第545話 機巧技師の工房にて
「あれは……アレクシアか?」
最近できたと思しき見知らぬ建物から出てきたアレクシアは、俺達に気が付く様子もなく、普段と変わらない様子でどこかに歩いていった。
俺とサクラは顔を見合わせ、首を傾げながら視線を交わした。
今更アレクシアを追いかけて話しかけるほどのことではないが、ここで何をしていたのか気にならないと言えば嘘になる。
なので、どちらからともなく進行方向を変え、アレクシアが出てきた建物へと近付いていく。
「……看板とかは見当たらないな」
「こっちは凄い荷物です。木箱が山みたいに……中身は鉄屑でしょうか……」
サクラは興味津々といった様子で、玄関横の開放的な物置スペースをを覗き込んでいる。
客商売をしている様子はないが、住居として使われているわけでもなさそうだ。
都合よく、玄関の扉の一部が少しだけガラス張りになっていたので、そこから中の様子を伺おうとしたところ、その直前に内側からドアが開け放たれた。
「おっと!」
「あ、すみませ……」
身を引いて扉をかわすと、出てこようとした人物が申し訳無さそうに軽く頭を下げ、そして俺の顔を見て目を丸くした。
どこかで会ったことがあるような、ないような。
初対面とはどうしても言い切れない雰囲気の青年だ。
しかし青年の方は俺を知っていたらしく、驚きながら建物の中に大声で呼びかけた。
「おーい! 領主様が来たぞ!」
「えっ、店長さんが?」
「ちょうどよかった、団長殿にも入ってもらえ!」
建物の中には想定よりも多くの男女がいたようで、俺のことを色々な肩書で好き勝手に呼びながら、入ってくるよう口々に言い出した。
「というわけで、どうぞどうぞ。後で白狼さんも呼ばなきゃって思ってたんで、ちょうどよかったです」
「いきなりそんなこと言われても……ちょっ、そもそも何が何だか……」
「ル、ルーク殿!?」
青年が笑いながら俺の左腕を引っ張って、建物の中へと連れ込んでいく。
大慌てでついて来たサクラも一緒に玄関を通り抜け――そこに広がっていた光景を見てすぐに状況を把握する。
ここは作業場だ。
部屋中に積み上げられた木箱の中身は機巧の部品で、無骨な鉄の塊にしか見えない装置は工作機械だろう。
「……なんだ、機巧技師の工房だったのか」
「ええ、そうですよ。以前の建物が手狭になってきたので、追加の部屋を借りたんです。ご存知ありませんでした?」
「ご存知ありませんでしたとも。いつの間にこんな……」
思わず呆れ混じりの奇妙な言葉遣いで返してしまう。
もちろん、この場合の呆れは俺自身にも向けられたものだ。
アレクシアを筆頭とする機巧技師に散々世話になっておきながら、新工房の開設を知らなかった自分自身。
情報伝達が上手くいっていないことに気付かないまま、俺が事情を知っている前提で強引に行動したこの青年。
もはやどっちもどっちとしか言いようがない。
「技師長は入れ違いで外に出ちゃいましたけど、多分すぐに戻ってくると思います」
「まぁ……話はアレクシア本人に聞くとするか。俺に何か用事があったんだよな」
「アレクシア殿は何の用件で出掛けられたのだ?」
サクラの質問に、機巧技師の青年は世間話も同然の流れで答えた。
「共同研究者の方をお迎えに行ったんだ。今回も魔法と組み合わさった装置だからね。すぐ近くのお店で待っているそうだから、本当にすぐ戻るはずだよ」
「なるほど、つまりノワールか」
「いや、今日は違うんだ。騎士の人だよ」
何気なく発されたその一言を聞き、俺はすぐさまある男のことを思い浮かべた。
しかし、噂をすれば何とやら。
それを口にするよりも先に、玄関の扉が開いてアレクシアが工房に入ってきた。
「ただいまー……って、あれ? ルーク君じゃないですか。どうしたんですか、こんなところで。ガーネットがいなくてサクラと一緒なのも珍しいですけど」
「偶然通りかかったら引っ張り込まれたんだよ。何か俺に用事があるらしいけど、どうかしたのか?」
「おや。何とも気が早い」
アレクシアは機巧技師の男女に咎めるような視線を向けてから、短く息を吐いて玄関の方に向き直った。
「仕方ありません。予定より早いですけど、ルーク君にもお話を聞いてもらいますか。どうぞ、入ってきてください」
「多少の前倒しなら構わない。むしろ僕としてはその方が好ましいくらいだ」
工房内に姿を現したのは、全身を衣服や布で覆い隠した不審な男だった。
「やっぱり。アンブローズだろうと思ったよ」
「これは白狼騎士団の公務とは無関係の案件だ。僕の個人的な用事で、どちらかと言えば翠眼騎士団の業務に近い」
アンブローズは工房の奥に置かれていた横長の箱に近付くと、手袋に包まれた指先で器用にその包装を解き、布に包まれた何かを取り出した。
「端的に言えば、友人である研究者からの頼まれ事だ。試作品のテストデータがなるべく多く欲しいから、試験運用と実地での改良をしてもらいたい……とね」
「まぁ……確かに研究がお前達の本業か。俺に話があるってことは、スキルを使って……」
「いいや。団長殿に頼みたいのは試験運用の方だ。しばらくの間、これを使ってもらえないだろうか」
そしてアンブローズは、包みの中身を作業台に広げてみせた。
――それは『腕』だった。
もちろん人間の肉体の一部などではない。
無機質で艷やかな人工物で構成され、球状の関節構造を人間と同じ場所に持つ、人形の腕である。
おかしなところがあるとすれば、明らかに人間のそれと同じ大きさをしている点くらいのものだろう。
「それが研究の試作品なのか?」
「ああ。団長達は似たような物を何度も目にしているはずだ」
「……アガート・ラム。自律人形の体と似ているな」
俺の隣でサクラが表情を引き締めて身構える。
アンブローズはその反応を気にも留めず、至ってマイペースに『腕』の説明を始めた。
「魔法で人形を操ること自体は、昔から地上の魔法使い達の間で行われてきた術式だ。かつては魔法使いの自己改造にも使われていた。もっとも、その用途はメダリオンの発見で魔獣因子に取って代わられたのだけどね」
右腕の断面を左手で袖越しに押さえる。
外傷としてはとっくに癒えているはずなのに、何故か無いはずの腕が疼くような気がした。
「一般に、魔法使いは勝手気ままに研究をするものだけど、騎士団所属の魔法使いは社会に貢献しうるものをテーマに据えることが少なくない。この腕もその一環……失われた四肢を取り戻す研究の賜物さ」