第535話 灼熱の階層に潜むモノ
「げほっ! ごほっ……!」
――俺は激しく咳き込みながら、飛びかけた意識を辛うじて引っ張り戻した。
無我夢中で実行した俺自身とメダリオンの【融合】――予行練習なしの強行の代償は決して軽くなかったらしく、頭の中身をぐしゃぐしゃにかき混ぜられたような不快感が、嘔吐感を伴って止めどなく湧き上がってくる。
数分前の記憶も曖昧だ。
一体どうやって窮地を逃れたのか思い出すのも難しい。
とにかく起き上がろうとしてみるも、バランスを崩してすぐに倒れ込んでしまう。
ああ――当然だ。右側の手足が奪われたままなのだから。
先程まではどうにかして補っていた気がするが、意識と記憶の混濁が晴れるまでは、事の顛末を思い返すことすらできそうにない。
壊れたクロスボウ。
左手に握ったままのメダリオン。
腰の鞘から消えたアダマントの剣。
記憶の糸が無秩序に絡み合ってしまって、解きほぐすのにしばらく時間が掛かりそうだ。
斬り落とされて氷漬けになった右脚にどうにか手を伸ばし、切断面にあてがいながら【分解】で氷を砕いて【修復】する。
即座に凍らされていたことが都合よく働き、血液も殆ど内部に残ったままだったので、脚を繋いだせいで逆に血が足りなくなることもなかった。
どうやら、ノルズリが後で俺を元通りにするつもりだったのは、本当のことだったらしい。
「ぐっ……腕は、右腕は……どこだ……?」
「おのれ……またしても、足を掬われ……ぐうっ!」
繋いだ両脚で立ち上がって顔を上げる。
するとノルズリもまた、腹部にアダマントの剣が刺さったままで立ち上がると、細腕でその剣を勢いよく引き抜いた。
「……があっ!」
本来なら大量出血すら起こりうる暴挙だが、ノルズリは傷口を凍結させることで失血を抑え込んでいる。
先程、俺のことを『殺せるとは思わない』とのたまっていたが、その点ではあいつも大概である。
魔王戦争において、ノルズリが元々使っていた屈強な肉体を殺すことができたのは、こちらの手札が全く割れていなかったからこそだったのだと改めて実感させられてしまう。
「氷の銀狼……ハティのメダリオンか……地上の何処かで手に入れたのだな……」
「ハティ……それが魔獣の名前……」
記憶に掛かった靄が少しずつ晴れてくる。
メダリオンと一体化してからの出来事も、断片的にだが思い出せてきた。
「だが、残念だな……そんな付け焼き刃では私を仕留めるには至らん……!」
ノルズリは腹から引き抜いた剣を投げ捨て、喉から溢れた血を吐き捨てた。
剣の拵えをガーネット好みに作り変えたせいか、それともただ単に目を向けていなかったのか、ノルズリはアレが魔王ガンダルフの剣だったことに気が付いていないらしい。
奴の襲撃理由が、メダリオンでもなければ魔王の剣でもなく、先程の発言通り俺とは直接の関係がない事柄だという証明である。
「ルーク・ホワイトウルフ! 貴様は必ずや陛下の御許へ連れて行く! より近付いたその右眼を御覧になれば、きっと陛下もお喜びを――」
吼えるノルズリの背後で氷壁が砕け散る。
氷壁を貫き砕いたのは、チャンドラーが放った数本の矢。
そして粉砕された氷の帳を潜り抜け、金色の熱気を纏ったガーネットが飛び込んできた。
「なっ……!」
「退けっ!」
驚愕し振り返るノルズリに白く灼けた一閃が走る。
すれ違いざまの斬撃が満身創痍のノルズリを斬り伏せ――そしてガーネットは一瞥もくれずに俺の傍へと駆け寄った。
「ルーク! 大丈夫か! ……って、おい! 腕が! それに顔も……!」
「……そんな顔するなよ。他の連中に見せられない面になってるぞ」
焦りと不安が一緒くたになった酷い顔だ。
思わず左腕で抱き寄せたくなってしまうが、ぐっと堪えて肩に手を置く程度に留めておく。
「まずはノルズリだ。あいつはあれで倒れるような奴じゃない」
ガーネットを落ち着かせながらノルズリへと視線を移す。
ノルズリは尚もしぶとく立ち上がってきたものの、あれほどの手傷を負った状態なら、ガーネットとチャンドラーの二人で退けられるはずだ。
「ぐっ……これでは陛下に顔向けが……」
「辛うじて命は拾ったのだ。独断専行の末路としては幸運だろう」
突如として降ってきた声に、俺達だけでなくノルズリまでもが驚愕に顔を上げる。
いつの間にか氷壁の上に人影が佇んでいる。
それは全身を布で覆い、素顔はおろか肌の一片すら露わにしてはいなかったが、その声には確かに聞き覚えがあった。
「まさか、お前は……!」
「スズリ! 貴様、私を愚弄するか!」
魔王軍四魔将の一角、火のスズリ。
ノルズリが性別の異なる同族の肉体を使っているのと同様に、異種族であるサクラの父親の肉体を奪った、ダークエルフの剣士。
スズリは顔を覆う布を指先で僅かにずらすと、鳶色の瞳でノルズリを一瞥してから、俺とガーネットの方に視線を移した。
「我らの任務は、貴様達がどれほどの覚悟と備えを持って第四階層に足を踏み入れたのか、この目で確かめることだ。生半可な備えでは『真なる敵』を利する結果に繋がりかねんからな」
俺の思い過ごしでなければだが、スズリからは戦意らしきものが殆ど感じられなかった。
まるで、ただ事情を説明するためだけに姿を現したかのような。
「真なる敵……アガート・ラムのことか」
対照的に殺気を増すガーネットの肩を押さえ、まずは可能な限りの情報を引き出そうと試みる。
「地上における呼称に合わせるなら、その通りだ。虚弱な戦力でこの階層を通過すれば間違いなく敗北し、さながら竜の巣を突くかのように、奴らを積極的な攻勢に乗り出させるだけに終わる」
「だから俺達の本気を確かめたかったと?」
「不十分ならば、ただの一人も生かして帰さん心積もりだった。全滅という結果を突きつけてやれば、この階層から手を引くか、あるいはより強力な部隊を送り込むつもりになるだろう?」
ガーネットもチャンドラーも攻撃態勢を完全に整えており、俺が合図をすれば即座にスズリを討ち取りにかかれる状態だ。
騎士団長の責任の重みをひしひしと感じながら、俺は油断なくスズリを睨み続けた。
「……だけど、ノルズリは偵察の役目を越えて俺に手を出してきた」
「この男は貴様に幾度も苦汁を舐めさせられ、屈辱を与えられたと考えている。執着を抱くのは分からんでもない。成功すれば陛下もお褒めになったかもしれんが……結果はこの様だ」
ノルズリもまた、負傷を凍結させて出血を塞いだ状態で、スズリを苦々しく見上げている。
「で、俺達は魔王軍のお眼鏡に適ったと思っていいのか?」
俺は皮肉っぽくそう口にしたのだが、スズリは特に嫌味だと感じなかったのか、あっさりと首を縦に振って肯定した。
「我らにとって貴様らは元より敵ではない。真なる敵の討滅こそが我らの使命。貴様らがアガート・ラムを敵と考え、それに相応しい戦力を整えているというのなら、妨害をするつもりは毛頭ない」
「……確かに、お前達にとって人間は倒すべき相手じゃなかったな。アガート・ラムと戦うための新兵器の材料だ」
「その計画は既に頓挫した。地上への道を押さえられた以上、安定的な人間の調達は困難となったからな」
スズリは微塵も悪びれる様子も見せず、俺の発言を全面的に肯定した。
「その上で――貴様らが充分な覚悟と戦力を備えた上でこの地を踏んだのなら、陛下のお言葉を伝えるようにと仰せつかっている」
「魔王ガンダルフの言葉だって?」
「然り。陛下はこう仰った。地上の人間の代表者に謁見の栄誉を与える……とな」




