第542話 いつもと違う朝の風景
複雑な思いを抱えながら宿の食堂に足を踏み入れた直後、給仕をしていた少女――シルヴィアが俺達に気が付き、大慌てでこちらに駆け寄ってきた。
「ルークさん! 大丈夫ですか!」
「シルヴィア? こっちに来てたのか」
「ええ、支店のお手伝いで! そんなことより、本当に右腕が……」
心の底から心配そうに、シルヴィアはだらりと垂れ下がった右袖を見下ろしている。
それを見て、俺は申し訳無さを覚えずにはいられなかった。
腕を担保にする決断をしたときは、感情的な判断基準を度外視した理屈で判断を下したつもりだったが、もう少しそういった点も考えておくべきだったかもしれない。
俺が片腕を失くしたことに対し、ガーネットもシルヴィアも本当に心配そうにしているし、他の冒険者達も驚きと不安を抱いてしまっているようだ。
「心配しなくても平気だって。詳細はまだ話せないけど、右腕は後々の仕込みのためにわざと置いていったんだ」
あえて周囲にも聞こえる声で説明をする。
この食堂の客の大部分は冒険者であり、俺が第四階層で腕を失くしたことを、今後の活動方針の参考にするであろう連中ばかり。
だから過剰な警戒を与えないために、話せる範囲での情報を広めておく必要があった。
「ドラゴンを含めた現地の魔物も、今回のパーティくらいなら安定して撃退できる程度だったし、俺の腕だって魔物に持っていかれたわけじゃないからな」
「そうそう。単にやられてちぎれただけなら【修復】で何とかするに決まってるだろ。サクラもいたんだから、谷底に落っこちたって【縮地】で回収できるんだしさ」
ガーネットも笑いながら助け舟を出してくれた。
俺が曲がりなりにも白狼騎士団の団長と周囲一帯の領主を兼任し、ガーネットがその護衛であるということは、グリーンホロウに来たばかりの冒険者でもない限り誰でも知っていることだ。
現場にいなかった連中にしてみれば、そんなガーネットが平然と振る舞っているという事実そのものが、右腕の喪失に護衛の失態がなかった裏付けとして受け止められることだろう。
「ええと……本当に大丈夫ならいいんですけど……」
「悪いな、心配させて。作戦の途中だから詳しいことは説明できないんだ。でも、こうするだけの価値はあったと思ってるんだ」
「とりあえず、メシにしようぜ。腹減っちまった。何かオススメとかねぇのか? あったらそれで頼む」
「はいっ! でしたら、日替わりの朝食セットをご用意しますね!」
説明の甲斐あってか、シルヴィアは看板娘らしい笑顔を取り戻し、俺達を空きテーブルに案内して厨房に向かっていった。
ガーネットと二人でテーブルを囲み、運ばれてきた朝食セットに左手でフォークを伸ばす。
しかし、こんがりと焼けたソーセージに先端を突き刺そうとしたものの、上手く刺さらずにつるつると滑って逃げられてしまう。
「……むっ、意外な難敵が……」
第四階層で作業をしていた間は、食事といえば手でそのまま食べられる固形の糧食か、大鍋でまとめて煮込まれたスープの類くらいだったので、利き腕でなくとも特に問題はなかった。
けれどこんな風にちゃんとした料理が相手だと、利き腕ではない方の手だけで食べるのは慣れが必要らしい。
何度かそうやって悪戦苦闘を重ねていると、向かいに座ったガーネットが身を乗り出してフォークを奪い、パリッと音を立ててソーセージに突き刺した。
「おら、口開けろ」
「……え?」
こんがり熱々のソーセージが口元に近付けられる。
突然のことに反応できない俺に、ガーネットが引き続きフォークを突き出してくる。
「いいから食え」
「…………」
あまりにも強い圧力に押し切られ、ソーセージの端を齧り取る。
さっきのやり取りのときとは反対に、周囲がどんな目でこちらを見ているのか、確かめようという気持ちも湧いてこない。
むしろ全力で顔を背けたくなるくらいだ。
他の連中にとってどうかは知らないが、俺にとってこのシチュエーションはそういうことであり、気にするなという方にこそ無理がある。
「で、感想は?」
「……餌付けされてる気分だな」
にやにやとわざとらしい笑みを浮かべるガーネットに、辛うじて冗談めいた言葉を返す。
二人きりならまだしも、公衆の面前でこれをやられるのは堪らない。
性別を露呈させるには至らない程度なので、怒るに怒れないのもまた厄介だ。
これが心配をかけたことに対する仕返しなら、多少は甘んじて受け入れるべきなのかもしれないが……。
「んじゃ、もっかい口開けろ」
「勘弁してくれ」
……さすがにこの一回でギブアップだ。
フォークを取り返して齧りかけのソーセージを口に放り込む。
顔色がおかしなことになっていないことを祈りつつ、左腕だけで生活する練習を積もうと心に決めながら、とりあえず朝食を済ませることにしたのだった。
食事を一通り終えたのを見計らったように、別のテーブルから見知った顔の男が移動してきた。
褐色肌の屈強な青年――赤羽騎士団から派遣された、白狼騎士団の一員であるチャンドラーだ。
「うっす、大将」
「何だ、お前も来てたのか」
「ここは支部で一番旨い飯屋っすからね。それより、前々から気になってることがあるんで、ちょっと聞いてもいいっすか」
チャンドラーが改まった態度で質問してくるというのは珍しいことだったので、俺も椅子に座ったままちゃんと向き直って耳を傾けた。
「大将のスキルは【修復】でしょう。しかもぶった斬られた腕や脚を一瞬で繋げる上に、この前は木や氷でも補ったっていうじゃないですか」
「ああ、そうだな。それがどうかしたのか?」
「だったら右腕も作り直せるんじゃないですかね。何もないところから生やすのは無理でも、材料を掻き集めてくっつければ何とかなりそうな気がするんスけど」
「……まぁ、な。理論上は可能なんだが……」
左手で後頭部を掻きながら、周囲にさり気なく視線を巡らせる。
「場所を変えようか。食事処でする話じゃなくなりそうだ」