第573話 知られざるべき真実 前編
「火之炫日女の……魂の力、だと?」
桜はある程度の間合いを保ったまま刺突の構えを取り、魔将スズリをまっすぐに見据えた。
「つまり貴様は火之炫日女の完全復活を狙っているというわけか。肉体のみならず魂までも書き換えて……!」
「そうなったとしても構わんが、そうならずとも一向に構わん」
「……何?」
微かな動揺が桜の注意を逸らした瞬間、スズリが一瞬の間に間合いを詰めて刃を振り下ろす。
桜は即座に構えを変えて斬撃を受け流し、鎬を削るように刀身を押し当てながら、剣戟の間合いから更に一歩踏み込んだ。
「我々が求めているのは奴の『力』に過ぎん。それを振るう人格が貴様であろうと、あるいは火之炫日女であろうと大差はない。その力がアガート・ラムに向けられる限りはな」
「なるほど……ようやく合点がいった!」
灼熱を帯びた刀を弾き、後方へ跳躍して再び大きく間合いを離す。
ぐらり――と意識が傾きかけたのをどうにか踏み留まり、呼吸を整えて胸の奥の衝動を抑え込む。
「今の私ではアガート・ラムを相手取るに実力不足! そう言いたいのだろう? だからこそ、こんな真似をしてまで……!」
「……かつて我らはアガート・ラムに敗北した。俺自身もあえなく敗れ去り、本来の肉体を失うに至った。今の俺の戦闘能力は、神降ろしを発動させてもなお本来の肉体に遠く及ばん」
ここに至って初めて、スズリの顔に表情らしき変化が生じる。
それは自嘲としか思えない口元の歪み。
魔将スズリの認識において、アガート・ラムに対する敗北が大きな意味を持っていることの証左だった。
「貴様らがこれまで戦ってきた人形は、潜伏仕様の機能削減型に過ぎん。地上の王国とアスロポリスに人知れず潜むにあたり、最大性能を引き出しうる人形では隠蔽しきれない……そう判断されたが故の劣化品だ。故に……!」
神速の踏み込みから振り下ろされる剛剣。
桜が辛うじてそれを正面から受け止めた次の瞬間、スズリは旋風のように身を翻し、斜め下方から吹き飛ばすような蹴りを繰り出した。
「がっ……!」
蹴り上げられた桜の体は大きく弧を描いて宙を舞い、溶岩の幻影を貫通して第四階層まで吹き飛ばされた。
空中で姿勢を変えて着地に備えようとするも、その眼前に横薙ぎを繰り出さんと構えるスズリの姿が現れる。
「……貴様には『力』を手にしてもらう。アガート・ラムの戦闘人形と戦いを成立させられるだけの……な」
ぶつかり合う二振りの刀。
神降ろしの灼熱を纏った二人分の人影が、第四階層の地表に激突して爆発じみた粉塵を撒き散らした。
――俺はひとり語りを終えたエイル・セスルームニルに対し、この場の人間達を代表して言葉を向けた。
「古代魔法文明が断絶した経緯は理解できた。けど、それが一体どうしたっていうんだ。俺に……俺達に何の関係があるんだ?」
「あら、想像くらいできているんでしょう? 貴方がそんなに察しの悪い人間なら、私達もここまで苦労させられていないのですから」
エイルはまるで踊るような足取りで俺に近付くと、身を屈めて俺を見上げてきた。
ガーネットが俺の前に身を捩じ込み、エイルと俺の間で壁となる。
それが面白かったのかどうかは知らないが、エイルはくすくすと笑って後ろに数歩下がり、今度はフードで顔を隠したヒルドの方へと顔を向けた。
フードを深く被り直して視線を反らすヒルド。
果たしてエイルはヒルドの正体に――かつて自分達の支配下にいたエルフだと気付いたのかどうか。
素振りだけでは何も定かにはならないし、エイル自身もあえてヒルドに語りかけるようなことはせず、再び俺の方に目線を戻した。
「私はどのダンジョンでも人間が滅んだのだと思っていた。仮にダンジョンから逃げ出すことができたとしても、文明を再興するには至らず死に絶えると考えていた。なのに、なのに……ああっ!」
エイルが演技がかった大仰な仕草で両腕を広げる。
「あるとき、人間の一団が『白亜の妖精郷』を訪れた! 古代魔法文明のことも、ダンジョンの本来の役割も、すっかり忘れ去られていたけれど! 彼らは失われた疑似魔法を『スキル』の名で身につけて、見事に文明を再興させていたの!」
ここまでは想像通りの事柄だ。
俺達がここに存在している以上、ダンジョンを去って地上に新たな文明を築いた人間がいることは、どう考えても明白と言わざるを得ない。
けれど、分からないのは――いや、確信を抱くことができないのは、本来の魔法や疑似魔法と俺達のスキルの関係……ひいては、スキルを授けるとされてきた神々の立ち位置だ。
「あの、ルーク卿」
不意に勇者エゼルが横合いから口を挟む。
「ひょっとして神様は、私達の体に眠る魔法の力を引き出してくれる存在で、それをスキルと呼んでいるんでしょうか」
「いや……それは……」
「うーん、惜しい!」
若々しく幼さすら感じる外見に見合った表情で、エイルが勇者エゼルの仮説を笑い飛ばす。
そして笑顔を保ったまま、地上の人間達には知られるべきではない真相を口にする。
「この世に神などいやしない。大いなる古代魔法文明は証明してしまった。そんなものは最初から存在しなかったのだと」
――それはまるで演劇の台詞か何かのようであり、現実味に欠けた内容でありながら、不思議なくらいにあっさりと心の底へと染み込んでいく。
「果たしてその技法を編み出したのは、一体どこの誰だったのか。地上の人間達はその身に宿った疑似魔法の残滓、薄まりに薄まった力のうち、特定の幾つかだけを誇張し抽出する技術を身に着けていた……」
「それが神々と信仰……なんだな」
「ええ、その通り!」
エイルが満面の笑みで、俺が思い浮かべた中で最も非現実的だった仮説を肯定する。
「人間達は自己暗示によって、特定の能力だけに容量を偏らせる技術を生み出した。それこそが神々。それこそが信仰。全ては順番が逆だったのよ」