第553話 マスター・ジャイルズ
「久しいな、ルーク卿。王都以外で顔を合わせることになるとは、お互い夢にも思わなかったのではないか?」
「……っ! 貴方は……キングスウェル公爵!」
驚きと同時に強烈な納得感が押し寄せてくる。
目の前で微笑を浮かべる小兵の老人――キングスウェル公爵は『元素の方舟』に最も関わり深い貴族である。
領地替えの前は『元素の方舟』の正面玄関にあたる、第一迷宮こと『奈落の千年回廊』の入口を領地に含んでおり、領民にもアルファズルの別名である知恵者を神として信仰している者達がいた。
また、公爵の実兄であるアルジャーノンは、その『奈落の千年回廊』に隠された秘密の探求に耽溺し、公爵位の継承を捨ててまで研究に没頭した末に、迷宮の探索中に消息を絶ったほどだった。
――そしてつい最近、ダンジョン内で生存していたアルジャーノンが、アガート・ラムの配下になっていたことも発覚した。
俺達が進めている調査の基盤が、キングスウェル公爵によって提供されたアルジャーノンの研究資料であることを考えても、彼以上に適任な貴族はいないと断言できる。
「しかし……先に受け取っていた報告書によると、使節団は別の貴族の方が率いることになっていたのでは……」
「ああ。だが、あやつの持病が急に悪化してしまったものでな。孫ができるような年齢になると、体のそこかしこに病の種が潜むもの……私も他人事ではないから戦々恐々だ」
キングスウェル公爵は相変わらずの飄々とした態度で、俺の疑問をあっさりと受け流した。
いくら何でも、国王陛下肝煎りの件で血腥い真似をして立場を奪ったとは考えにくいので、本当に持病が発症した隙を突いたのか、そういう言い訳で代わってもらったかのどちらかだろう……と思いたいところだ。
「偶然ではあったが、私にとって交代の要請はありがたい話だったよ。何せ、私と愚兄の繋がりを疑う者の反対で、危うくこの機会を逃してしまうところだったのだからな」
「はぁ……いいご友人をお持ちだったようで」
「あれは本当に気が利く男だ。事が終わったら存分に礼をしなければならん。療養も兼ねて、この町の旅館の貸し切りでもしてやろうか」
王都の方では何やら貴族同士の小競り合いがあったようだ。
勝手にしろと言いたいところだが、こちらの活動に支障を来すのは御免被る。
そういう観点で考えれば、事情説明の必要がないキングスウェル公爵が派遣されたのは、かなり好都合だといえるだろう。
「さて、それではさっそく会議に移りたいところだが――終了後に少々時間をもらえるかな?」
使節団との一回目の会合が終わった後、俺はキングスウェル公爵の要請通り、町役場の会議室に残ることにした。
同席者はキングスウェル公爵とギルド幹部のジャイルズの二人。
どちらも護衛を引き連れていないので、俺も護衛扱いでるあるガーネットは別室で待たせてある。
俺は公爵という最高位の貴族と同席するよりも、その隣にいるジャイルズと同席することに緊張を覚えていた。
不思議な話だが、どうやら俺はキングスウェル公爵にある種の慣れのようなものを感じる一方で、かつて同じ業界で雲の上の存在だった男の方にこそ距離感を感じてしまっているらしい。
ギルド幹部、マスター・ジャイルズ――無論、マスターとは称号であって名前ではない。
年齢はアルフレッド陛下と同程度だろうか。
体格自体は陛下と比べれば少々劣るが、それでも俺よりも僅かに頭の位置が高く、肉体も年齢を感じさせない精強さを保っている。
「さて、感謝しますよ、キングスウェル公爵。アルフレッドのお気に入りと話す時間を作って頂いて、どうもありがとうございます」
「気になさるな。陛下にはかねてから格別のご配慮を頂いておりますからな。これくらいはしなければ恩知らずというものでしょう」
二重の驚きが一纏めになって襲いかかってくる。
まずはジャイルズが俺のことを陛下のお気に入りと呼んだこと。
そして陛下を『アルフレッド』と呼び捨てにしたことだ。
「……しかしまぁ、世間とは狭いものだ。まさかあのときに出会っていた相手が、十五年も俺の下で働いていた上に、こうも盛大に成り上がってくるとはな」
「あのときに……まさか……!」
「ふっ、そのまさかだ。俺もかつてはアルフレッドと同じパーティに所属し、王妃を巡る探索にも加わっていた。つまり、お前とは随分昔に顔を合わせていたことになるな」
ジャイルズは昔を懐かしむような笑みを浮かべた。
昔、アルフレッド陛下は身分を隠してパーティに加わっていた王女と恋に落ち、彼女がとあるアーティファクトを発見したものと結婚させられることを知って、自ら王となる決意をした。
その直前に俺の故郷の村で一泊したことこそ、俺が冒険者を志す動機になったわけだが――そうか、あのパーティにいた冒険者の一人が、マスター・ジャイルズだったのか。
ならば陛下を呼び捨てにできるのも、ギルド幹部という高い位置まで上り詰められたのも納得だ。
「もっとも俺は、酒の席でアルフレッドから話を聞くまで、お前のことは綺麗さっぱり記憶から消えていたのだがな」
「……それは致し方ありません。取るに足らない子供に過ぎませんでしたから」
「まぁ……これが俺とアルフレッドの違いとも言える。奴のような生き方は、俺には到底できそうもない」
そう語りながら、ジャイルズはまるで品定めをするかのように、視線を上から下へと動かした。
「あの、どうかしましたか」
「我らが討伐した銀の氷狼……お前がその力を我が物にしたと聞いてな。ひょっとして生まれが理由ではと思ったのだが、そういうわけではなさそうだ」
「生まれ……ですか」
「白狼の森。俺を含めたアルフレッドのパーティが、王女を手に入れるために挑んだダンジョンの所在地だ。その近隣に生まれたお前だからこその現象ではないか、などと勝手に推測していたにすぎん。気にするな」
俺はその発言に対しては、さほど大きな驚きを覚えなかった。
これまでに断言されたことはなかったと思うけれど、恐らくはそうだろうとおぼろげに感じる材料はそこら中にあったからだ。
陛下が探索の直前に村を訪れた事実と、その探索の成果物がハティのメダリオンだったという事実。
魔獣スコルが生み出していた眷属のフェンリルウルフと、かつて白狼の森に現れたという大きな白い狼の伝説。
ハティが持つ氷……即ち低温の力と、白狼の森に今も立ち込める魔力の霧。
あらゆる要素が一つの可能性を指し示していたことは明白で、その答え合わせを今になって受けたような感覚だった。
「さて――少しばかり腰を据えて話を聞きたいと思うのだが、構わないか?」
「はい、こちらこそよろしくお願いします」
 




