第555話 出立直前の緩い時間
「おはようございますっ! 勇者エゼル、白狼騎士団に協力すべく馳せ参じました!」
「テメーも来やがったか。随分と遅かったな」
興奮を隠しきれていない様子のエゼルに、ガーネットがにやりと笑いかける。
「ごめんごめん。実家の方とスケジュールの調整してたら、滑り込みになっちゃってさ」
「申し訳ありません、ルーク団長。今からでも同行は可能でしょうか」
「ああ、もちろん。むしろありがたいくらいだ」
ホッとしたような表情を浮かべるエディ。
勇者エゼルの活動を裏から支える立場として、王国使節団の出発という大イベントに間に合わせられるかどうかは、やはり大きな心配だったのだろう。
「耐熱装備も多少の余裕を持たせてあるから、一人や二人増えた程度なら大丈夫さ。まぁ……そのせいで余計に負担を掛けることになったんだけど」
何事も冗長性は大切だ。
あらかじめ余裕を持って準備するなり、余裕がなくなったときのリカバリー手段を用意しておくなりしなければ、とてもじゃないが危険に身を投じ続けてなどいられない。
無論、冗長性を設けることができない場合も起こりうるが、今回はそういうパターンではない。
むしろだからこそ、王宮の要人を何人も連れ歩いてダンジョンを移動するなんて真似が許されるのだ。
ただし、そのために忙殺されていた面々を目の当たりにした身としては、申し訳無さで胸がいっぱいになってしまうのだが。
「それじゃあ、改めて。今回の作戦内容について再確認しておくぞ」
一通りのブリーフィングを終え、俺は白狼騎士団の面々を引き連れて、ホロウボトム要塞の正門前で出発の時を待っていた。
黄金牙騎士団を中心とした護衛部隊も到着しているので、後は使節団の本隊が準備を終えるのを待つばかりだ。
ちなみに、セオドア率いる冒険者パーティは、この第一階層ではなく第四階層の前線基地で待機している。
ここから大穴を経由して第四階層に至るまでの先導は、俺達が一手に引き受ける手筈になっているのだ。
「ねぇ、ガーネット。アダマントの剣の加工に手こずってるっていう話は聞いてるけど、まだ上手くいきそうにないの?」
「いいや、とりあえずは仕上がったぜ」
ガーネットは鞘から剣を抜き放ち、その剣身をエゼルに見せつけた。
「魔法紋の刻印もバッチリだ。これなら今まで通りに戦えるだろ」
「できたとは言っても、再現性は多分ないからな。あんまり過信はするんじゃないぞ」
自慢げなガーネットと感心した様子で剣に見入るエゼルに、横合いから一応の忠告を投げておく。
アダマントの強度の源である特殊な構造を維持したまま、ミスリルを混ぜ合わせて両者の長所を重ねた合金とする――この試みはドワーフ達も苦戦する難題であった。
幸いにもドワーフ達の研究成果を教えてもらい、理論上は可能かもしれないというところには至れたが、そこから先も苦戦続きで失敗の連続だった。
最終的に成功したきっかけは、魔将ノルズリとの想定外の死闘である。
ギリギリまで追い詰められていた俺は、薄れゆく意識の中、無我夢中でスキルを駆使して抵抗を続けた。
その最中、気付けばアダマントの剣にミスリルを【合成】できていたという、何とも怪しげな経緯で成功を果たしたのである。
再現性がないと思われるのもこれが原因で、もう一度試そうにも純粋なアダマントのストックがなく、再現できない可能性を考えると剣を元に戻すわけにもいかない。
しかも、ひょっとしたら――異常な変化を示していた『叡智の右眼』の影響があるかもしれず、安易に再現を試みるのは危険だという考えもあった。
「ちなみに、表面の魔法紋は俺とノワールの合作だ。普通の手段じゃ削れないくらいに頑丈だから、俺が【分解】を応用して溝を刻んで、ノワールがその溝をミスリル合金で埋めて魔法紋に仕上げた……って感じだな」
「へぇ……やっぱりルークさんって、何でも出来るんですね」
「何でもってわけじゃないけどな」
エゼルからストレートな称賛を向けられ、思わず笑みをこぼしてしまう。
その後で、ガーネットが俺をじっと横目で見ていることに気がついた。
「これから大仕事だってのに、でれっとしてんじゃねーぞ?」
「してないしてない。するわけないだろ」
「ほ、ホントだってば。ガーネットこそ集中しなきゃ、集中!」
当事者の俺だけでなく、エゼルも慌ててガーネットを宥めにかかる。
ガーネットは深く息を吸って吐き、それから小さく首を振った。
「そうだな、悪ぃ。オレとしたことがピリピリしてたみてぇだ。上手く行けばアガート・ラムの手掛かりが掴めると思うと……な」
「……ガーネット……」
「柄にもなく気が急いてるみてぇだぜ。慌てる必要なんかねぇってのに。お前が仕上げてくれた剣もあるし、お前がくれる魔獣の力もある。こんなに心強いことが他にあるか?」
俺を斜めに見上げながら、ガーネットは白い歯を見せてニッと笑ってみせた。
その笑顔がとても眩しく思えて、俺は思わず頬を綻ばせてしまった。
「満足いただけたようで何より。武器屋冥利に尽きるって奴だ。メダリオンの方は武器屋らしくはないけどな」
「だな。やってくれるのがお前じゃなかったら、とてもじゃねぇが体を預ける気にはなれなかったぜ」
……そんな俺達二人のやり取りを、今度はエゼルが横目でじとっと見やって来る。
「あのー……そういうのは、終わってから家でやっていただけません?」
「何言ってんだ馬鹿。変な誤解受けたらどうすんだコラ」
ガーネットがエゼルにぐいぐいと詰め寄りながら、両頬を左右から手で挟み込む。
そのまま何度も力を込めるたびに、エゼルの口からおかしな音が漏れ聞こえた。
「だ、あ、っ、て、ぇ」
「だっても何もあるかっ」
すっかり肩の力が抜けきった緩いやり取りを眺める俺の耳に、ようやく待ちに待った報告の声が投げかけられる。
「――ルーク卿! 使節団の準備が整いました! 出発準備をお願いします!」




