第540話 滲み出るは激変の予感
――『元素の方舟』第四階層の探索拠点が完成を迎えたちょうどその頃。
ホワイトウルフ商店のノワールは、グリーンホロウ・タウンに設けられた銀翼騎士団の施設を一人で訪れていた。
普段、彼女がこういった施設に足を運ぶときは、雇用主であるルーク・ホワイトウルフに同行する形なのが普通である。
しかし今日は……否、今日に限らずこの施設を訪問する場合は、例外的に一人だけで訪れることが当たり前になっていた。
業務ではなく、命令でもなく。
ごく個人的な動機による行動であるがゆえに。
「あ、あの……」
「おや、ノワールさん。少々お待ちください。面会状況を確認して来ますので」
エントランスにいた騎士は、ノワールが一人でいる姿を見るなり用件を察し、説明を受けるまでもなく支部の奥へと戻っていく。
それからしばらくの間を置いて、何ともいえない困惑した表情を浮かべて引き返してきた。
「ええとですね、先客の方が面中のようなのですが……ノワールさんもご一緒に話をしないかと仰っておりまして」
「……先客……それって、もしかして……」
「アンブローズ卿です。何やら専門的な会話をしていたようで……」
「や、やっぱり……!」
ノワールはその名を聞くなり、当番の騎士を急かして独房に向かっていった。
ここは銀翼騎士団の管理下にある収監施設。
彼女が面会を希望した相手は実の妹――魔導峡谷のブラン。
かつて勇者ファルコンともども魔王ガンダルフの虜囚となり、魔王軍に協力した咎で収監された女である。
魔王軍との決戦時にノワールの手で討たれたと思われていたが、本人にも想定外の形で生存し、アガート・ラムの幹部に服従を強いられた後、その幹部を討伐した折に人類側の虜囚となった……という経緯は、関係者ならば誰もが把握しているところだ。
現在は処罰の一環としてこの施設に収監され、魔王軍およびアガート・ラムに関する情報提供と、魔道具作製の下請け作業という形で贖罪を続けている身である。
そんなブランのところに、魔法使いでもあるアンブローズ卿が訪れた……そこに深い意味がないはずなどなかった。
「……ブラン……!」
「あら、姉さん。飽きもせずにまた来たのね」
新築ゆえに隅々まで小綺麗な独房に足を踏み入れると、面会用の鉄格子越しによく通る声が投げかけられる。
声の主――姉であるノワールと生き写しの顔立ちに正反対の白い髪を持つブランは、面会スペースに飛び込んできたノワールに嘲るような笑みを浮かべた。
実際に嘲笑しているわけではなく、これが普段と変わらない振る舞いなのだ。
そう、ブランは普段と何も変わっていない。
ノワールの心配とは裏腹に、ブランは素顔も素肌も覆い隠したアンブローズ卿を前にしても、何の脅威も感じていない様子であった。
「その焦りよう、僕が悪どい真似でもするかと思ったようだな」
「い、いや……そういう、わけじゃ……」
「安心しろ。妙な作業を持ち込んだわけじゃない」
アンブローズ卿はブランと檻を隔てたこちら側の椅子に座ったまま、体を傾けてノワールに顔を――フードと前垂れで素顔は隠されているが――向けてきた。
前垂れで顔を隠しているのに物が見えるのかどうか、ノワールは前々から疑問に思っているのだが、これまでに彼が視覚の面で困っているところを見たことがない。
少なくとも、見えないけれど支障なく行動しているわけではなく、この状態でも視覚がきちんと機能しているようではあるのだが。
「今回の案件は白狼騎士団とは無関係だが、僕の元所属の翠眼騎士団に絡む仕事だ。いや……完全に無関係というわけではないか。どちらにせよ、功績として胸を張れることは保証する」
そう言いながら、アンブローズ卿は片手を動かして、自分ではなくブランの方を見るように促した。
白い肌。白く長い髪。囚人用に誂えた白いローブ。
いつもの面会時と同じ格好であるようだが……よく見ると明らかに違和感がある。
「……あっ。左、腕が……」
独房の椅子に座ったブランの左袖が、入口のところからでも見て取れるほどにはっきりと膨らんでいる。
ブランは魔王城における決戦で左腕を失った。
当然、囚人用ローブの左袖はだらりと垂れ下がっているはずなのだが、今日はそこに中身があった。
「そ、それは……ブラン、一体……」
「僕の知人からの頼まれ事でね」
戸惑うノワールの疑問に答えたのは、ブランではなくアンブローズ卿であった。
「翠眼所属の魔法使いの中に、失った四肢を補う手段を研究している男がいるんだ。その試作品のテストを請け負ったのさ」
「ほら、よくできてるでしょう」
ブランは袖を捲り上げて人造の左腕を露わにした。
それは陶器のように滑らかな人工物であり、人形のような構造の関節を人間と同じ位置に有し、それらがブランの意思に従って動いているようだった。
「僕も同じ研究テーマに違うアプローチから挑んでいて、お互いに協力し合う間柄でね。ほら、長らく戦争が続いてきたから、腕や足の一本や二本を失くした奴は珍しくないだろう? 需要が多ければ資金調達も容易で……っと、これは関係のない話か」
「本当なら傷痍騎士に試させるのがいいんでしょうけど、試作品だから不具合も多いらしいのよ。だから魔法の知識と技術があって、どこがおかしいのかを調べながら試せる私に話が回ってきたというわけ。納得した?」
ノワールはぽかんとした顔のまま、交互に口を開くアンブローズ卿とブランの間で視線を左右させている。
しかしすぐにハッと気を取り直して、彼女としてはそれなりに大きな声で、見過ごせない点を指摘した。
「……こ、これは、まるで……アガート・ラムの、自動人形の……!」
「ああ、紛れもなくその通りだ」
その指摘を、アンブローズ卿はあっさりと全面的に肯定した。
「彼はそれなりに高い地位の騎士でもあってね。王都を騒がせた夜の切り裂き魔や、第二階層の中立都市を襲った人形の残骸の一部を取り寄せて、自分の研究を一気に進展させたのさ」
アンブローズ卿は、もちろん正規の手続きを踏まえた合法的な調達だ、と注釈を加えてから、再び顔をブランの方へと戻した。
「さて、使ってみた感想はどうかな?」
「悪くないわね。不具合が多いという割には、魔法的なシステムの完成度はかなり高いと思うわ。問題はむしろ物理的な構造の方じゃないかしら。関節周りが特に……ね」
ブランは顔の前で左手を何度か開閉させてから、まるで本物の手のようなしなやかさで、髪の房を指先で耳の後ろへと整えた。
「なるほど。いっそアレクシア技師長にも協力を仰いでみるべきかな。関節構造の改善はむしろ機巧技術の領分だ」
「協力してもらえるかしら。忙しい身の上なんでしょう?」
「してもらえるさ。確証はある。何せ、改良版を仕立て上げれば、我らが騎士団長殿の右腕も補って差し上げられるからね」
椅子の背もたれを軋ませながら、アンブローズ卿は独房の窓に目をやって青い空を見上げた。
「これも人徳のなせる技とでも言うべきかな。僕には根本的に欠乏しているものだ。羨ましい限りだよ」
その言葉を聞いて、ノワールは初めてアンブローズに対して人間味のようなものを感じた気がした。
「……ルーク……」
ノワールは地下に詰めたままの男のことを思い、胸元でぎゅっと手を握りしめた。
本人達はまだ第四階層から戻っていないが、無事に拠点の建築を終えたことと、現状では公表できないものの想定外の成果があったことは、一足先に地上へと伝えられている。
そして、その成果の代償として、ルーク・ホワイトウルフが一時的に右腕を手放す事態になったことも。
腕を失ったこと事態に対する不安はさほど大きくはない。
不幸な喪失ではなく意図的な判断であることは強調されていたし、状況がうまく進めばきちんと戻るはずだとも聞かされており、なおかつ彼の【修復】なら……という信頼もある。
ノワールが胸騒ぎを覚えた原因、
それは、これから先に待ち受けている未知の出来事の存在だ。
地下で起こったことの詳細は伏せられていても、状況が激しく動きつつあることは間違いない。
全くもって理論的ではない自覚はあるのだが――ノワールは『自動人形の体を参考にした人工の腕』という喜ばしいはずの新技術もまた、あまりにも大きな情勢の変化の予兆に思えてならなかったのだ。
――そして事実、この世界は大きな変換点の直前に立っている。
この地に息衝く人間達は未だ夢にも思わず、一方で大地の底に身を潜めた男はその訪れを予感していた。
魔王ガンダルフ――古代魔法文明を知るダークエルフの王。
威厳と威圧、そして見る者の魂を立ちどころに萎縮させる膨大な魔力を帯びたその王は、しかし今はどこか穏やかで、静寂すら感じさせる表情を浮かべていた。
「名も無き我が友よ。お前の力を継ぐ者と、お前を殺めたフェンリルの眷属は、今や一つの場所にある。運命論など信じぬ身だが、こればかりは運命めいたものを感じずにはいられん」
未探索領域最深部――『元素の方舟』最深階層の更に最奥。
天井から注ぐ光にのみ照らされた祭壇に、古びた槍の残骸が祀られている。
複雑な形状の矛先は武器というより祭具を思わせ、金属製の柄は半ばでへし折れ、先端から破損部分までの長さだけでも人の背丈ほどもある長大な槍。
ガンダルフは部下にも向けぬ穏やかな眼差しを残骸に送りながら、誰に聞かせるでもない呟きを漏らした。
「お前はどこまで未来を読んでいたのだ。それとも全ては偶然の産物か? あるいは俺にこの槍を託したことすらも……お前の計画のうちだったというのか。答えろ、アルファズル」
ひとまず第十三章は今回で区切りとなります。
「この辺りはどうなってるの?」という部分の説明はだいたい次章の頭あたりになるかなと。
第十四章は情勢が動いて色々と事実が判明する章になりそうです。それはもう色々と。