第570話 常識に打ち込まれる楔
「こんなのまるで、俺の【修復】スキルと同じじゃないか……!」
俺が思わず溢した声を、ガンダルフは眉一つ動かさずに受け止めた。
「知的種族達はこぞってアルファズルの復活に挑んだ。理論上、適切な素体を複数用意すれば、魔法紋を残した時点でのアルファズルの複製を素体の数だけ生み出せるのだからな」
語られた内容は否定でもなければ肯定でもなく、あくまで説明の続きだった。
アルファズルの復活手段と【修復】スキルの関係性を知りたければ、大人しく話の続きに耳を傾けろ……まるでそう告げられているかのようだ。
「しかし、どの試みも実を結ぶことはなかった。素体に求められる条件が、不十分にしか分かっていなかったという点も大きいが、それ以上に物資流通の分断が文明と技術力の維持を難しくしていたのだ」
復活が成功しなかったのは現状を視れば明らかだ。
さもなければ、魔王ガンダルフやイーヴァルディ、そしてエイル・セスルームニルがこんな風にはなっていないはずである。
「先に語った人口減少と魔物の隆盛もそれに追い打ちを掛けた。アルファズルの復活に力を注ぐだけの余裕は世代を経るごとに失われていき……」
「……その末、にリーヴスラシルを使って人口を補填し始めたわけだ」
「然り。だがそれこそが古代魔法文明にとどめを刺した」
「どういうことだ……?」
ガンダルフは続きを語る前に、俺の背後で佇むアルフレッド陛下に目線を向けた。
まるで、お前は構わないかとでも尋ねるかのように。
陛下は深々と息を吸っては吐き、重々しく口を開いた。
「……皆の者。恐らくここから先は、王国でも一部の者しか知らぬ仮説に足を踏み入れることになる。これを知ることで、あるいは二度とスキルが手に入らぬことになるかもしれん。不安があるのならば退出しろ。俺が許す」
アルフレッド陛下の宣告は、明らかにそれが『まだ知られるべきではない仮説』であることを言外に物語っていた。
この場に居合わせた面々の殆どは仮説の内容を推し量ることができず、しかし退室しようとする様子もない。
俺はもちろんのこと、ガーネットもエゼル、そしてヒルドも揃ってそうなっていて――例外はアンブローズただ一人だった。
「少なくとも僕は、例の仮説を知ってから一度もスキルが増えていない。その前に得たのは十年も前だったから、因果関係の証拠にはならないだろうけど……君達はまだ若い。僕のように新たなスキルなど不要と断じられる歳ではないだろう?」
その言葉は俺よりもむしろ、ガーネットやエゼルの方に向けられているようだった。
俺にとっては『新しいスキルが増えなくなる』なんて今更にも程があったが、彼女達にとってはそうではないはずだ。
しかし、だからといってこの二人が怯むかというと――
「余計なお世話だな。白狼のがいりゃ、下手なスキルよりずっと強くなれるし信頼もできるぜ」
「もしも新しいスキルが増えなくなっても、今あるスキルが使えなくなったり、鍛えられなくなるわけじゃないんでしょ。だったら十分ね……ならないよね?」
「……サンプル数が極めて少ないので断言はできないが、現時点の事例では確認されていないな」
そしてアンブローズは、何故かヒルドの意志を確かめようとせず、そのまま押し黙って傍観者に戻った。
ヒルドはガンダルフが語る一言一句に集中し、記憶と手元の書物に刻み込むことに夢中になっていて、周囲の様子はあまり目に入っていない様子だ。
エルフの魔法は人間のスキルとはまた性質が違うようで、新規スキルの入手云々が他人事なのは理解できるが――それを踏まえると、アンブローズの対応は気に掛けるべきものだと思えるのだが。
魔王ガンダルフは十分な間を置き、俺達の反応を見届けてから、改めて冷徹に語り始めた。
「貴様達がいうところの『スキル』とは、神々とやらを信仰することで得られる、魔力をエネルギーリソースとした特殊能力と定義できるものだったな」
「……ああ、そうだ」
「しかし考えてもみるがいい。魔物も魔力を力の源として力を振るう。薬草の効能すらも魔力による自己再生能力の副産物だ。しかし……草木や獣が『信仰心』を持っていると思うか?」
それは常識という足場に打ち込まれる楔のような一言だった。
ガンダルフはおもむろに片腕を伸ばし、天井に向けた手の平の上で少量の魔力を渦巻かせてみせた。
「本来、魔力の運用は信仰などとは無縁な機能である。草木が損壊を埋めるように、獣が火を吐き出すように。我らエルフの魔法もまた、さながら剣術を学ぶかのごとく、誰であっても実行可能な魔力制御を磨き上げたものに過ぎぬ」
魔王の一瞥がヒルドに――正体を隠したエルフへと向けられる。
ヒルドはたったそれだけで、射竦められたかのようにビクリと震えて筆記の手を止めてしまった。
「貴様らだけなのだ。魔力行使に『信仰』などという余分な工程を挟まなければならないのは。若き魔族は己等こそが特別なのだと誤認するようだが、古代を知る我らは違う」
「まさか……古代魔法文明の『魔法』は、今の俺達のスキルと違って……神々への信仰を必要としなかったということか……?」
「然り。エイル・セスルームニルが貴様の『右眼』に封印を施してまで隠そうとした情報……それらの中で最大のものは、恐らくこれであろうな」
当たり前だと思っていたから思い至らなかった。気が付かなかった。想像もしなかった。
薬草の治癒原理は、薬草が自分自身の損壊を魔力で癒そうとするのを利用し、磨り潰した薬草から溢れる余波を傷口に作用させることだ。
ドラゴンに代表されるような魔物が振るう能力も、当然ながら魔力を燃料代わりとして機能している。
そういった野生の動植物が神々を信仰している? 考えにくい想定だ。
神々を信仰し、神々が司る分野に関係するスキルを授かる――あまりにも根本的な常識が揺らがされるだなんて、夢にも思いはしなかった。
「だが、ここから先は『元素の方舟』の人間共には関係のなかった事柄である。余も人伝に知った情報でしかない。よって……他所のダンジョンの歴史を知る者に語らせるとしよう」
ガンダルフの手中に渦巻いていた魔力が膨れ上がり、空中で人ひとりが収まるほどの球体となっていく。
そして球体を構成する魔力が解れていき、半透明な若いエルフの似姿――エイル・セスルームニルの若き日の姿を模した精神体が姿を現した。
「……まったく、こんなことになるなんて……悪い夢でも見ているみたい」
若きエイルの精神体は、不満に満ちた様子で頬を膨らませながら、ガンダルフの手前にふわりと降り立った。