第575話 アルファズルの影
「だけど、あんたも魔王ガンダルフも、こんなのは本題の前提を説明したに過ぎないんじゃないか? 例えば、そう……」
「アルファズルの復活について。当たり前でしょう? そうでなければ、貴方達のためにこんな手間を費やすわけがないのだから」
そう言ってエイルが浮かべた微笑みは、文句なしに美しくある一方で、人間味を感じさせない冷たさを帯びていた。
「……とは言ったものの、それについてはまだ推測しか語れないのよね」
「何だそれ。肩透かしにも程があるぞ」
「仕方がないでしょう。アルファズルの力をこれほど色濃く引き継いだ事例なんて、私もガンダルフも初めてのことなんだから。貴方の体の隅々まで調べさせてもらえるなら、もっと確かなことも分かるのだけど」
エイルが下から覗き込むようにして、俺の顔の右半分に手を伸ばす。
その白い指先が触れる寸前、ガーネットが俺を後ろに引っ張って強引に距離を引き離す。
少しだけ驚いた素振りを見せたエイルだったが、すぐに平然と気を取り直し、いじらしいものを見るような眼差しをガーネットに向けた。
「アルファズルが残した復活の術は、古代魔法文明の基準に照らし合わせても、規格外に高度で複雑怪奇。全てが解明できているとは言い難い。ただ……貴方の体にアルファズルの魔法紋が受け継がれていることは間違いないわ」
しかしそれは、俺が特別な血筋の生まれだという意味ではない。
古代魔法文明の滅亡から膨大な世代交代が繰り返され、アルファズルを復活させるための魔法紋も、そのたびに親から子へと受け継がれてきたはずだ。
単純な確率の問題として、件の魔法紋を体に宿していること自体は、決して珍しくないに違いない。
ひょっとしたら弟のマークや、故郷の妹達だって同じかもしれないくらいだ。
「物体の復元はアルファズルも得意だった。あくまで私の想像だけど、その身に魔法紋を宿していて、なおかつ限られた分野でアルファズルに近付き得る可能性を持つ者が、第一迷宮のミスリルの影響を受けた地下水で生き長らえた……それがきっかけになったのかもね」
ハイエルフのエイル・セスルームニルといえど全てを見通しているわけではない。
なのでこれはあくまで一つの仮説、一つの可能性として受け止めるべきものなのだろうが、説得力自体はそれなりにあるように感じられた。
「ひょっとして、俺が【修復】スキルだけしか得られなかった理由も、その辺りにあったりするのか?」
これほどまでに多くの謎と疑問が氷解したのなら、あるいは長年の悩みだったこれにも解答が得られるかもしれない。
そう思って投げかけた問いに対して、エイルは整った顔立ちが台無しになるくらいに眉をひそめていた。
何だその不穏な表情は。即答したりできない案件なのか。
「……前々から気になっていたのだけれど、スキルが一つしかないというのは本当なの? 何かの間違いじゃなくて?」
「こっちが聞きたいくらいだ!」
思わず状況も顧みずに大きな声を上げてしまう。
しかしすぐに、こんな場で騒ぎ立てるべきじゃないと思い直し、軽く咳払いをして仕切り直すことにする。
「とにかく、どうして俺がアルファズルの影響を受けることになったのか……それと、どうして俺が一つしかスキルを得られなかったのか……この辺りはお前達も分からないんだな」
「前者はある程度の予想がつくけど、後者はさっぱり。応用だと思っていたのが別の新しいスキルだったのではなくて?」
「それなら自分で感覚的に分かるはずだ。さもないと、普通の人が新しいスキルを得たときにも、すぐにそれと分からないことになるだろ」
エルフ達はスキルと異なる能力を先天的に持っているので、こういった感覚はよく分からないかもしれないけれど、地上の人間なら誰でも同意してもらえることだと思う。
俺が【修復】スキルを得たときもそうだったが、新しいスキルが身に付いたときは直感的にそれと分かるものだ。
もはや遠い過去の出来事なので、具体的にどんな感覚だったか言葉にしろと言われたら困ってしまうが、少なくとも自覚できるというのは間違いない。
「だったら貴方の信仰対象と、貴方に備わっていた因子にズレがあったのでしょう。特定の神をどれだけ熱心に崇め奉っていたところで、対応する因子を継承していなければ能力が目覚めないのだから」
「……可能性は、ないわけじゃないんだろうけど……」
今度は素直に『そうだったのか』と頷くことができなかった。
能力の因子とやらが両親から受け継がれるものであるのなら、俺が持つ因子は全て両親が持っていたものだということになる。
にもかかわらず、どれ一つとして昔の俺の信仰対象――村の神々や冒険者関連の神々に対応しなかったなんて、いくらなんでも考えにくいのではないだろうか。
「――だが、一つだけ確かなことがある」
突如、しばらく沈黙を保っていた魔王ガンダルフが、重々しく口を開いた。
この場の主導権は、これまでずっとエイルが一人で握り続けていたというのに、ガンダルフはたった一言発しただけでそれを奪い取ってしまった。
エイルとガンダルフとでは威圧感、あるいは存在感とでも呼ぶべきものが全く違う。
軽薄にすら感じられていた雰囲気は一瞬にして消え失せ、周囲の空気が戦場さながらに張り詰めていく。
「貴様は着実にアルファズルの域へ近付き続けている。アダマントのミスリル合金化を成し遂げたのも確かな証拠だ。それを実現した者など、余はアルファズルとイーヴァルディしか知らぬ」
ガーネットが恐らくは無意識に片手を剣の柄に持っていく。
俺はガーネットの前に腕をかざして落ち着かせようとしながら、気圧されないよう腹に力を込めてガンダルフに視線を返した。
「返せと言われても了承しかねますよ?」
「構わぬ。それもまた余の数ある宝物の一つ。貴重ではあれど唯一無二ではない故な」
ミスリル以上の希少金属を『唯一無二ではない』と言い切るのか。
もしかしたらガンダルフは、生前のアルファズルやまともだった頃のイーヴァルディから、もっと希少で強力な武器を受け取っているのかもしれない。
これはこれで恐るべきことではあるが、それ以上に信じがたいのは――そんなガンダルフですら、アガート・ラムに敗北してこの地に追い落とされたのだという事実である。
「だが、ミスリルとアダマントの合金化すらも、貴様が得ようとしている力の一端に過ぎん。特に『右眼』の異変は貴様自身も自覚しているだろう」
「……何でもお見通しってわけか」
「当然の推測だ。余は他ならぬこの目でアルファズルの生涯を見届けたのだ」
ガンダルフは右手の指先で、自分自身の右側頭部を……ちょうど右眼球の真横にあたる部分を軽く叩いた。
「アルファズルは『叡智の右眼』を宿してはいたが、これは奴の身体機能でしかない。眼球そのものを作り変えたことによる、肉体の追加機能だ。奴が『右眼』を媒体として発動した魔法は他にある」
「古代魔法……魂に宿る、本来の意味での魔法だな……?」
「然り。名を『全智の神眼』と云う。眼窩の枷を破り、顔を食い破るように広がる宇宙の如き孔である」




