第543話 不安の素は己の内に
「場所を変えようか。食事処でする話じゃなくなりそうだ」
ガーネットとチャンドラーを連れて食堂を離れ、俺達が泊まっていた部屋へと引き返す。
そしてベッドの縁を椅子代わりに、腰を据えてチャンドラーの質問に答えることにする。
「確かに俺の【修復】スキルは、最低でも対象の半分と足りない分の補修素材があれば、元通りの形状に戻すことはできる。人体だって例外じゃないはずだ」
ならば右腕を取り戻さなくても作り直せるのでは、というチャンドラーの推測は、決して見当違いなものではない。
ただ単に、それをしようと思わない理由があるというだけで。
「けどな……これは喩え話なんだが、木細工で精密な『人間の腕の模型』を作ったとして、そいつが本物同様に動くと思うか?」
「……動かす用のスキルがないと動きそうにないっすね。だけどこの前は動かせるように作れたんでしょう。だったら……」
「作れたことが問題なんだ」
どういうことだと言いたげに眉を潜めるチャンドラー。
俺は焦らさずに続きを説明することにした。
「【修復】スキルの本質は物理的な形状の復元。理屈の上では、木や氷を使って腕を復元しても、そういう形の精巧な模型になるだけのはずで、機能まで元通りになるのは逆に不自然だ」
「ちぎったパンを泥で形だけ【修復】することはできても、元通りの味と触感で食べられるわけじゃない……っつーことっすか」
「いい喩えだな。まさしくその通り。泥でパンを半分補っても泥は泥、パンと同じなのは形だけだ」
もちろん『物理的な形状』こそが重要なモノであれば、何の問題にもなりはしない。
家を直すときに違う種類の木材を使ったとしても、家としての機能は損なわれないだろう。
これは元々の物質特有の性質が必要な場合に生じる問題であり、そして恐らく、生物の肉体はそういう類のモノである。
「そもそもの話として、他人の血を体に入れたら命に関わるように、他の人間や動物の体を繋ぐこと自体が危険の塊だ。形を整えて機能も復元できたとしても、素材そのものが人体に有害ならどうしようもない」
「溶岩を傷に注いで詰め物にしても、火傷は防げないようなもの、と……そうじゃなかったら【修復】の素材の調達に苦労はしませんか」
納得顔で口元に手をやるチャンドラー。
すると今度は、ガーネットがチャンドラーに便乗し、ここぞとばかりに疑問を投げかけてきた。
「生肉の危険云々は置いとくとしても、あのときオレの両腕は普通に動いたんだぜ。だから『そういうこともできるんだな』って納得してたんだが。ありゃどういうことだったんだ?」
ガーネットが言っているのは、第二階層の中立都市における戦いのことだ。
アガート・ラム幹部のハダリーとの戦いにおいて、俺は斬り落とされたガーネットの両腕を町の管理者である樹人のフラクシヌスの一部で補い、思い通りに動く樹木の腕を一時的に作り上げた。
「俺もあの当時は、木といっても巨大な樹人の体の一部だったからだろうと思ってた。生物の一部分として動かせる機能が備わっていたわけだからな。でもいくら無我夢中だったとはいえ、氷で作った腕がまともに動いたのは不可思議だ」
「魔獣の力で生み出した氷だからじゃねぇのか?」
可能性はなくもないな、とワンクッション置いてから、今度は俺なりの仮説を口にする。
「……ガーネット。アスロポリスの戦いで作った『両腕』は、まるで甲冑の籠手みたいな形をしていたんだよな」
「ああ、確かな。それでも全体に感覚がちゃんと通ってたし、何の違和感もなく動かせたんで、最初は正直言って面食らったぜ」
「それはつまり、形状の復元は不完全だったというわけだ」
ガーネットが目を丸くして驚きを露わにする。
指摘されてみればその通りだと言わんばかりの表情だ。
「他の物体を素材に【修復】した人体が正しく機能するのは奇妙だ。けれど逆に、両腕を手首と肘の間くらいで斬り落とされた程度なのに、正確な形状が復元できなかったのもまた奇妙だ」
「確かに……お前ならもっと完璧な形で直せた方が自然だよな……」
本来なら『形状』は完全でも『機能』は十全に再現できないことになるはずなのに、ガーネットの場合も俺の場合も、揃って『形状』が不完全で『機能』は万全となっていた。
今になって思えば明らかにあべこべだ。
むしろ気付くのが遅すぎたと反省せざるを得ない。
いくら大急ぎで【修復】する必要があったとはいえ、原型の半分もあれば元通りにできると豪語していた【修復】スキルが、腕の一本も精巧に再現できなかったのだから。
「恐らく、俺達の腕の一時的な復元には、普通の【修復】とは違う作用が働いていたんだと思う。そいつは肉体の機能を取り戻させることができたけど、その分だけ外見の再現からリソースが割かれたんだろう」
「知らないうちに、また新しい応用が身に付いてたってわけだ。いいことじゃねぇか……なんて気軽に言えるもんでもねぇな」
普通のスキルなら純粋な成長として喜べるのかもしれないが、俺の場合は少しばかり事情が違う。
そもそもスキルが進化した原因からして特殊であり、しかもその原因に関連していると思われる『叡智の右眼』が、何やらおかしな現象を起こしたりもしているのだ。
これではガーネットが不安になるのも当然だろう。
「で、今更の確認なんだが。チャンドラーが想像してるのは、他の動物の肉や骨を使って右腕を作り直すってことで良かったんだよな」
「そうっすね。さっきもソーセージ一つに大苦戦だったでしょ。二本目からは慣れてきてましたけど。作り直せるならそうした方がいいんじゃないですか」
「どこから見てたんだよ……まぁ、とにかく。いつもの【修復】でやるのか、名前も付けていない新しい応用でやるのかによっても変わってくるんだが……」
ベッドの縁に腰掛けたまま左腕を後ろに突き、体重を預けて姿勢を楽にする。
「普通の【修復】でやる場合、見た目は間違いなく完璧に仕上がるんだろうけど、機能まで復元できるかは未知数だ。体内の細かな構造まで再現しても、違う動物の血肉が同じ機能を発揮する保証はないからな」
例えばうちの店で売っている魔道具。
これらは内部の部品にミスリルの金属線が用いられており、魔力の親和性の高さを利用して、魔力結晶の容器から別の部品へと効率よく魔力を伝えている。
では、この構造を普通の銀で修復したらどうなるか。
見た目だけなら完全再現できるかもしれないが、魔道具としての機能は完全に損なわれてしまうだろう。
「樹木や氷を使ったときと同じやり方の場合、今度は外見が不完全になる恐れがある。いくら機能が元通りになっても、見た目の問題があったら『普段通りの生活』とはいかなくなるだろ」
「なるほど……だから『理論上は可能』だけどあえてやらないと。実験なんかはしてみたんですか?」
「いいや。俺が研究者気質の魔法使いだったら、嬉々として試しまくってたのかもしれないけどな。さすがに気が引けるよ」
魔法使いと言及したことで、脳裏にアンブローズの姿が思い浮かぶ。
アンブローズはメダリオンを活用して得られる魔獣の肉体を用いて、重傷を負って死にかけたガーネットの兄……ヴァレンタイン・アージェンティアの肉体を蘇らせた実績がある。
そういう意味では、チャンドラーが提案した『スキルによる右腕の作り直し』は、既に前例があると言えるだろう。
しかしヴァレンタインは素肌を衆目に晒せる体ではなくなっており、それもまた、俺が右腕の作り直しを躊躇う理由の一つになっていた。
「とにかく、日常生活は左腕だけでも何とかなるし、戦闘とかでどうしても右腕が必要ならそのときだけ作ればいい。諸々の問題を背負ってまで元通りにするのは、右腕が戻ってこない事態になってからで充分だ……これで納得してもらえたか?」
ひとまず話を纏めながら、一抹では済まない不安を胸の奥に押し込める。
今もなお変化を続けるスキル。
そして『右眼』に起きた異様な現象。
改めて振り返ってみれば『どうしてこんなことができたのだ』と疑問に感じることは幾つもある。
それを楽観的に捉えることができないのは――やはりアルファズルの影が脳裏をちらつくからなのだろう。