第567話 火之炫毘古の神降ろし
「『赫焉の楼閣』がアルファズルの同志によって築かれたダンジョンだった。そこまではいい。だが……どうしてその人間の名前が、火之炫毘古と火之炫日女だったんだろうな。どちらも故郷に伝わる神の名と同じじゃあないか」
梛は言葉に詰まって押し黙った。
神降ろしによって身に宿す『神』の名と、魔王ガンダルフが言及した同志たる人間達の名――それらの不可解な一致に気がついたのは、恐らく桜や梛だけではない。
例えば雇い主であるルーク・ホワイトウルフのように、ウェストランドの人間にもこの類似を悟った者はいるはずだ。
彼らが殊更にそれを問題視していないのは、ただ単にもっと優先すべき問題があるからだろう。
しかし、桜は違う。
ウェストランドの政治情勢について、良くも悪くも部外者である桜にとっては、神降ろしに絡む情報こそが最優先事項なのだ。
「私達、不知火一族は『神』を無我なる力の塊と考えた。お前達、霧隠れ一族は『神』を自我ある超越的な存在と考えた。だが真相は……我々のどちらでもなかったのではないか?」
「……そうとも言い切れないだろう。神と同じ名を付けられた人間という可能性だってある。判断を下すにはまだ証拠が……」
「必要ならば教えてくれようか」
突如――この場にいなかったはずの第三者の声が響く。
それは桜や梛のような少年少女よりも、倍以上の年月を生きたであろう男の声であり、桜にとっては決して聞き流すことのできない声であった。
「……その声はっ! 魔将スズリ!」
桜が振り返ると同時に刀の柄に手をかける。
梛も素早く飛び退き、背後のメリッサを守るように片腕を広げた。
第五迷宮の入口から歩み来る、素顔を覆い隠した一人の男。
魔王軍四魔将、火のスズリ。
炎と刀を操る剣士にして、桜の父親である不知火蔵人の肉体を仮初の器とした魔族。
「何の用だ。ルーク殿とウェストランド王国への恩義に報いるために、貴様を討つのはしばし先送りにしようと思っていたが……そちらの出方によっては迎え討つに躊躇はないぞ」
「言った通りだ。神について……火之炫毘古とその娘について知りたいのであれば教えてやろう」
桜は警戒を解くことなく、しかしすぐに刀を抜き放とうとすることもなく、スズリの出方を窺い続けた。
「それはルーク殿や国王にお伝えすべき情報ではないのか。私だけに明かすというなら、それ自体が怪しむに足る根拠だろう。一体何を企んでいる」
「彼の者には陛下御自らがお伝えする。しかし貴様は……先程の謁見もそうだったが、ルーク・ホワイトウルフを始めとする者達に遠慮をして、自らの疑問と懸念を口にしようとはしないだろう」
「……そんなことは……」
予想外の相手から突きつけられた指摘に、桜は反論できずに口籠った。
悔しいがスズリの指摘の通りだという自覚はあった。
魔王ガンダルフが『赫焉の楼閣』や火之炫毘古と火之炫日女に言及したとき、桜は『それはどういうことなんだ』と割り込むことができなかった。
部外者に近い自分が口を挟むことで、ルーク達の邪魔をしてしまうことになりはしないかと恐れたのだ。
「貴様の同席を陛下に進言したのはこの俺だ。陛下に縋って更なる教えを懇願するだろうと思ってのことだったが……よもや借りてきた猫のように黙りこくっているだけとはな」
「……挑発のつもりか?」
桜が柄に添えた手に力を込める。
梛はそれを見て取って、メリッサを庇いながら臨戦態勢を取った。
しかし対するスズリは依然として悠然と佇み、構えるどころか刀に手を伸ばす気配すらなかった。
「まさか。貴様が真実を知ることは我々にとっても利があり、故に陛下も了承なさったが、遠回しな策は実を結ばなかった……それだけのことだ」
「だからこそ、こうして貴様が足を運んだと? ルーク殿に同伴させるのではなく、一対一で真相を語って聞かせるために?」
「然り。貴様がもう少し強欲であれば、こんな手間を掛ける必要はなかったのだがな」
スズリの手が無造作に刀へ伸ばされる。
「不知火! 構えろ!」
メリッサが息を呑み、梛が声を張り上げる。
「案ずるな。今ここで貴様を殺すつもりなどない。だが、言葉だけでは伝わらぬ物もある。それだけのことだ」
逆手に抜き放たれる魔将の剣。
スズリはその見事な刀身を顔の前で横に構え、そして――
「第二拘束解放。我が声に応えよ、火之炫毘古」
瞬時に渦巻く灼熱の魔力。
ただそれだけで肌を灼く猛烈な魔力の奔流がスズリを包み、素顔を隠す布を吹き飛ばす。
露わとなったその顔は、まさに桜の父である蔵人のそれであり、更には神降ろしを果たした桜と同じ赤い髪に染まっていた。
「まさか、貴様――神降ろしを――!」
これまでの戦いでスズリが使っていた力、火焔躯体起動の解号で発動する肉体の火炎化とは全く異なる変化。
他の誰かであれば似て非なるものと解釈の余地があったかもしれないが、他ならぬ桜は確信できてしまった。
スズリが発動させたあの力は、疑う余地などなく神降ろしそのものであると。
「何故だ! 何故、貴様が!」
「愚問だな。知りたければ刀を抜け。火之炫日女の力を引き出すがいい」
「くっ……!」
桜は緋緋色金合金の刀を抜こうとし、刀身が僅かに覗いたところで踏みとどまった。
「……駄目だ。今、祭具たる総緋緋色金造の刀は、ルーク殿の手元にある。それがなければ……」
「だからこそだ」
スズリは一拍の間も置かずに断言した。
「今の貴様であれば、緋緋色金の助けに頼らずとも神降ろしを発動させることはできるだろう。その桜色の刀だけで十分だ」
「だとしても! 制御しきれるものでは!」
「……ならば、使わざるを得なくしてやろう。陛下のお許しは既に得ている故な」
スズリの姿が掻き消える。
次の瞬間、灼熱を纏った刀が桜めがけて振り下ろされた。
「くっ――!」
かろうじて防ぐことはできたが――否、防げるように放たれた斬撃ではあったが、スズリの纏う灼熱は容赦なく桜の肌を焼かんとしている。
桜は意を決し、その名を叫んだ。
「御座しませ、火之炫日女!」




