第559話 第五迷宮の魔王、そして
「ここが謁見の間だ。ガンダルフ陛下はこの中でお待ちになっておられる。まかり間違っても無礼のないように気をつけろ」
ノルズリが扉に手をかけようとしたところで、しわがれた老人の声が扉越しに聞こえてきた。
「カカカ。ようやっと到着しおったか。陛下は首を長くしてお待ちだぞ」
忘れるはずなどない。この不気味な声色は、魔王軍四魔将、土のヴェストリのもので間違いなかった。
「しかし随分と大人数で押しかけてきたようだな。慎重なのは結構だが、全員に陛下へのお目通りが許されると思ったか?」
「もちろん思ってなどおらん。大部分は道中の護衛に加え、謁見が終わった後にすぐさま書類を作るための文官だ。中に入るのはお互いが同意できる人数のみ……地上の国家同士でも変わりはしないとも」
代表者であるキングスウェル公爵が、恐れを抱く様子もなく、扉越しのヴェストリに応対する。
「ならば結構。まずはそちらの希望を聞こう。最低でも誰を送り込むつもりだ?」
「使節団代表であるこの私と、冒険者ギルド幹部のジャイルズ氏。そして白狼騎士団のルーク卿。各自の護衛を二人ずつ。最低でもこれくらいは認めて貰わなければ話にならん」
これについては、事前にキングスウェル公爵と打ち合わせ済みだ。
人間の国家同士の会合であっても、連れてきた手勢を全員同席させるなんてことはありえない。
直接顔を合わせるのは限られた代表者だけである。
まずはキングスウェル公爵の護衛として、赤目黒髪の男――護衛隊隊長のクライド。
二人目は何人か候補がいたそうだが、勇者エゼルがギリギリで合流できたため、エゼルがその役目を担うことになった。
マスター・ジャイルズの護衛は納得の人選で、最初から連れていた素性不明の大男とAランク冒険者のセオドアだ。
そして俺の護衛役は決して外せないガーネットと、もうひとりは――
「しっかし、本当に俺で良かったのかね」
「あくまで騎士団長としての護衛なのだ。正規構成員が付くのは当然だろう」
俺達の後ろでチャンドラーとサクラが小声で会話を交わしている。
今回、ガーネット以外の護衛役はサクラではなくチャンドラーが担うことになっていた。
理由はサクラが言った通りである。
「可能であれば研究者を二名ほど追加したい。恐らくは魔王のみが知る、深遠な知識に触れることになるだろうからな」
「カカカ。許そう、侍らせるがいい。だが一人だけ、こちらから同席を要求したい人間がいる」
「ほう? ルーク卿以外にもそのような者が?」
「赫焉の巫女、火之炫日女の依代。シラヌイ・サクラだ」
周囲の視線が一斉にサクラへ集まり、サクラ自身も驚きに目を丸くする。
「……何故、と尋ねても構わぬか?」
「その者が持つ知識があれば、陛下の御言葉の理解も多少は容易になる。それだけのことだ。できぬと言うなら、貴様らが損をするだけのことよ」
キングスウェル公爵は無言でサクラに視線を向けて同意を求めた。
サクラも押し黙ったまま首を縦に振り、謁見に同席することを真剣な面持ちで承諾した。
「いいだろう。十二名の同席で同意する」
「では入るがいい。陛下に失礼のないようにな」
豪奢な扉がゆっくりと開け放たれる。
その奥に広がっていたのは、廊下よりも更に天井が高く、広大な面積を誇る大広間であった。
――そして広間の最奥は階段のように一段高くなっており、その最上段には五本の石柱のような石版を背に、ただ一つの玉座が鎮座していた。
玉座に坐すはダークエルフの王、ガンダルフ。
古代魔法文明から生き続けていながら、人間でいえば壮年の域も越えていない若々しさを保った、人外の存在。
整った顔立ちには無限の暗闇のような威厳が満ち、視線を浴びるだけで心臓が止まりそうになってしまう。
そして魔王の両側には、ノルズリを除く三人の魔将が控えていた。
全身を布で覆い、東洋の刀を佩いた剣士――火のスズリ。
長命種たるダークエルフでありながら、顔が皺に覆われて背筋が曲がるほどに齢を重ねた老人――土のヴェストリ。
本来のノルズリの体を上回る屈強な肉体を誇る戦士――嵐のアウストリ。
かつて魔王戦争において確実に息絶えたはずのアウストリであるが、やはり何らかの手段によって肉体を取り換え、命を繋いでいたようだ。
「……おい、ルーク・ホワイトウルフ。拘束を解け。約束の時だ」
ノルズリが俺にそう要求したのとほぼ同時に、ダークエルフの従者が横長の豪華な箱を恭しく俺に差し出してきた。
受け取って【解析】してみると、その中には劣化していない俺の右腕が、丁寧に収められていることが分かった。
「……分かった。ちょっと待て」
キングスウェル公爵の許可を得て、ノルズリを抑えていた魔法的な拘束を【分解】する。
ノルズリは自由になった体を確かめるように軽く体を動かしてから、玉座へ続く階段を昇って三人の魔将に合流し、俺達を見下ろす位置に立った。
そのときアウストリが嗤うように口元を歪め、ノルズリが魔王から見えないように顔を歪めた辺りから、魔将同士の関係性が垣間見えたような気がした。
――壇上から見下ろすは魔王ガンダルフと四人の魔将。
――対するは地上の十二人。
キングスウェル公爵。護衛隊隊長クライド。勇者エゼル。
マスター・ジャイルズ。素性不明の冒険者。ドラゴンスレイヤー、セオドア・ビューフォート。
ルーク・ホワイトウルフ。ガーネット・アージェンティア。チャンドラー・ラージャシンハ。
ヒルド・アーミーフィールド。アンブローズ・ウィスルト。そして、不知火桜。
万に一つでも交戦に発展した場合、勝利はできずとも全員無事に謁見の間を逃れることはできるだろう……そんな希望を抱くことはできるだろう。
「……ふむ……」
魔王ガンダルフは俺達一人一人を順番に観察し、そしておもむろに玉座から立ち上がった。
「なっ、陛下!」
「いかがなさったのですか!」
アウストリとノルズリが、主君の突然の行動に驚き声を上げる。
謁見という体裁を取るのであれば、使者を迎える王者たるガンダルフは、堂々と玉座に坐したままであるのが当然だ。
ところが、魔王ガンダルフは一体何を思ったのか、自らの足で階段を一歩一歩下り始めたのだ。
「凡百の人間であれば、腰を上げる必要などなかったであろうな。だが、地上の覇者を迎え入れるのであれば、王として相応の振る舞いが求められるというものだ」
魔将だけでなく、俺達のほぼ全員も呆然とするしかない。
だがそんな状況にあって、キングスウェル公爵とマスター・ジャイルズ、そして護衛隊隊長のクライドとセオドアの四人は、むしろ表情を綻ばせてすらいた。
その面々を代表するかのように、キングスウェル公爵が恭しく頭を下げる。
「無礼をお許し頂きたい、魔族の王よ。このお方が動いたとあっては、アガート・ラムに真意を悟られるは必至。故に地上の人間すらも欺くほどの隠蔽が必要になったのです」
マスター・ジャイルズの隣で、素性不明の大男が分厚いコートを脱ぎ捨てる。
露わになったその素顔を目の当たりにして、俺は魔王ガンダルフの直視を浴びたときよりも更に意識が遠のきそうになった。
――ウェストランド王国国王、アルフレッド。
偉大なるその男が、紛れもなくそこにいた。




