第544話 暇という名の劇薬
それからすぐに、俺達は地上のホワイトウルフ商店へと引き返し、普段通りの日常を送ることにした。
もちろん最初は大騒ぎだ。
エリカもレイラもさっきのシルヴィアと同じくらいに驚き、混乱し、俺とガーネットを質問攻めにしようとしてきた。
当然、答えられる内容はシルヴィアのときと変わらないので、現時点で許されている最大限の説明をしてどうにか矛を収めてもらう。
そうして、さっそく武器屋稼業に復帰しようとしたのだが――
「……暇だ」
営業時間の真っ只中だというのに、俺は一人でリビングの椅子に腰掛けて、のんびりとした時間を過ごさざるを得なくなっていた。
人間というのは不思議なもので、忙しさに追われている間はゆっくり休みたいと思って仕方がなくなるのだが、意欲的に働こうとしたところで休みを強要されるとかえって辛くなってしまう。
今の俺がまさしくその状況であった。
「しょうがない、もう一回店の方に……」
椅子から立ち上がってリビングを後にし、店舗の方へと足を向けて、会計カウンターの裏からさり気なく顔を出す。
すると、カウンター裏の椅子に座っていたレイラが、目ざとく俺に気付いて振り返った。
「あっ、もう! ちゃんと休んでいてください! 私達だけでも平気ですから!」
「いや……でもな、今日はノワールもアレクシアもいないんだろ。だったら俺も働いた方が……」
「大丈夫です。最初っから、店長達がまだ帰ってこない前提で予定を組んでましたから。支店からのヘルプもいますし、ガーネットがいる分だけ楽なくらいですよ」
エリカの声が聞こえたのか、棚整理をしていた支店従業員の少女がひらひらと手を振ってくる。
確かに、地上への帰還が今日になることは、つい先日はっきりしたことだった。
俺達の不在を前提に動いていたのなら、むしろ予定よりもガーネット一人分の労働力が増えた形になる。
「店長はどう考えても本調子じゃないんですから、ゆっくり休んでください」
「と言ってもなぁ。回収できるまで一ヶ月くらいは掛かりそうなんだが」
「体が慣れるまでは無理しちゃ駄目ですよ。これは薬術師としてのアドバイスです。滋養強壮の水薬も出しておきますからね」
薬術師の立場で言われてしまうと、俺も強く言い返せない。
グリーンホロウに来る前、実家の仕事を手伝っていた時期にも、怪我人や病人への処方は珍しくなかったことだろう。
「でも、やることがないってのはちょっとな。騎士団の方もソフィア卿が張り切ってるし……散歩でもしてくるか」
「待った。一人で出歩くつもりか?」
今度はガーネットが横合いから異を唱える。
「さすがに護衛の一人も付けねぇってのはまずいだろ。今はもう立場が立場なんだぜ」
「……そうだな。でも今は、お前を連れ出すわけにはいかないか」
店舗を訪れている客の数と、休憩で抜けた分を除いた従業員の数を比べると、さすがにガーネットが抜けると他の皆への負担が大きくなってしまう。
ガーネットはプラスアルファの頭数ではあったが、もうそれを勘定に入れてスケジュールを修正してしまったので、今更いなくなるわけにはいかなくなってしまったのだ。
「しょうがない。騎士団の方に顔を出して、暇そうにしてる奴に付き合わせるか。いるかどうかは分からないけど……」
「でしたら私がお付き合いしましょう」
唐突に投げかけられた少女の声に、俺とガーネットは揃ってそちらを向いた。
「サクラじゃないか。お前も戻ってたのか」
「ええ、実は昨晩のうちに。第四階層での仕事も引き継ぎ終わりましたから、久々に街歩きでもして時間を潰そうと思いまして。よろしければご一緒に如何ですか?」
まさしく渡りに船な提案だった。
サクラは前々からよく俺と行動を共にしていると周囲にも知られていて、ガーネットにとっても友人の一人だから、色々な意味で妙な勘繰りを受けることもないだろう。
それに最近はお互いの仕事で忙しくしていて、腰を据えて話す機会も少なくなっていたので、久々に近況を語り合ういい機会だ。
――というわけで、俺はサクラと連れ立ってグリーンホロウ・タウンをぶらりと歩き回ることにした。
特に目的は定めていない。
気の向くまま適当に歩くだけだ。
武器屋を構えた当初は、こんな風によく散歩をしていたものだが、あれこれと忙しくなってからはその機会も減っていた。
「こんな風に町を歩くのも久し振りな気がするな」
「グリーンホロウも決して狭くはありませんからね。目的地との間を忙しなく行き来するだけの生活だと、ここまで足を伸ばすことも珍しくなってしまいます」
サクラも新鮮な面持ちで周囲を見渡している。
普段の生活ではいつも同じ大通りを通っていて、そこから一本外れた隣の路地には滅多に近付かない……というのは、どこの土地でも割とよくあることだと思う。
今の俺達はまさにそんな路地を歩いていた。
一年以上暮らしてきた町でありながら、何となくどこかの観光地にでもやって来たかのような気分だ。
家と家の間が大通りよりも狭い、馬車で通ったら激しく揺れそうな石畳の道を、サクラの歩幅に合わせてのんびりと歩いていく。
「……先日は申し訳ありませんでした」
その途中、サクラがぽつりとそう呟いた。
「第四階層での一件です。二人もの魔将が現れるほどの事態になっていながら、私は援護に赴くこともできませんでした」
「そいつはむしろ俺の失態だよ。周りの状況が安定してきたものだから、予想外の攻撃があるとは考えもせずに一人で動いたんだ。むしろノルズリ達がよくやったんだと思うべきだ」
不要な罪悪感を抱いていると思しきサクラの自責を、そんなことはないのだと真っ向から否定する。
肩を並べ、お互いに前を向いて歩きながら。
わざわざ足を止め、向かい合うなんて大袈裟だ。
考え過ぎなんだと軽く受け流してやるだけで充分なのだから、これでいい。
「……ありがとうございます。おや……?」
サクラは表情を綻ばせたかと思うと、不意に足を止めて町の一画を見やった。
「どうした?」
「ここは確か空き地だったはずなのですが。いつの間にか建物ができていますね」
「景気が良くなって再開発が進んでるからな。きっとその一環で……」
そんな風に雑談を続けようとした矢先、その建物の玄関口から、俺達にとってよく見知った人物が姿を現した。
「あれは……アレクシアか?」
第4巻表紙がカドカワ公式から公開されました。水着回です。