第522話 模擬戦闘、開幕
俺は模擬戦の開始を宣言すると同時に、ガーネットの背中に魔獣スコルのメダリオンを押し当ててスキルを発動させた。
メダリオンに秘められた魔獣の因子が瞬く間に全身を駆け巡り、金狼の耳と尾が実体化すると共に、牙と爪が獣人さながらに鋭さを増していく。
その変貌にナギとメリッサが息を呑み、チャンドラーが興味深そうに口の端を上げる。
「よっしゃ! さっさと始めようぜ、サクラ! 神降ろしには制限時間があるんだろ?」
「ああ。それにしても、見事なものだ。魔獣スコルの力を宿すというのは文字通りの意味なのだな」
サクラはガーネットの誘いに応じて緋色の刀を抜き放ち、即座に神降ろしを発動させた。
「御座しませ、火之炫日女!」
熱気が衣のようにサクラの全身を取り囲み、長い黒髪が燃え盛る炎の如く染め上げられる。
幾度となく目の当たりにしてきた神降ろし――回を重ねるごとに発動から変化までの遅延も小さくなってきているように感じる。
やはりこうした特殊技能も、使い込めば使い込むほどに精度が上がっていくものらしい。
「……ん? おいサクラ、この前みてぇな奴にはならねぇのか」
「この前……ああ、アスロポリスの中枢でアガート・ラムと交戦したときか。あれは私でもどうして実現できたのか分からないんだ。炫日女の機嫌次第といったところかもしれないな」
訝しげな表情を浮かべたガーネットに、サクラは肩を竦めて答えた。
一体何の話をしているのだろうかと思ったが、すぐにそれの意味するところに思い至る。
俺はガーネットやサクラが戦っていた現場に居合わせることができなかったが、そのときにどんな状況が繰り広げられていたのかは、後で報告を受けている。
確か、戦いの最中にサクラの神降ろしが普段と違う――より神々しく強力な姿になったのだったか。
あれ以降に再現することができていないのなら、特殊な状況下で発動した偶発的な現象だと考えるべきかもしれない。
もしも俺が居合わせていたら、その場で『叡智の右眼』による分析ができたのだろうが、今更な話である。
「いやぁ、大したもんだ!」
チャンドラーが豪放に笑いながら、弓と槍の中間のような独特の形状の武器を携えて前に進み出る。
「話には聞いてたが、実際に見るとまた感じが違うな。こいつは楽しめそうだ」
模擬戦を前に高揚するチャンドラーを、アンブローズが呆れ混じりに諌める。
「自分の役割を忘れるなよ。お前はあくまで、戦闘データ収集のための相手役なんだ。自分の楽しみよりもこちらの指示通りに動くことを重視しろ」
「分かってるって。本気でやりあったら腕の一本や二本が吹っ飛ぶ程度じゃ……いや、待てよ? 大将の【修復】があんならそれくらい……」
「チャンドラー」
「へいへい」
実戦ではないとはいえ、大幅な強化を遂げたガーネットやサクラとの戦いを楽しみたがるチャンドラーと、あくまで実験の一環に過ぎないと考えているアンブローズ。
二人の意見が合わないのは明白だったが、今回は申し訳ないがアンブローズの方を支持させてもらおう。
戦いをしっかり観察するために『叡智の右眼』を発動させ、最初の手順を開始してもらうことにする。
「まずはガーネットとサクラで軽く斬り結んでみてくれ。いくら【修復】できるといっても、なるべく怪我はしないように」
「了解っと。んじゃ――いくぜ!」
ガーネットが床を陥没させんばかりの急加速で踏み込み、サクラとの間合いを瞬時に塗り潰す。
俺は凄まじい加速が生む突風に巻かれながら、『右眼』を凝らして刹那の剣戟を脳裏に焼き付けた。
斜め下方から振り抜かれるアダマントの刃。
サクラは純ヒヒイロカネの刀身でそれを迎え撃とうとしたが、接触の瞬間に手元を軽く捻り、受け止めるのではなく受け流す形で斬撃をいなす防御へと切り替えた。
ヒヒイロカネの刀は、神降ろしを成立させる祭具の側面が強い。
武器としての強みも炎との併用が前提で、純粋に鋼として優れたアダマントと真っ向から打ち合えば、一方的に打ち負けてしまってもおかしくはない。
理屈は俺にも理解できるが、サクラはそれを一瞬のうちに理解して、巧みな技術での受け流しに切り替えてみせたのだ。
「(力なら間違いなくガーネットの方が上、だけど技術はサクラに分があるか……)」
次の瞬間、サクラの姿が『叡智の右眼』の視界からすらもかき消え、刺突の構えを取ってガーネットの背後に現れる。
「(……【縮地】!?)」
瞬きをする暇もなく、サクラが床を強く踏みしめて神速の刺突を繰り出す。
完全な死角。ガーネットはそこにサクラがいることすら見えてはいまい。
ところが、ガーネットは顔をそちらに向けることもせずに、最小限の身のこなしで刺突を回避し、同時に振り向きざまの横薙ぎをサクラに打ち込んだ。
両断されるサクラの肉体――否、それは陽炎のような残像。
サクラが再度の【縮地】で横薙ぎを避けたと同時に、神降ろしの熱気が蜃気楼にも似た残像を残したのだ。
「自分でも驚きだぜ。この体、随分と耳が良いらしいや」
「狼の魔獣の力を取り込んだのだから道理だな。しかしまさか、今の一撃を聴覚だけでかわすとは。本気で戦うことがあれば音にも気をつけよう」
「鼻も利くみてぇだから忘れんなよ。今のお前、かなり分かりやすいからな」
「立っているだけでも周囲を焦がすのは、さすがにどうしようもないぞ」
ガーネットとサクラは最初の位置関係に戻って構え合い、友人らしい軽口を飛ばしあった。
軽く切り結ぶように言ったはずなのに、最初からこれだ。
これではチャンドラーへの注意の説得力がなくなってしまう。
いや、それとも――今の二人にとってはこれすらじゃれ合い同然なのかもしれない。
獅子や虎の遊びが、人間にとっては巻き込まれただけで死んでしまう代物なのと同じように。
「次はこれだ。私の想像通りなら面白いことになりそうだが」
サクラが刀を担ぐように構え、その刀身に灼熱の炎を纏わせる。
ガーネットは即座にその意味を察し、にやりと笑って正面から受け止める態勢を取った。
「おうよ。試してみようぜ、魔獣の力!」
刃の届かない間合いで振り抜かれる斬撃。
太陽から光の雫が零れ落ちたかと錯覚するほどの閃光が迸り、灼熱がガーネットを飲み込む。
実験室の中央に巻き起こる炎の渦。
メリッサが声にならない悲鳴を上げたが、俺も含めた他の面々は冷静に――あるいは楽しげにそれを見やっていた。
突如、猛烈な炎の渦が内側から真っ二つに割けたかと思うと、渦巻いていた炎が中心にいたガーネットへと吸い込まれていく。
「――やっぱりスコルと同じだな。この体にとっては熱も炎も御馳走みてぇだぜ」
獰猛に笑うガーネットの金色の頭髪は、より一層煌めきを増して熱く輝いている。
まるで、俺達が死闘を繰り広げた魔獣スコルと同じように。




