第571話 滅亡に至る軌跡
若きエイルの精神体は、不満に満ちた様子で頬を膨らませながら、ガンダルフの手前にふわりと降り立った。
「エイル・セスルームニル……まだ消えてなかったのか……」
思わず零してしまった呟きを耳聡く聞きつけて、エイルが目を細めてこちらを見やる。
魔王ガンダルフの手で俺の右目から弾き出された後、気が付いたら姿が見当たらなくなっていたが、どうやら消滅してしまっていたわけではないようだ。
「……そもそも、前に『右眼』の中で俺達の邪魔をしたときに、封印だけ残して消え失せたものと思ってたんだがな。ひょっとしてずっと覗き見でもしてたのか?」
「まさか。時間を掛けて再構築しただけよ。外界の知覚なんて最初からできなかったしね。信じるかどうかは貴方次第だけれど」
嘘だ何だと疑うのは容易だが、さすがに今はそんな状況ではない。
この『元素の方舟』に隠れ潜んでいた古代魔法文明人は、適切に管理されていた環境とイーヴァルディの反対もあり、他のダンジョンと違って人口維持のために様々な方策を取る必要は生じなかった。
しかしエイル達ハイエルフの棲家である『白亜の妖精郷』なら、このダンジョンとは違う歴史を辿っていてもおかしくはないはずだ。
エイル自身も、自分が何のための呼び出されたかしっかり理解しているようで、こちらから要求するまでもなく語り始めた。
「『白亜の妖精郷』はアルファズル自らの手によるダンジョンだったけれど、あくまでエルフのために用意された避難所に過ぎなかったわ。いざ逃げ込むという段になって、致し方なく人間達も収容したけれど……彼らに適した環境だとは言い難かったわね」
「だから人間は死に絶えてしまったのか?」
ええ、とエイルは短く肯定した。
「もちろんリーヴスラシルを利用した個体数の底上げも試みた。一時的には上手くいったのだけれど……すぐに問題があると分かったの」
「問題だって?」
「リーヴスラシルの血を引く人間は、魔法を使うことができなかったのよ」
驚愕――は今更浮かんでこなかった。
俺だけでなくガーネット達も同じ反応で、想像はついていたと言わんばかりだ。
古代魔法文明が使っていた『魔法』と俺達の『スキル』が厳密には異なるというなら、最大の相違点がそこにあるのは明白である。
むしろ全くの無関係だったなら、一体どうしてリーヴスラシルの話をされたのか分からなくなってしまう。
「質の悪いことに、最初の段階ではそんな問題はなかったの。第二世代、第三世代と代を重ねるごとに表面化していって、気付いた頃には純血の人間そのものが希少になっていた……そこのダークエルフは、人間という種族の存続に関心を抱かなかったから、詳しい経緯は知らないのかもしれないけどね」
ふと、小さな疑問が脳裏を過った。
ガンダルフは本人も『人間に関心がない』というようなことを言っていて、それがイーヴァルディとの最大の違いであると語っていた。
けれど同時に、ガンダルフは俺がアルファズルの力の片鱗を見せたとき、奴は是が非でも俺の力を手に入れたがっていたように見えた。
アルファズルの復活は望ましいことなのに、人間の存続には拘らない……もしかして、復活の素体は同族の人間でなくてもよかったのだろうか。
「水増しされた人口は、魔法の存在を前提とした文明を維持する力を持たなかった。原因は諸説叫ばれたけれど、もう取り返しはつかなかった。リーヴスラシル自体がロキの罠だったなんて言い出す連中まで出る始末よ」
「そのせいで、ほとんどのダンジョンから人間がいなくなったんだな……」
「まだもう一段階、間に挟まっているわ。古代魔法文明の末裔ともあろうものが、無策で滅びを迎えるはずなどないでしょう?」
あろうものがと言われても困ってしまう――という指摘はガンダルフのときにもしたので、同じことを繰り返すのは止めにしておこう。
当時を生きた魔族にとってはそれが常識なのだ、と理解しておけば十分に事足りる。
「彼らが突破口として見出したのは、アルファズルが復活の礎として残した魔法紋だった。当初の目的は果たせそうになかったけれど、あの研究は有益な結果を二つほど残していたの」
エイルが細く白い指を一本立ててみせる。
「一つ目は、アルファズルの魔法の極めて限定的な継承。これ自体は些細な力に過ぎなかったけれど、魔法の能力を失った世代にも適用できた……つまり、魔法紋によって擬似的に魔力運用機能を付与できたということ」
次いで、もう一本。
「二つ目は、血筋による魔法紋の継承。あの魔法紋を刻み込まれた後に残した子孫には、措置を施すまでもなく魔法紋が受け継がれたの。これはきっと、超微細魔法紋を刻む技術が失われた場合に備えた、アルファズル仕込みの安全装置ね」
血筋によって受け継がれる魔法紋には俺も覚えがある。
サクラの一族が神降ろしの安定化のために開発したという文様も、一度刻み込めば子孫にも継承されるという機能を持っていた。
ウェストランドとは別の文化圏とはいえ、現代の人間に実現できることなら、古代魔法文明人にできてもおかしくはない。
「これらを組み合わせることによって、当時の人間達は様々な魔力運用機能を再現した魔法紋を開発し、血筋によって代々受け継ぐシステムを構築した。いわば擬似的な魔法のリバイバル。大したものだと思ったわ! さすがはアルファズルが愛した種族! ってね!」
エイルはまるで演劇の主役のように大仰な仕草をみせながら、称賛を声高らかに述べた。
しかし俺は、これが悲劇を語る前振りに過ぎないことを理解していた。
「だけど、そのシステムにも問題があったんだな」
「……哀しいけれど、その通り」
俺が思い浮かべた実例……サクラの魔法紋にも構造的欠陥が存在した。
それは劣化である。
「この疑似魔法システムは、両親の能力を受け継ぐ性質があった。もちろん当初はメリットだと思われていたわね。例えば父親が炎の魔法を、母親が氷の魔法を使えるなら、その子供は炎と氷の魔法を使えたんだもの」
継承を重ねるたびに文様が劣化し続け、本来期待されていた機能を損ない、サクラの父親の代には全く意味を成さなくなっていた。
俺がその劣化を【修復】することで、神降ろしの制御という機能を取り戻すに至ったのだが、このアイディアに行き着かなければ復元は不可能だったかもしれない。
「でも世代を経るにつれて分かってきた。その継承は百と百を足して二百の才能を持って生まれるわけじゃない。百の容量を分割しているだけなんだとね」
「第一世代が百の力を一つ持っているとすると……第二世代は五十の力を二つ……第三世代は重複がなければ二十五の力を四つ……」
「ええ。世代を重ねるごとに力はどんどん薄まっていって……計算上一割を切った辺りで何も使えなくなった。能力一つあたりの機能が極小になりすぎて、どれも力を発揮できなくなったのでしょうね」
エイルは口元に微笑を浮かべながら、しかし眼差しは沈痛に、遠い記憶を思い返すかのように暗い天井を仰いだ。
「当時の人間達はアルファズルに及ばなかった。継承ごとの劣化を最小限に抑えることができず、交配条件を厳密にして『濃度』を保てるほどの余裕もなくなった」
生き残っていた人間達にとって、それは一体どれほどの恐怖だったのだろう。
ダンジョンという厳しい環境下で少しずつ確実に減りゆく人口。
リーヴスラシルを利用した人口回復という光明――直後に待っていた魔法の消失という暗黒。
暗闇の中で足掻きに足掻いて生み出した疑似魔法も、結局は一時凌ぎにしかならず、年月の中で薄れて失われていったというのだから。
「ダンジョンに残されていた古代文明の遺産の維持と運用もままならず、ダンジョン間の連絡も次第に途切れ、遂には私達が管理していた『白亜の妖精郷』からも絶滅した……私が直にこの目で見届けたのは、ここまでよ」