情を表した仕草だったが、その矛先は俺やガーネットではなく、俺達の反応を見越せなかったアンブローズ自身に向けられているようであった。
「国王陛下はスキルの起源を永久に隠し通すつもりなどない。将来的には発生経緯を詳らかにしながらも、これまでと同様にスキルを得られる新たなシステムの構築を望んでいる。この結論に至るまでの議論はかなり紛糾したんだが……こうもあっさりと同じ境地に至られると、さすがに歳を食って頭が固くなってきたと思わずにはいられないね」
お前は一体何歳なんだとか、俺の場合はずっと前に信仰心を失っていたのも大きいだろうとか、言いたいことは色々とあったが、とりあえず今は胸の内に留めておくことにする。
「ルーク卿。ひょっとしたら君もこちらの研究にお声がかかるかもしれないな。君の『叡智の右眼』はこういう研究の役にも立つだろう」
「止めてくれよ。さすがにキャパシティオーバーだ。これ以上は忙しすぎて死にそうだ」
げんなりとする俺の横顔を眺めながら、ガーネットがニヤニヤと笑う。
小説本の挿絵に出てくる笑う猫みたいな表情だなと思っていると、不意にその笑顔に柔らかさが生じ、視線に込められた色合いもまるで慈しむようなものに変わっていく。
「……まぁオレは、新しいスキルが手に入らなくなったとしても、別にどうでもいいんだけどな。お前がくれる『力』の方がずっと強ぇし、よっぽど信頼できるぜ」
ひとまず第十四章はこれにて一区切り、次回からは地上に視点を戻しての第十五章になる予定です。




