第579話 深遠なる知識に触れて
――その後、ウェストランド王国の使節団は、正式に魔王軍との協定を結ぶに至った。
途中でサクラが魔将スズリと交戦するという事態が起こっていたが、当のサクラが純粋な手合わせだと主張してたのもあり、協定の締結に支障が出ることはなかった。
協定内容は対アガート・ラムを前提とした一時休戦、および適宜の情報提供と必要に応じた戦力の融通。
さすがに全面的な同盟は難しいという判断から、アスロポリスの協力を取り付けたときと同じく、現地の魔族と協力関係を結ぶという体裁を取ることになったらしい。
具体的にどのような戦略でアガート・ラムと戦うのかについては、現時点ではまだ決定まで至っていない。
魔王軍は自分達だけで反撃を試みる戦略を練っていたようなので、その辺りの情報をまた後ほど共有してから、人間側の戦力も組み合わせた新たな戦略を練っていくことになる。
「……ま、どう考えてもお前に回される案件なんだろうけどな」
「現実を直視させないでくれるか?」
「仕方ねぇだろ。こんなの白狼騎士団以外にどこが担当するんだ」
第五迷宮を後にする準備を進めながら、苦笑交じりにガーネットとこれまでのことを振り返る。
魔王軍との……より正確には魔王ガンダルフやエイル・セスルームニルとの対面を通じ、俺達は数多くの情報を得ることができた。
――古代魔法文明の滅亡。ダンジョン内に逃げ込んだ生き残り達。
彼らは人口の減少を補うため、人間とよく似た肉体を持つ魔獣リーヴスラシルを利用するが、その影響か生来の魔法の力を失ってしまい、却って文明を存続させられなくなってしまった。
これを乗り越えるため、彼らはアルファズルが自身の復活のために残した『血筋によって受け継がれる魔法紋』を応用し、擬似的に再現した魔法を受け継いでいくシステムを構築したが――それすらも代を重ねるごとに薄れて失われ、多くのダンジョンの人間達が死に絶えてしまった。
かつてガンダルフの同士だったドワーフの魔王イーヴァルディは、人間という種族を愛するが故、変わり果てていく古代魔法文明人の末裔を『ヒト』と見なせなくなり、安定して存続していた『元素の方舟』の人間だけを『ヒト』として扱うようになった。
しかし、このダンジョンの人間達は内部分裂を起こし、片方の勢力の暴走で撒かれた毒によって滅亡の淵に立たされてしまう。
イーヴァルディはどうにか人類を存続させようと足掻き続け、その末に正気を失い、生き残りの人間達の『魂』だけを精巧な人形に移すことで生き残らせようとした。
これがアガート・ラムの自律人形の正体だ。
古代魔法文明人が使う魔法は、魔物や魔族が生来の身体機能として身につけている魔力制御能力と同じく、魂に宿って代々受け継がれていく力だった。
恐らく、イーヴァルディはこれを理由として、魂だけの保全で『人類を存続させる』という目的が果たせたことになると考えたのだろう。
ともかくこのような経緯を辿り、生身の人間はアルファズルの同士達の前から姿を消した。
――だが人間は滅んではいなかった。
どこの誰がいつ発見したのかは一切不明だが、俺達『現代の人間』達は、自己暗示などで潜在意識に強い方向性を持たせることで、失われた疑似魔法の力を引き出すことができるのだという。
これを誰でも無自覚に実行できるように考案されたのが、神々を信仰することでそれに応じたスキルを授かることができる、という現代に通じる方便である。
女神アイリスの伝承として伝わっているように、信仰という疑似魔法習得システムは人間の生き残りに息を吹き返させ、地上に新たな文明を生み出すことに繋がった。
かくして地上に文明が蘇り、人間は古代魔法文明には及ばないまでも、再びの栄華を謳歌することになったのだが――ここに至ってアガート・ラムが動き出した。
奴らは魔王軍が地上に勢力を伸ばそうとした隙を突き、第三階層にあった当時の魔王軍の本拠に攻撃を仕掛け、大急ぎで地上を引き払った魔王軍本隊すらも撃破した。
そして、地上侵攻のときに魔王軍が利用していた、第三階層から地上へ直結した秘密の経路を利用して、機能を制限した潜伏仕様の人形を工作員として送り込んでいたのだ。
アガート・ラムの具体的な戦略と最終目標はまだ不明だが、地上の覇権を再び『人間』の手に取り戻すことを目論んでいるのでは……という推測が立てられている。
ともかく、アガート・ラムは悪意を持って地上に干渉を繰り返している。
地上でミスリルを不法流通させていたことも、ガーネットの母親を巻き込んだ口封じに打って出たことも、このダンジョンの秘密を知りうる者を殺して回っていたことも――全ては奴らの遠大な企みの一端であったに違いない。
「にしてもよ……アガート・ラム相手に魔王軍と手を組むかどうかっていう話だったはずなのに、蓋を開けてみりゃとんでもない真実って奴の連続だったな。正直あんまり頭がついて行ってねぇや」
「俺も同感だ。いきなり全部受け止められる奴なんて、本当にごく一部しかいないだろ。少しずつ噛み砕いて理解していくしかないな」
「理解できてそうな奴っていうと、せいぜいヒルドくらいのもん……」
ガーネットがその名前を口にした直後、魔王軍から割り当てられた部屋の扉が勢いよく開け放たれた。
噂をすれば何とやら。
ちょうど話題の俎上に載せられたばかりのヒルドが、鼻息荒く自信ありげな笑みを浮かべて踏み込んでくる。
「おまたせしました、ルーク団長! 今回の会合で得られた情報の数々、資料に纏め終わりましたよ!」
ヒルドの腕にはまだ綴り閉じられていない紙束が抱きかかえられている。
その後ろには憔悴した様子のマークもついて来ていて、そちらの手元にも大量の紙束が乱雑に抱えられていた。
「同行させて頂いた甲斐がありました! 幾重にも包み隠されていた真相が、アガート・ラムという強大な存在に抗うため、惜しみなく詳らかにされていくこの興奮! 情報の記録に漏れなどあってはなりません!」
「廊下を歩いていたら強引に手伝わされることになりまして……疲れた……」
大興奮で喜色満面なヒルドとは正反対に、マークはすっかり疲れ果ててしまっているようだった。
「はは……お疲れ様。とりあえず資料は持ち帰りやすいように綴っておいてくれ。それとマーク、お前も火之炫日女の正体が分かったのは嬉しかったんじゃないか?」
「それはそうですけど! 迦具土とやらについて聞きたくて仕方がないのに、延々と資料整理に付き合わされるなんて苦痛でしかないでしょう!」
「やっぱお前も割と同類だな。興味のジャンルが違うだけで」
ともかくヒルドとマークには、部屋の隅を使って資料の持ち帰りの準備を済ませてもらうことにする。
俺とガーネットも手伝おうかと思った矢先、今度はアンブローズが部屋の入口付近に姿を現した。
「失礼。ルーク卿、ガーネット卿。少しばかり話をさせてもらっても構わないかな」
例によってそろそろ章の区切りなので、締めのまえに情報整理回。




